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いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

いわき市鹿島町の歴史と情報。
それに周辺の話題。
時折、プライベートも少々。

カケス婆っぱ ⑭

2009-01-31 07:16:22 | Weblog
 他人の口に戸は立てられないというが、の女たちが雑談に出てくる話題の中でカケス婆っぱが泥棒を働いたという陰口が流布されて、すっかり噂の種になってしまった。
 関根夫婦はキクに対する親切が却って仇になってしまったと世間話に困惑した。
 この噂話を聞いてからは会う人ごとに経緯と真相を説いたが、聞いたものは関根がカケス婆っぱを庇ってやっているのだと、噂の方が勝ってしまう始末だった。
 関根裕一はあの日、畑まで一緒に同行して自分が直接採って渡してやればこんな事にならずに済んだのにと思うと後悔し、キクに申し訳ないことをしたと、しきりに反省した。
 噂の憎むべきところは、いつでも発信元の当事者が有耶無耶になってしまうことで、今回のキクの一件も結局だれが最初に言い触らしたかは判らず終いのまま終止符が打たれた。
 キクの噂が廃れるまでには、さほどの日数を要しなかった。それは村内に不幸が起きてしまったからだ。
 よりによって遠藤重孝が亡くなったということで、キクの所にも戸触れがきた。
 妻の直子が、いつもの時間になっても起きてこない重孝を不審に思い、寝床に行ってみると頭を枕の上に置き、仰向けの姿勢で静かに息を引き取っていたということで、その姿はまるで眠っているようだったと知らせの者が伝えた。
 死因は脳内出血で後頭部から首筋にかけて内出血により皮膚は紫色に染まっていたということだった。
 キクは重孝の訃報を聞いて、暫らく呆然として立っていた。
 昨年の暮から幾らかの足しにでもなるならと柴売りを任せてくれたし、普段でも何かと気を掛けてくれた人を失ってしまった衝撃は強かった。
 柴売りの初日にリヤカーの荷台を空にして帰った時に、喜んでくれた顔は忘れることが出来ないと思った。

      *
 キクは少しでも手間賃が稼げることなら何でもした。
 小名浜港に大量のイワシが揚がると浜では塩漬けで竹串に刺して洗浄し、広い敷地いっぱいに干し台の上で天日干しにする。
 乾燥の頃合を見計らって方刺し作業へと進むのだが、この時に必要なのが方刺しに使う藁刺しである。
 すかさず口利きに頼んで、その藁刺しを作る仕事にも没頭した。
 藁刺しは一本の藁を真ん中で折り曲げて二、三度捩じって十五センチ位のところで結び、その先を切ったものだが農家の夜なべ作業としては人気があった。
 希望する者には見本品が一本ずつ渡され、その通りに作ればよい。
 農家では普段、縄綯いをして慣れているのでこういう仕事は能率が上がったがキクにとっては容易なことではない。
 おそらく一本作るのを比較したら、農家の子供たちの方が明らかに早いだろう。
 和起が寝たあとも静かな部屋の中で、囲炉裏を前にして一人黙々と藁刺し作りに専念した。
 和起が既に中学生になって自分の小遣いは自分で稼ぐと言って新聞配達をしてくれている現実を考えると、歳月の周期の速さに驚かされるがそういう成長をしていく過程で嬉しいと思う反面、寂しさが込み上げてくるものがあった。
 それは和起が中学を卒業後は、他県に就職して離れ離れの生活になることが目に見えていたからだ。
 近隣に職を求めることは困難で、中卒者は金の卵だと持て囃し求人してくる企業が多い都会への就職に頼らざるを得ない状況にあった。
 唯一、和起と一緒に居られる方法はあった。
 それは常磐炭砿に就職して修技生になることだった。炭砿現場の技術を習得しながら高卒程度の教育が受けられ、給料が支給されるという好条件のものだった。
 就職担当教師からの打診があったが、キクには炭砿そのものに強い拒絶反応を起こした。 《続く》



 
コメント
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