和起は、それ以上のことは言わずに囲炉裏の火に手を伸ばした。
生活必需品は取り敢えず鍋、釜、茶碗から蒲団まで備品として揃っていたから生活上の心配はない。
キクは囲炉裏を挟んで奥の壁側に和起の蒲団を敷き、出入り口のほうに自分の蒲団を敷いた。
和起は蒲団の中に潜り込むと同時に「暖ったけえ」と喚声をあげて腹這いになり読み残しの雑誌を広げた。 和起にとって今日一番の幸せという表情を窺うことができた。
キクも蒲団の中に入ると仰向けになって、煤けた天井を見ながら一日の出来事を振り返ってみた。
慌しい一日ではあったが今朝、住み慣れた重内の炭砿街を去る時には何十年来の付き合いの人達が名残を惜しんでキクの手を握り泣く人、肩を叩いて励ます人、そしてバスに同乗して磯原駅まで来て見送ってくれた人など惜別の情を感受したことを思い出すと改めて胸に熱いものを覚えた。
キク自身、ヤマの人たちと別れの際はもう逢うことのない今生の別れになるのではないかとさえ思ったからだ。
いま、こうして高台の寺の片隅で隔離されたような生活が始まったことが、その予感を一層現実的にさせた。
もう決して後退りは許されないし、この場所以外に行く先がないのだから生きられる限り、ひたすら和起の成長に日々夢を託していくことが自分に与えられた唯一の生き甲斐であり、責務ではないのだろうかと自問自答した。
それにしても朝から晩まで多忙を極める一日だったが、和起が気張って一緒に行動を共にしてくれたことがキクには何よりもの救いだったし嬉しいことだった。
明日から先のことは全く判らない暗中模索の中で、とにかく和起と二人で懸命に生きなければならないという意気込みだけは熱い炎となり、体中が火照るほど強く感じた。
*
和起が起き易いように囲炉裏に火を付けて朝飯の支度に取り掛かった。
昨夜、皆が食べ残して置いていったお新香や煮物があったので作るものは飯と味噌汁だけで充分だった。
台所の甕に入った水は寺に上る階段の途中にある小井戸から汲み上げてこなければならない。
空バケツを持って境内に出ると、寺の面に朝陽が一面に差して清清しく見晴らしの良い朝が待っていてくれた。
階段の中段まで下りて小井戸の中を覗いて見ると、岩石の隙間から白乳色にちかい不透明な水が浸み出ていた。
こういう水なら雨水の方が余程ましだと思ったが、集会などではこの水を使用していると聞いているので飲み水としては何の害もないだろうと思いながら汲み上げた。
「婆ちゃん「「婆ちゃん」
上の方から和起の呼ぶ声が聞こえてきた。
「おーい、こっちに居るよう。和起ー」
キクの甲高い声が朝の澄んだ空気の中に響き渡った。
和起はキクの姿を見つけると階段を二段ずつ大っ飛びして降りてきた。
「なんだあ、こんな所に居たのかあ。目を覚ましたら居ねえからびっくりしたよ」
慌てていた様子だったがキクの側へ寄ってきたら安堵感に変っていた。
「悪かったな、気持ち良さそうに寝ていっから婆ちゃんだけ起きて飯の支度をすっかと思っていたんだ」
そう言って井戸に備え付けの荒縄の付いたバケツで水を汲み上げると、持ってきた別のバケツに移し変えた。《 続く》
生活必需品は取り敢えず鍋、釜、茶碗から蒲団まで備品として揃っていたから生活上の心配はない。
キクは囲炉裏を挟んで奥の壁側に和起の蒲団を敷き、出入り口のほうに自分の蒲団を敷いた。
和起は蒲団の中に潜り込むと同時に「暖ったけえ」と喚声をあげて腹這いになり読み残しの雑誌を広げた。 和起にとって今日一番の幸せという表情を窺うことができた。
キクも蒲団の中に入ると仰向けになって、煤けた天井を見ながら一日の出来事を振り返ってみた。
慌しい一日ではあったが今朝、住み慣れた重内の炭砿街を去る時には何十年来の付き合いの人達が名残を惜しんでキクの手を握り泣く人、肩を叩いて励ます人、そしてバスに同乗して磯原駅まで来て見送ってくれた人など惜別の情を感受したことを思い出すと改めて胸に熱いものを覚えた。
キク自身、ヤマの人たちと別れの際はもう逢うことのない今生の別れになるのではないかとさえ思ったからだ。
いま、こうして高台の寺の片隅で隔離されたような生活が始まったことが、その予感を一層現実的にさせた。
もう決して後退りは許されないし、この場所以外に行く先がないのだから生きられる限り、ひたすら和起の成長に日々夢を託していくことが自分に与えられた唯一の生き甲斐であり、責務ではないのだろうかと自問自答した。
それにしても朝から晩まで多忙を極める一日だったが、和起が気張って一緒に行動を共にしてくれたことがキクには何よりもの救いだったし嬉しいことだった。
明日から先のことは全く判らない暗中模索の中で、とにかく和起と二人で懸命に生きなければならないという意気込みだけは熱い炎となり、体中が火照るほど強く感じた。
*
和起が起き易いように囲炉裏に火を付けて朝飯の支度に取り掛かった。
昨夜、皆が食べ残して置いていったお新香や煮物があったので作るものは飯と味噌汁だけで充分だった。
台所の甕に入った水は寺に上る階段の途中にある小井戸から汲み上げてこなければならない。
空バケツを持って境内に出ると、寺の面に朝陽が一面に差して清清しく見晴らしの良い朝が待っていてくれた。
階段の中段まで下りて小井戸の中を覗いて見ると、岩石の隙間から白乳色にちかい不透明な水が浸み出ていた。
こういう水なら雨水の方が余程ましだと思ったが、集会などではこの水を使用していると聞いているので飲み水としては何の害もないだろうと思いながら汲み上げた。
「婆ちゃん「「婆ちゃん」
上の方から和起の呼ぶ声が聞こえてきた。
「おーい、こっちに居るよう。和起ー」
キクの甲高い声が朝の澄んだ空気の中に響き渡った。
和起はキクの姿を見つけると階段を二段ずつ大っ飛びして降りてきた。
「なんだあ、こんな所に居たのかあ。目を覚ましたら居ねえからびっくりしたよ」
慌てていた様子だったがキクの側へ寄ってきたら安堵感に変っていた。
「悪かったな、気持ち良さそうに寝ていっから婆ちゃんだけ起きて飯の支度をすっかと思っていたんだ」
そう言って井戸に備え付けの荒縄の付いたバケツで水を汲み上げると、持ってきた別のバケツに移し変えた。《 続く》
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