アジアと小松

アジアの人々との友好関係を築くために、日本の戦争責任と小松基地の問題について発信します。
小松基地問題研究会

反原発の哲学と政治

2012年05月15日 | 原発
 1991年の講演録で、今年3月に発行された「科学の原理と人間の原理」(高木仁三郎)を読みました。ほぼ同時期ですが、1989年4月16日の「赤旗日曜版」に発表された「原発の危険に反対する運動」(共産党高原副委員長)を思い出しました。

「科学の原理と人間の原理」
 高木さんは「(自然科学の立場から)私たちが生きている地上の生命の世界というのは、核の安定の上に成り立っています。」「人間の身体の中でものが燃えるとか、酸化するとか、それから遺伝子(DNA)も化学物質で、化学変化の世界です。核の変化は一切関係してきません。核そのものが安定しているということが生命の基本的な基盤です。」「ところが原子力というのは、まさに核の安定を崩すことによってエネルギーを取り出す技術です。核の安定を崩さない限り原子力は成り立たちません。私はここに原子力の問題があると思います」と、ヒト(自然)と核化学の最も根本にかかわる問題点を述べています。

 高木さんは地球(自然)の成り立ちからも、この問題に迫っています。「星が光っているというのは、原子核反応によって光っているわけです。太陽に行けば(強烈な)放射線があります。熱によっても死んじゃいますが、放射線によっても近寄れないわけです。つまり、光っている星には絶対に生命はありません。その近いところにも生命はありません。」と、生命体と原子力は絶対に相容れないと主張しています。

 そして、なぜ地球に生命体が現れ、私たちが生きているのかを説明しています。「地球には放射線から守られているという特殊な条件があります。」「地球も誕生したてのころは放射線が非常に強く、46億年かけて冷めてきて、ようやく生き物が住めるくらいにまで放射能が減ったから住むことが出来るようになりました。」「せっかく地球上の自然条件が出来たところに、わざわざもう一度、(地球上に)放射能を作ったというのが原子力です。」

 このように、高木さんは地上の生命には、地上の生命の原理があり、原子力とは相容れないことを宇宙・地球の歴史から説明しています。

「原発の危険に反対する運動」
 高原副委員長は「わが党の基本的立場は、核エネルギーの平和利用と軍事利用を明確に区別し、核兵器廃絶運動の先頭にたっています」「社会党が『核兵器=原発』ということを、かって原水禁運動におしつけてきた」「原子力の発見は人類の英知と進歩の結晶だと考えています。これを平和的に利用し、真に人類の進歩に役立てる可能性を積極的に探究するのは当然です」と主張していました。

 さらに高原さんは「安全基準を科学的に信頼できるものにして」と言っていますが、放射能に安全基準はありません。これ以下の放射線量ならば人体に影響がないという『しきい値』の存在は、今日はもちろん、当時も否定されていました。すなわち放射線はどんなに微量であっても、その量に比例して影響があり、「安全基準」を設けるのは誤りです。


すべての原発を廃炉に!
 高木さんには核・原発を捉える哲学がありますが、政治的力がたらず哲学を実現できませんでした。日本共産党は今では、反原発に転換しており、政治はあるのでしょうが、哲学がありません。

 核・原発は現代世界の最も重要な政治(軍事)であり、私たちには、人々の心を捉える哲学と核・原発政治を転換する力を必要としています。
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