アジアと小松

アジアの人々との友好関係を築くために、日本の戦争責任と小松基地の問題について発信します。
小松基地問題研究会

マララさんと花月草紙

2014年12月14日 | 読書
マララさんと花月草紙

 マスコミはマララ・ユスフザイさんがノーベル平和賞を受賞したニュースで沸いている。ノーベル平和賞は、かつて、佐藤栄作が受賞したし、バラク・オバマも受賞した。このような基準で授与されるノーベル平和賞など、わたしにとっては石ころと変わらない。

 「同じユスフザイ氏族に属し、心から親しみを感じている」というアドナン・ラシードさんからマララさんへの手紙には、「あなたは不公平な国際機関のステージで正義と平等を求めた」と指摘している。

 西洋の価値観とイスラムの価値観が対立している時、西洋からイスラムの人に、一方的に与えられる「賞」はなにをもたらすか。マララさんは西洋から歓迎されるかもしれないが、イスラムからは歓迎されないだろう。

 ラシードさんは最後に、「あなたに、郷里に戻ってイスラムと地元の文化を学び、近くの女性メドルサ(神学校)に入り、コーランを学び、イスラムと同胞の苦しみのためにペンを持ち、少数のエリートが新世界秩序の名の下に世界中を奴隷化しようとしていくことを糾弾してほしい」と締めくくっている。

 マスコミは一方的に西洋(国連)を是とし、イスラムを非としているが、上記の問題を考える時、松平定信の「花月草紙」の指摘が参考になる。高校の教科書(古文)に載っており、分裂している世界を見る時の視点としては、今でも新しいのではないか。

「花月草紙」

 蝦夷の人に飯を与へしかば、いと喜びながら、そこら食ひこぼしてけり。

 「やよ、米は玉の緒つなぐものなるを、などかくおろそかになすや」と問えば、「われらは、米食ひて命をまたうするにはあらず。鮭といふ魚食ひて生くるを」といふ。

 「さらば、鮭の魚にて命をのばゆるならば、それをば尊ぶべからん。今その足にはきたるものは、鮭の皮ならずや」といへば、しばし頭傾けて、「君の足につけ給う草鞋とやらんは、かの米のいでくる草にはあらずや」といひしにぞ、あなどるまじきことよと人のいひしとぞ。

 わが国の人は、よその事を知らねば、蝦夷の人なりかたち、わが国の人違へば、いと愚かにて何知らぬものよと思ふたぐひぞ多き。

 それより唐国にてもあれ、蝦夷の人にてもあれ、ただ姿見慣れぬを見ては、腹かかへて、ことばのわきがたきを聞きては、また笑ふ。

(松平 定信:江戸時代中期の大名、老中。陸奥白河藩第3代藩主。定綱系久松松平家第9代当主。江戸幕府第8代将軍・徳川吉宗の孫)
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