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小松基地問題研究会

20180725NHK「お金もうけのジレンマ~新世代の資本主義論」を考える(下)

2018年07月25日 | 読書
NHK「お金もうけのジレンマ~新世代の資本主義論」を考える(下)

歴史学者B:今日、歩いてきたときに雑貨屋さんに入ったんですが、すごく素敵なものを見つけて、いまは買えないが、こういうものを買いたいなという気持ちを、巧みに駆動する形で、みんながもっと働こうとか、もっといい仕事につきたいとか、もっと給料が欲しいとか、ということが繰り返されてきた。その時何が起きているかというと、消費の欲求、他人との比較があります。
経済学者A:そういう欲求だけじゃなくて、資本主義の歴史のなかにも、みんなに安定した生活を実現したいとか、みんなに教育を受けられるようにしたいとか、みんなが医療・介護を受けられるようにしたいとか、そういう連帯、単なる「自分のため」というのではない欲望というのがあって、それが現実に福祉国家を作ってきている歴史があるので、必ずしも資本主義が欲望を作るという側面だけに着目しなくても、もっといろんな側面が、人間にはあると思う。いろんなサービス、図書館、学校教育、労働組合など人々のつながり合いからできてきた制度であって、資本主義の商品交換が作り出してきた制度ではないが、ぼくらが生活するなかで、本質的なパーツになってきている。本質的だからこそ、商品化されていないといっていいかもしれない。
→投稿者:福祉国家形成を人民の連帯から説明しているが、労働者階級のたたかいと良質な労働力の確保と階級対立の安全弁として、資本の最低限の必要経費としての支出でもある。学校教育も、産業の近代化に伴って、労働に必要な教育を労働者に付与することから制度化されてきたのではないか。また福祉が商品化されていないという主張なら、それは誤りだ。労働組合は労働者のたたかう砦・自治の学校であるが、図書館や学校教育と同列に扱うことのインチキさよ。

社会学者D:資本主義が生まれる前には、福祉国家はなかったでしょ。それは資本主義で、社会がリッチになったからですか?
経済学者A:それ以前は共同体的に、人々の生活を保障していたが、(資本主義では)ばらばらに解体されていったのを自覚的にアソシエーションという形でもう1回…。
→投稿者:「アソシエーション社会」とは、生産手段の共有と自立した個人による協同組合的社会のことであるが、資本主義的生産関係下ではごく部分的にしか成立しない。政治革命を経て、全面的に実現の道を歩み始めるが、最近の論調は革命を経ずに資本主義から次第に(自動的に)アソシエーション社会に発展するかのような俗論(ポストキャピタリズム)が、革命的左翼のなかにもはびこっている。

社会学者D:それは本当ですか? 昔の方が暴力が多かったんですよね。資本主義が貧困をつくりだしたわけではなくて、人間にとってのデフォルト(初期状態)が貧困であって、平均寿命も昔は短かったわけじゃないですか。貧困があたりまえ、暴力があたりまえだったのが、資本主義によって人々の生活が豊かになって、暴力が減り、貧困も残ってはいるが減っているわけで、その面を認めた上で、じゃあどうするかという話しだと思います。
→投稿者:階級社会以前(デフォルト=初期状態)では強大な自然との関係で貧困や短命が強いられてきたが、資本主義以前の階級社会では経済外的強制(暴力)によって、資本主義社会では暴力装置の他、賃労働と資本という経済的関係のなかで、階級支配が維持されている。一見非暴力的であるが、階級支配としては本質的に同じである。

歴史学者B:それが、アダム・スミスがとる立場だと思います。格差はなくならないかもしれないが、全体としてパイが増え続けていけば、分業が進んで、社会全体として富が増えていくような状況を作った方が、格差があっても幸せな状況なんだろうか。アダム・スミスが主張したようなマーケットの望ましいあり方だが、それが常に実現していたという議論はしていない。マルクスなら、まったく違う審判を下すのでは?
経済学者A:いまの左派とかリベラルの理論層は経済政策をやって経済成長しないと、パイが広がらないから再分配もできないという話しか、脱成長かで分かれています。前者の意見はトリクルダウン(富裕層が富めば、富は貧困層にもこぼれてくるという仮設)と変わらない。成長しないと再分配出来ない、そうじゃなくて、第3の道として情報とか知とか、モノのシェアとかが進んでいるのであれば、違った形でも持続可能な、ポストキャピタリズム的な成長=単に資本主義的な経済成長にとどまらないような成長モデルを志向すべきではないでしょうか?
→投稿者:Aさんはトリクルダウンには批判的なようだが、かといって脱成長を支持しているわけでもなさそうだ。ポストキャピタリズムへの転換を志向しているようだが、政治革命抜きのポストキャピタリズムか? 国家(政府)は資本(主義)の政治委員会であり、被支配階級にたいする暴力装置を常備し、政治革命を予防している。

歴史学者B:マルクス主義とか、いまの資本主義を批判し、乗り越えようと思っている立場と成長とは両立するのですか?
経済学者A:成長はもっと出来ます。その成長というのは、資本の価値増殖=GDPに現れないようなものを成長させていく。
歴史学者B:何が成長するのですか?
司会者E:その成長の度合いを何で測るのですか、曖昧ではありませんか?
経済学者A:今のところは曖昧です。
社会学者D:この20年間で、いろんなものが安くなり、無料になりました。情報はほぼ無料になり、服も安くなった。人々がお金を払う対象として、何が残るんですか? 
経済学者A:そうなると、企業は売り上げを上げられないわけですから、資本主義じゃなくなっている。そこまで受動的に待っていたら、環境問題、地球温暖化が深刻な問題になっているので、早く移行するという議論が必要だと思います。そういう意味では資本主義は難しい段階に来ている。
→投稿者:「情報は無料」…インターネット回線接続料が必要であり、デジタル新聞の閲覧も有料である。「服も安くなった」…植民地・半植民地経済の恩恵ではないのか? 日本国内的な格差問題しか考えていなくて、国家間の格差、収奪については考慮外のようだ。

(テロップ―資本主義はどこへ行く?―)
ナレーション:あらゆるものを商品化していく資本主義。わたしたちに、いま本当に必要なものは? 勝利を求めるゲームの果てに待っている光景は?
学生G:情報を共有することが大前提だったが、普段生活しているなかで、情報は共有されているというよりは自分がいたい集団のなかの情報のみが共有されるという意識があると思いますが、知識の共有が全世界的に進んでいくか疑問があります。
経済学者A:ウィキペディアを考えたらいいです。
学生G:ウィキペディアも自分が調べようと思ったものしか調べません。それがはたして知識の共有といえるのか?
経済学者A:どこでも、ただでアクセス出来る。それは上から与えられたものではなく、自分たちが作りながら消費しているプロシューマー(注)という言葉がありますが、その意味で新しいものといえる。
【注:デジタル用語辞典の解説】プロシューマー=consumer(消費者)とproducer(生産者)を組み合わせた造語で、製品の企画・開発に携わる消費者という意味。未来学者のアルビン・トフラー氏が著書『第三の波』で予見した新しいスタイルの消費者。多様化した消費者のニーズに応えるために、企業が消費者の意見を直接取り入れる形で、消費者が商品の企画・開発に関わるようになってきている。

学生G:それって、現実問題プロシューマーという消費者は本当に同じコミュニティにいるのですか? コミュニティ的には共有されているかどうか怪しいと思っている。
社会学者D:一部のエリートは共有されているんでしょうけど、そもそも検索ワードを知らないとか、調べようとは思わない人との格差が広がっていくのじゃないですか?
経済学者A:それは情報、例えばウィキペディアの構造的な問題ではなくて、教育とか経済に格差がある社会システム上の問題だと思います。だからそれを直していかなければならない。
学生H:情報のプラットホームというのは、だんだん独占的な傾向を強めていく。それが個人情報を保有していたり、それをどういう方法で解決するのか? 独占されることによる弊害は無視出来ないものになっていくと思う。
歴史学者B:マーケットに任せておけばうまくいくというわけではない。常に市場と市民・消費者、働いている人たちとかが複雑な関係を作ってきた。そういう人たちの交渉の過程によってその問題(独占)が解決されるのじゃないですか。
学生H:イノベーションは資本主義の方が確実に起こりやすい。社会主義とかポストキャピタリズムになったときに、ウィキペディアみたいに協力してイノベーションが起きていくという意見もあると思いますが、資本家というのはブルーオーシャン(競争者のいない新しい価値の市場)というか、いまの世の中の人に見えていない部分を開拓していこうとするところを持っている。ぼくはイノベーションは資本主義の方が進んでいくんじゃないかと思う。
→投稿者:イノベーション万能主義のようで、人民が忘れ去られている議論。

歴史学者B:競争原理を経由しないで、協力とか団結とかで、本当にイノベーションとか、これまでと違うことをしようという発想…。
経済学者A:逆にいうと、なぜ競争でないとイノベーションが起きないと思うのですか?
起業家C:敵がいた方が人間の底力を出せるからでしょう。
司会者E:切迫感みたいに?
歴史学者B:「切迫感」について、ぼくがイギリスで研究員をしていたのですが、1年契約、9カ月契約、6カ月契約で、職が安定していない時期というのが7年間ぐらい続いていたのですが、そうすると切羽詰まるじゃないですか。そこではじめてこれまで考えなかったような仕方でアイデアを先鋭化したり、恥ずかしくて自分の研究計画を読んでほしいと頼めなかった人にまで頼みに行って、その人たちと議論しました。
→投稿者:イノベーションのためならば、研究者も労働者も安定的雇用ではなく、短期雇用にした方がよいという意見か。そこまで言うなら、Bさんは安定的な東京大学講師の地位を放棄して、短期雇用の契約研究員になればいいんだ。

経済学者A:最近、目先の業績が出るような論文が増えていて、いまの社会でもう少し広げて、もっとこの活動をしたい、音楽を突きつめたいなどの夢があると思いますが、それが就活しなければならないということで、諦めて、みんなが同じようなことをすることになるという画一性を、実は資本主義のマーケットの力で押しつけられているということを自覚してもいいんじゃないでしょうか。
社会学者D:ギリギリの人がモノを生み出せるのか、それとも余裕のある人の方がモノを生み出せるのか? そこは難しいところ。
経済学者A:あらかじめイノベーションは競争でないと出ないといって、選択肢を狭めてしまうことはないでしょう。
歴史学者B:二者択一が間違っていると思う。
経済学者A:マルクス的社会になったからといって、競争がなくなるか? 協働社会のなかで、よりいいモノを作りたいという欲求がなくなるわけではない。むしろ自然に出て来ると思う。ヘマをやって、クビになって、職を失って、生活出来なくなるというようなことがなくなり、安心して取り組めるのじゃないか。
起業家C:勝ちはあるが、負けはないということですか?
→投稿者:Cさんは「共感ビジネス」などといっているが、結局は協働ではなく、敵を作り、勝者になるという「起業者」の精神に則っている。

(テロップ―向上 画一性)
ナレーション:マーケットは人を向上させるのか、それとも画一性を押しつけるのか。考え方の違いを際立てつつ、議論終了のときが…。
起業家C:もともとぼくは資本主義の立場、価値主義というか、価値経済に共感を得た人たちに、資本主義経済における資本的なもの―お金が集まる時代だと思っています。Aさんの話を聞くまで、そこに社会主義のエッセンスを入れるという発想はなかった。その点は自分にとって考えるべき糧になったと思う。それ(社会主義)をブレンドしたような社会になるかもしれないし、あるいは社会主義的なコミュニティを選択肢の一つとしてあるのかなと。ぼくが想像していたものより、もっと多様で―多神教と言ったのですが―選択肢の幅が広がった未来を想像出来ました。
→投稿者:資本主義の本質的残酷性(収奪、格差、差別、戦争など)については議論されず、したがって自覚もされなかった。Cさんは結局優勝劣敗の社会観から一歩も前に出ることができていない。

司会者E:Aさんは、そう言われていかがです?
経済学者A:そういう意味で言うと、資本主義には、社会主義的なものまで商品化して、お金儲けの手段にしてしまう力があって、歴史において、社会主義・共産主義は負け続けてきました。しかし、エコロジーの問題に直面するなかで、今までのあり方に縛られないような世代が出て来れば、少しは状況も変わってくるかなと、オプチミスティック(楽観的)に考えたい。
→投稿者:Aさんは資本主義の矛盾(とりあえず格差問題)をエコロジー問題に集約している。

歴史学者B:話をうかがっていて、豊かさだと思っていたのが、気がついたら睡眠時間が減ってしまったり、利他的だと思ったのが、いつの間にか搾取と区別がつかない状態になっていたり、そういうむつかしさが残るかもしれません。そういうときに歴史から学んだり、監視の目を光らせ、余裕を持って見別けられるようにする必要がある―今後の課題というか、直面している問題と感じた。
→投稿者:Bさんは、監視を強めれば資本主義でいいということのようだ。

社会学者D:CさんとAさんが××(聞き取れず)が…。
起業家C:いっかい、小さくてもいいですから、Aさんが思い描くコミュニティを作ってほしい。その実験をしたいと思いました。
社会学者D:今のところ、実験は失敗ばかりだから、本当にやるんだったら…。
起業家C:ぼくがコミュニティを作るときに、資本主義的な作り方をしちゃうんですね。敵を作り出したりとか…。
経済学者A:ポストキャピタリズムがやって来ましたら。
→投稿者:やっぱり、経済学者であり、コムニストではないから、政治革命の課題を自分に課さない。

司会者E:今日は新しい経済の形というものを考えました。ありがとうございました。
学生I:新しく出てきたシェアリングエコノミーではなく、大きな市場を持っているような××(産業?)で、利潤を上げるのが難しくなってきているので、(労働者は)長時間労働とか、低賃金で働いています。どうやれば、自分たちで自治をするようなコミュニティを作っていけるのか。にっちもさっちもいかなくなっていくという声もあり、不安であり、そういう点についてもっと話しを聞きたかった。
→投稿者:やがて資本が支配する戦場に出て行く学生にとって、その戦場の現象(長時間労働、低賃金、過労死など)と資本主義の本質との関係を鮮明化させることが求められていたが、学者たちはその期待には応えなかった。

学生D:私自身競争が好きなので、競争があってこその協調であると思っています。自己利益があってこその他の利益だと思っていたのですが、必ずしもそうではないということをみなさんが言っていたが、そうかなと思った。
→投稿者:勝ち上がってきた、すなわち他者を蹴落としてきた東大生の自信に満ちた素顔がある。このような人がやがては官僚となり、資本主義社会の骨格を形成していくのだろう。

学生J:Aさんの話が近くて、共感した部分があって、めざす未来は同じなのかなと思いました。欲望の国の若者ですが、私はそんなに欲望は強いわけではなくて、のんびりいければいいなと思う一方、××(聞き取れず)、まさにジレンマです。
→投稿者:この討論を聞いていた学生からは、起業家もマルクス経済学者もめざすところは同じだと思われてしまった。コムニストの登場が待たれる。

ナレーション:あらゆる物を商品に変え、走り続ける資本主義。モノからコト、コトから心、次は何が商品になるのか? 欲しいから商品になる、商品になるから欲しくなる。目的と手段が逆転するパラドックスを、わたしたちは超えていけるのか。資本主義のジレンマを超えて、対話は終わらない。(終わり)


全体を通しての総括は、乞う次回。
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