アジアと小松

アジアの人々との友好関係を築くために、日本の戦争責任と小松基地の問題について発信します。
小松基地問題研究会

『学校に思想・良心の自由を―君が代不起立、運動・歴史・思想』を読む

2016年12月01日 | 読書
『学校に思想・良心の自由を―君が代不起立、運動・歴史・思想』を読む

 『学校に思想・良心の自由を―君が代不起立、運動・歴史・思想』が届いた。不二越強制連行訴訟に取り組んでいた頃から、「学校にたいする君が代斉唱、日の丸掲揚の強制を憂慮する会」と細々と繋がっていたからだ。毎回送られてくる『たみがよ通信』は文字が小さくて、なかなかちゃんとは読めなかったが、その時どきの状況を知らせてくれた。

 目次から注目すべき項目を選んで読みはじめた。「教科書・副教材叙述の問題と歴史教育への政治介入」(田中正敬)、「特別の教科道徳と私たちの課題」(藤田昌士)、「日の丸・君が代強制と良心的不服従」(安川寿之輔)、「戦前戦後の学校教育と日の丸・君が代」(藤田昌士)を読んだ。そのなかから3つについて感想を述べたい。

(1)「教科書・副教材叙述の問題と歴史教育への政治介入」(田中正敬)
 今春、道徳教科書問題に取り組んだので、再確認のつもりで読みすすめた。田中さんのテーマは準教科書『江戸から東京へ』批判である。学習の目的は「わが国と郷土にたいする愛着と誇りをもつとともに、国際社会の平和と発展に貢献する」とされているが、歴史修正主義者がよく使う手で、両者の関係に関する説明はなく、「国際社会の平和と発展」をダシにして、愛国心の涵養を目的にしている。

 江戸期については、牧歌的な情景描写に徹して、過酷な支配と抵抗については一切叙述していない。幕末・維新期についても、秩父事件を「暴民」として描いている。天皇の戦争責任については触れず、アジア太平洋戦争の原因をアメリカになすりつけている。アジア侵略・植民地支配については曖昧にし、強制連行・強制労働・「慰安婦」強制に関する記述がない。まさに歴史修正主義にもとづいた教科書である。

 関東大震災時の朝鮮人虐殺については、2013年版では「虐殺」から「朝鮮人の命が奪われた」と書き替えられた。

 2014年には『中学校学習指導要領解説』や「義務教育者学校教科用図書検定基準」が改定され、関東大震災の朝鮮人虐殺被害者数は「数千人」「六千人あまり」から「230人あまり…数千人になるともいわれるが、通説はない」へと記述変更が強いられた。

 また、「アイヌの人びとの土地を取り上げて、農業を営むようにすすめました」から「アイヌの人びとに土地を与えて、農業中心の生活に変えようとしました」に変更させられた。「取り上げる」から「与える」へと180度ひっくり返されている。

 いま、子どもたちには、歴史的事実を無視したとんでもない歴史教科書が渡されているのである。

(2)「特別の教科道徳と私たちの課題」(藤田昌士)
 1999年に「21世紀日本の構想懇談会」の報告書には「国家にとって教育とはひとつの統治行為」「(義務教育とは)納税や遵法の義務と並んで、国民が一定の認識能力を身につけることが国家への義務」と記載されている。
 戦前の話しではなく、「教育を受ける権利」を謳っている日本国憲法下でのことである。2006年に改悪された新教育基本法では、「伝統と文化を尊重し、それらを育んできたわが国と郷土を愛する」とされ、愛国心の養成が図られている。

 その延長線上に、2018年には「特別の教科 道徳」を定めた小学校学習指導要領が施行され、2019年度から「道徳」の検定教科書が使われる。すでに育鵬社から『13歳からの道徳教科書』『はじめての道徳教科書』が発行され、文部科学省は『私たちの道徳』を全国の児童生徒に配布している。

 育鵬社版『道徳』は、「清明心」を主徳あるいは元徳、つまり中心的な価値として編集している。「清明心」とは「君民一体の肇国の道に生きる心」である。これは検定道徳教科書にへとバトンタッチされ、天皇制教育への決定的転換点を迎えようとしている。教育目標・内容・方法への国家の介入を阻止するたたかいが喫緊の課題となっている。

(3)「日の丸・君が代強制と良心的不服従」(安川寿之輔)
 安川さんは福沢諭吉について書いている。私たちは学校教育のなかで、福沢諭吉の『学問のすすめ』にある「天は人の上に人をつくらず人の下に人をつくらず」という言葉から、尊敬に値すべき人物として教えられてきた。

 ところが、実は、その末尾に「と云へり」という言葉が着いていて、福沢はアメリカ独立宣言から引用した天賦人権論に同意していないということが福沢の真意であった。このような誤読は丸山真男や司馬遼太郎らによって形成されてきたという。

 安川さんは次々と福沢諭吉の化けの皮を剥いでいく。他の文献からの引用も含めて列記する。

 福沢は日本の民衆一般を「馬鹿と片輪(かたわ)」と蔑視(べっし)しただけでなく、「百姓町人の輩(やから)は…獣類にすれば豚の如きもの」と主張した。

 福沢は、アジアへの武力行使と侵略を合理化するために、アジアの未開と野蛮を強調。朝鮮が「小野蛮国にして…我属国と為(な)るもこれを悦ぶに足らず」「朝鮮…人民は正しく牛馬豚犬」「チャンチャン…皆殺しにするは造作(ぞうさ)もなきこと」「支那兵…と戦う…じつは豚狩のつもりにて」「無智蒙昧(むちもうまい)の蛮民(ばんみん)」の台湾人は、「殲滅(せんめつ)の外に手段なし」などと主張した。

 福沢は、明治日本には「愚民を篭絡(ろうらく)する」詐術(さじゅつ)の天皇制が必要と主張し、日本の兵士に天皇のための戦死を求め、兵士が「以て戦場に斃(たお)るるの幸福なるを感じせしめ」るための、靖国神社の軍国主義的利用も提言した。

 福沢は「一身独立して一国独立する」という定式で「国のためには財を失ふのみならず、一命を抛(なげうち)て惜(おし)むに足ら」ない国家主義的な「報国の大義」を主張していた。だからこそ、安倍首相は、施政方針演説の冒頭に、この定式を引用して、「強い日本」を創るとした。

 福沢は「富国強兵」に反対し「強兵富国」のアジア侵略路線を先導した。明治の同時代人からは、「我日本帝国ヲシテ強盗国ニ変ゼシメント謀ル」道のりは、「不可救ノ災禍ヲ将来ニ遺サン事必セリ」ときびしく批判されていた。

 福沢は「今の社会の組織にては、…貧はますます貧に沈み…貧乏人に開運の日は無かるべし。…富豪の大なるものをして益々大ならしめ」よと主張し、今日の「格差社会」への道を先取りした経済人だ。

 福沢は「韓国併呑(へいどん)」の可能性を予告し、「満蒙(まんもう)は我が国の生命線」発言の先駆者であった。中国の半植民地化が進む時代に、帝国主義諸国による植民地獲得は「世界人道の為め」と主張して、日本の膨張主義への道を励ました。

(3)この本を読んで下さい
 「学校にたいする君が代斉唱、日の丸掲揚の強制を憂慮する会」は、教育現場でのたたかいを側面からも後方からも抱え込むように支援している。たたかう教員の最前列に立って、口角泡を飛ばして主張する学者・知識人の姿がある。

 私たちは束になって、政府による教育支配に立ち向かわねばならない。本書はそのたたかいと歴史と理論の総集編である。「憂慮する会」は財政的にも厳しいなかで、あえてこの本を出版したという。この本が売れれば、財政にも運動にもプラスになる。ぜひとも皆さんに購読していただきたい本である。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 地方自治を考えるために | トップ | 12/5 志賀原発訴訟第21回口... »
最新の画像もっと見る

読書」カテゴリの最新記事