この前買った本「宇宙は『もつれ』でできている」をずっと読んでいる。なんとか半分を超えたが、科学に素人の僕には難解で、四苦八苦しながら喰らいついているといったところだ。本の帯には「直観と論理の狭間で、物理学者がもがく」とあるくらいだから、一般人はもがくくらいでは済まされないのである。
理論はともかく、どうしても解けない難問を世界最高の頭脳を持つ人たちがああでもこうでもないとやり合う様子を読んでいると、壁を突破する困難さは天才だろうが凡人だろうが、まったく同じだということだけはわかる。
ある議論についての話で、その中で解けないパラドクスについてこんな冗談が書いてあった。「もし自分で髭剃りをしない男性全員の髭を床屋が剃るなら、誰が床屋の髭を剃るのか」。これだけ読めば、床屋が自分で剃ればいいじゃないか、と思うが、問題はパラドクスの話だから、床屋ではなくても医者を誰が治すのか、でもいい。要するに、もうひとり別の床屋なり医者がいれば問題は解決するのである。
で、この話を読んですぐに連想したのが、この前観た富山チューリップテレビが制作したドキュメント映画「はりぼて」だ。富山市の税収入が足りなくて、公共サービスがきちんと行えないにも関わらず、市議会で議員の給料アップの話が賛成多数で可決した。これはおかしいというので、チューリップテレビが調査を始めると、出て来る出て来る、市議会員たちの不正流用が次々に明るみになり、最終的に十数名の辞職者を出したのだ。
なんたって、議員の給料を決めるのが、議員自身だというのだから、これこそ冗談に近いパラドクスである。そんな議会が、自分たちの給料を上げようとし、議会を開いているのだから開いた口が塞がらないのだ。
同じことは国会議員の議員数削減の話である。かつて民主党が政権を取った時、野田さんと自民党の安倍さんが党首討論をし、議員数の削減が議題になった。が、結局その後自民党が議席を取り戻し第一党になると、議員数削減の話はどこかへ消え失せてしまった。なんたって、議員の数を決める話を、当の国会議員がするのだから、積極的に「減らしましょう」なんて言う議員はひとりも出てこないのである。
なぜ、議員の給料を自分たちで決めるのか、議員の数を自分たちで決めるのか。こんなおかしなことはない。せめてそこだけは別の有識者たちが決めるべきである。このままだと、どんなに日本国民の数が減ろうが、国民全体の所得が減ろうが、何ひとつ改革されずにいるだろう。
理論はともかく、どうしても解けない難問を世界最高の頭脳を持つ人たちがああでもこうでもないとやり合う様子を読んでいると、壁を突破する困難さは天才だろうが凡人だろうが、まったく同じだということだけはわかる。
ある議論についての話で、その中で解けないパラドクスについてこんな冗談が書いてあった。「もし自分で髭剃りをしない男性全員の髭を床屋が剃るなら、誰が床屋の髭を剃るのか」。これだけ読めば、床屋が自分で剃ればいいじゃないか、と思うが、問題はパラドクスの話だから、床屋ではなくても医者を誰が治すのか、でもいい。要するに、もうひとり別の床屋なり医者がいれば問題は解決するのである。
で、この話を読んですぐに連想したのが、この前観た富山チューリップテレビが制作したドキュメント映画「はりぼて」だ。富山市の税収入が足りなくて、公共サービスがきちんと行えないにも関わらず、市議会で議員の給料アップの話が賛成多数で可決した。これはおかしいというので、チューリップテレビが調査を始めると、出て来る出て来る、市議会員たちの不正流用が次々に明るみになり、最終的に十数名の辞職者を出したのだ。
なんたって、議員の給料を決めるのが、議員自身だというのだから、これこそ冗談に近いパラドクスである。そんな議会が、自分たちの給料を上げようとし、議会を開いているのだから開いた口が塞がらないのだ。
同じことは国会議員の議員数削減の話である。かつて民主党が政権を取った時、野田さんと自民党の安倍さんが党首討論をし、議員数の削減が議題になった。が、結局その後自民党が議席を取り戻し第一党になると、議員数削減の話はどこかへ消え失せてしまった。なんたって、議員の数を決める話を、当の国会議員がするのだから、積極的に「減らしましょう」なんて言う議員はひとりも出てこないのである。
なぜ、議員の給料を自分たちで決めるのか、議員の数を自分たちで決めるのか。こんなおかしなことはない。せめてそこだけは別の有識者たちが決めるべきである。このままだと、どんなに日本国民の数が減ろうが、国民全体の所得が減ろうが、何ひとつ改革されずにいるだろう。