九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

見せしめのために大阪広域停電を画策する民主党政府    あんころもち

2012年04月14日 14時15分55秒 | Weblog
 以下は4月9日付の「朝日」が伝えるところです。
 これによれば、何が何でも大飯原発再開に狂奔する民主党政府の閣僚から、「こうなったら大阪を広域停電させるしかない」との「強硬論」が出ているとのことです。
 「強硬論」というより完全に理性を失った「狂硬論」というほかありません。

 この発言は、再稼働を渋る大阪への恫喝であり、見せしめのほのめかしであり、その辺の暴力団よりもたちが悪いというべきです。
 それは、大阪近辺の居住者にとどまらず、日本全国の「原発要らない派」に対する脅迫行為でもあります。
 警視庁や検察庁は、民主党内閣を国民に対する重大な恐喝行為の実行犯として告発すべきです。
 かねがね、民主党なんて自民党の別働隊ぐらいに思っていましたが、ここまで堕落しているとは…

 下はそれを報じる紙面。赤い丸部分がそれ。
 その下はその部分を拡大したもの。




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保安員の大罪(60) 「原発行政の舞台裏」 文科系

2012年04月14日 12時35分17秒 | 国内政治・経済・社会問題
 中日新聞は今、素晴らしく好感が持てる。今日の着目は「発言」欄にある「編集部デスク」。その見出しがこれ、「原発行政の舞台裏」。抜粋と、後で一言。
 何回も言うが僕のこの「保安院の大罪」シリーズは、「それ見たことか?」と叫ぶ内容のものではない。何せ恥ずかしながらこの僕、この事故が起こるまでは原発問題はこの上なく弱かったから、そんな風に語る権利など全く持っていないのである。mox燃料さえ知らなかったのだから。よって3・11以降のここでの動き出しも、他の方よりは圧倒的に遅かったはずだ。僕がここで問題にしてきたのは、「事故が起こってからの経産省・保安院の態度」。まるで国民を人とも考えていないような事故処理だと感じた。そして、「こんな官僚たちが、過去に自民党を、今は民主党主流派を操っている。自民党とともに没落していかねばならぬ奴等の、逆に開き直った悪あがき!」と感じた。自己責任を免れるために、国民をどれだけ犠牲にしても知らぬ顔とでもいうような。この「原発行政の舞台裏」にも、それが良く現れている。

【 (前略)「少し前の話でもできるだけ掘り下げよう、特に原発問題は」。そんな思いで社会部取材班は浜岡原発停止をめぐる官邸と経産省の主導権争いを先日詳しく報じました。多くの政治家や官僚に取材し、停止が決まるまでの十日間を再現しました。浮かび上がったのは経産省が浜岡停止と引き換えに他の原発を動かそうとうごめいていた実態です。
 取材班は先月には、福島原発事故直後の米原子力規制委員会の議事録を詳報しました。公開された英文書は三千ページに上り、記者たちは頭を抱えましたが、「最悪のシナリオだ」などという生々しい議論は貴重な記録で伝えるべきだと一週間格闘して記事にしました。
 米国と違って、日本は原発事故に関する会議録はほとんど残していません。多くの教訓を生かす気がないのでしょうか。だから一層記者たちは眼前の再稼働問題を追いかけながら、「隠された事実はないか」と原発行政の舞台裏に強い視線を注いでいます。
(編集局次長 臼田信行)】

 こういう決意だからこそなのだろう。最近の中日新聞には、情報公開請求で政府から勝ち取った記事がよく見られる。そんな一つことわり付きの記事が、今日の紙面にも載っていた。【「東京も避難」一時議論 原子力災害対策本部 震災翌日】。三面左下の小さな記事であるが、これの持つ意味は、限りなく大きい。再稼働一色の五人組が「のど元過ぎれば熱さ忘れる」とならず、この時の「熱さ」をいつまでもよーく覚えていて欲しいものだ。
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新聞の片隅に載ったニュースから(8)   大西五郎

2012年04月14日 09時41分39秒 | Weblog
大西さんの、新聞の片隅に載ったニュースから(8)を転載します。らくせき


「自民、集団的自衛権で法案」(’12.4.13毎日新聞)

「自民党の国防部会と安全保障調査会は12日の合同会議で、
政府の憲法解釈の変更により集団的自衛権の行使を可能にする
『国家安全保障基本法案』をまとめた。近く総務会などの党内手続きに入る。
ただ、会議では『憲法解釈の変更ではなく、改憲すべきだ』との異論も出ており、
難航する可能性もある。政府の憲法解釈では集団的自衛権の行使を禁じているが、
法案では、個別的・集団的自衛権は国連憲章に定められているとし、
その行使の条件を『わが国あるいはわが国と密接な関係にある
他国に対する外部からの武力攻撃が発生した事態』とした。」

 見出しも小さく1段、本文15行の小さな記事でした。
朝日新聞も「安全保障法案まとまる」としてやはり1段14行で報じていましたが、
目につきにくく、読み落とした方も多かったと思います。

 「同じ日の新聞では大村愛知県知事の「東海大志塾」が
開講したというニュースが大きく扱われていました。
朝日新聞が「大村政冶塾600人参集 定員の6倍 県議・前市議も
 橋下氏との連携強調」と3段見出し、参加者強調の写真付き。
毎日新聞も「大志塾開講 閉塞感打破探る 参加者大村知事に期待」と
4段見出し、写真付き。
読売新聞は「大村知事の政冶塾開講 「維新」との連携めざす」(3段見出し)と
「大村塾『独立論』1時間半 橋下さんは関西 私は東海」
(横見出しと2段見出し、写真付き)の二つの記事の組み合わせ。
中日新聞は「衆院選を視野 大村塾に650人 『三大都市圏は独立を』」
(2段見出し、大村氏の写真付き)と他紙に比べこじんまりとした扱いでした。

 「政冶」より「政局」報道に熱心な新聞としては、
「まだ正式な法案として国会に提出されていない」と
このような扱いになったのだと思います。
憲法の根本に関わることなのに!! 
解釈改憲で日本が「密接な関係のある国」との集団的自衛権を
行使できるようにしようということは、
アメリカが世界中で戦争していたら(攻撃を受ける訳ですから)、
同盟国として一緒に戦争をしに行こうということを想定しているのだと思います。
そういう危険性を指摘することこそ、メディアの役割です!

                                       大西 五郎

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収束宣言と再稼働のお寒い話            あんころもち

2012年04月13日 15時05分59秒 | Weblog
 フクシマの事故は終息いたしました。
 さあ、次は再稼働です。  
 ではその前に、これをご覧ください。  
 http://www.youtube.com/watch?v=CezLuBZqd8U  
 これが終息の実態。
 こんな程度の安全意識で再稼働?  
 殺人鬼の考えることだ!
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ありゃりゃ・・・・???   らくせき

2012年04月13日 09時06分52秒 | Weblog
北朝鮮が発射したというキンキュウニュース。
右往左往・・・・
もし本当に打ち上げていたら・・・

もう遅い。
あの大騒ぎはなんだったんのだ???



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保安院の大罪(59) これも、経産省が黒子だろう  文科系

2012年04月13日 07時22分13秒 | 国内政治・経済・社会問題
『「チーム仙谷」再稼働主導 首相・閣僚4者協議 形だけ』

「4月11日の東京新聞朝刊一面の見出しには驚きました」という書き出しで始ったのが、阿修羅掲示板のメジナという投稿者の記事。「以下に記事の全文を掲転載しますので是非お読み下さい」という部分のみを転載します

●「チーム仙谷」再稼働主導 首相・閣僚4者協議 形だけ
 2012年4月11日 東京新聞

 関西電力大飯(おおい)原発の再稼働問題で、野田佳彦首相と関係三閣僚が頻繁に会合を開き、議論している。だが、再稼働問題は実質的には仙谷由人党政調会長代行が中心となる通称「五人組」が、水面下で議論を仕切っている。そして首相らの四者の協議は、それを追認するような形だ。
 まさに政府・与党、さらに財界、霞が関が一体となって「再稼働ありき」を進めようとしている構図が浮かび上がる。
(城島建治、関口克己)

 野田首相、藤村修官房長官、枝野幸男経済産業相、細野豪志原発事故担当相。この四人の協議が再稼働を決める。だが四者協議の議論を先導し、事実上政権内をまとめる枠組みが、昨年秋、非公式に出来上がっている。四者協議のメンバーでもある枝野、細野の両氏と、仙谷氏、古川元久国家戦略担当相、斎藤勁官房副長官の五人組。リーダー格は仙谷氏で「チーム仙谷」とも呼ばれている。

 仙谷氏は国家戦略担当相、官房長官、党代表代行などの要職を歴任。枝野氏、古川氏も一員の前原誠司政調会長を支持するグループを束ねている。昨年八月の党代表選では決選投票で野田氏支持に回り、首相誕生の立役者となった。その政策力と政治的腕力には野田首相も一目置く。仙谷氏は菅政権で官房長官、副長官としてエネルギー政策を担当し、官邸を去った後も仕切り役を続ける。野党時代から電力会社とのつながりがあり、霞が関や党内ににらみが利く仙谷氏が頼られ続けている格好だ。
 野田首相と藤村氏は昨年末以来、消費税増税問題に忙殺されてきた。そのこともあり再稼働問題は長い間、五人に任されてきた。五人の議論は人目につきにくいホテルなどが選ばれる。東京電力をどう再建するか。電力会社の地域独占体制をどう破るか。そして再稼働問題。政府の新成長戦略の旗振り役を担ってきた仙谷氏は、電力不足は経済成長の阻害要因になると考えている。早い再稼働を前提に議論を進めてきた。そして、一連の議論は党内でも、知る人は少数にとどまる。

 五人が出す方向性を正式に認める形の四者協議も再稼働を前提として生まれた。昨年七月。九州電力玄海原発2、3号機(佐賀県玄海町)の再稼働が政治日程に上っていた時だ。当時の菅直人首相は閣内に根回しなく「新たなルールを作って、国民が納得できる判断が出るよう指示する」と表明。再稼働を考えていた他の閣僚と衝突した。当時の菅氏は、脱原発を進めて延命を図る野心もあり、衆院解散も頭をよぎっていた。この時は当時官房長官だった枝野氏が、再稼働の決定は、首相だけでなく官房長官、経産相、原発相を含めた四人で決定することを提案。菅首相にのませた。つまり四者協議は脱原発に走る菅氏を止めるためにできた。再稼働のツールだった。
 四者の協議は四月三日の初会合後、九日までに計四回、慌ただしく回数をこなしているが、各回の所要時間は平均約一時間。首相が枝野氏に求めた新しい安全基準も、関西電力に求めた安全対策の工程表も、指示を待っていたかのように次の会合までに提出されるなど、出来レースを思わせる展開が続いている。
 経団連の米倉弘昌会長ら財界首脳は「安定した電力供給がなければ、生産拠点の海外移転が加速する」などと、政府に圧力をかけ続けている。そんな経済界の動きを、経産省は歓迎している。監督官庁として稼働する原発をゼロにしたくない。五月五日、北海道電力泊原発3号機が停止するまでに大飯原発が再稼働しなければ全国で五十四基ある原発は一基も動かなくなり「原発なしでも大丈夫」という機運が高まる。その事態を避けたいという利害では財界と一致する。
 経産省だけでなく財務省も後押ししている面がある。総合特別事業計画で、政府は今夏に一兆円規模の公的資金を投入する方針だが、再稼働しなければ、東電は安定経営ができず、さらに税金投入が必要になると想定しているからだ。財務省の勝栄二郎事務次官も野田首相に直接、再稼働を働きかけている。
 オール財界、オール霞が関が、もともと再稼働をめざす政権を後ろから押している。

(転載終わり)
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新聞の片隅に載ったニュースから(7)   大西五郎

2012年04月12日 16時08分52秒 | Weblog
大西さんからの原稿を転載します。  らくせき

「シニア力役立てたい」(’12.4.12中日新聞)
       市仕分け廃止判定鯱城学園に568人入学

「名古屋市が昨年実施した事業仕分けで「廃止」と判定された
高年大学『鯱城学園』の入学式が十一日、中区栄の鯱城ホールであった。
平均年齢六十八歳の新入生を代表し、犬飼忠昭さん(67歳)=北区=が
東日本大震災の被災地支援や地域活性化などに
『シニア力を役立てたい』と決意表明した。
学長の河村たかし市長は式辞で『学生一人当たり十二万円の税金が使われている。
税の使い道として公平か、どう改善したらええか身をもって勉強して』と述べた。」

 鯱城学園は60歳以上の高齢者の学習の場として1986年に名古屋市が設立。
園芸、福祉など10の学科があり、学生は年70~90日程度登校し、2年で卒業します。
ところが昨年11月に行なわれた市の事業仕分けで
事業内容は老人クラブなどで賄えるとして「廃止」という結論になりました。
運営を委託する社会福祉協議会との契約が2013年まで残っているため、
当面存続することになっています。

事業仕分けは、河村市長が市の事業のうち不要だと考えるものについて
外部の意見を聞くために行なったもので、
鯱城学園の他、敬老パス(仕分けでは「見直し」の結論)、女性会館など
31の事業について行いました。
進め方は市が依頼した“有識者”が市の担当者に問題を提起し、
そのやりとりを聞いていた市民の代表(20人づつ2班)が
「廃止」「見直し」「存続」を判定し、市の予算編成に反映させるというものです。
公開で行なわれましたが、傍聴していた人の感想では、
市民の判定員からはあまり発言もなく、“有識者”の問題提起に影響された
結論となる場合が多かったということです。

 私が疑問に思うのは、例えば鯱城学園の場合、リタイアした人たちの
文化を学ぶ意欲やそのための施設や機会を得ることがどのくらい難しいことか、
“有識者”とされる現役の大学教授が理解しているだろうか。
また敬老パスでも使用している人が70%弱しかいないということが
「見直し」の理由になったということですが、
65歳すぎても車を運転している人が結構多いことや、
地下鉄を利用する場合、階段の昇り降りが苦痛で家人に車の運転を頼んだり、
タクシーを利用している人が敬老パスを使っていない、
つまり敬老パスなどは要らないというのではなく、
使いたくても使えない人がいる一方、
必要な人にとっては必需品になっているということが分っていたのだろうか。
具体的な事情について「知識を有しない人」が
結論を誘導していたのではないかということです。

 大阪の橋下市長も設置した市改革プロジェクトチームも
敬老パスや学童保育事業補助金の廃止など30項目以上の見直しを行なっていますが、
河村市長にしても、橋下市長にしても、
市民の税金である市の財政で人々の生活を潤すという観点を
忘れて効率主義に走るのは「改革」ではありません。

                                       大西 五郎

らくせきの蛇足
こうした市民へのサービスが経済的に不要というか、
税金の無駄遣いという効率主義は、じつは経済の発展を
阻害しているのでは、ないでしょうか?
今、高齢者はお金を使わずに、老後の心配から、投資に回しています。
この投資が円高をうみ、円高が雇用を縮小再生産を生み・・・という悪循環。
この高齢者のお金を使わせることが、成熟した日本経済の
活性剤になるという考え方もあるのですが・・・
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保安院の大罪(58)「浜岡全面停止10日間の攻防」  文科系

2012年04月12日 10時25分46秒 | 国内政治・経済・社会問題
 昨日の中日新聞朝刊に表題のことで、長く足で稼ぎまわってきたとうかがわれる詳細な記事が載っている。昨年5月6日、菅直人首相による「浜岡原発全面停止」発表の記者会見に至る攻防のことだ。その概要が1面トップ記事。ドキュメント風詳細記事には、実に12~13面全面を使い切っている。まず、大見出しなどに表現された問題の焦点を、次いで焦点部分の詳報をと進みたい。中日新聞なので、これを全国に伝える意義は大きいと思う。
 なお、この出来事について当ブログには、昨年5月7日、只今さんのこんな素晴らしいエントリーがあるので、後半で敬意を表してそのまま再掲させていただく。「浜岡全面停止」を首相が発表した11年5月6日の翌日にエントリーされた興味深いその記事の題名は、【「先ずはよかった」とは、言わない新聞各社】。この発表事件の直後から大マスコミによる菅直人叩きが急速に強まっただけに、今この上なく興味深いエントリーと読んだものだ。

 さて、昨日の一面トップ大見出しは、こうだ。なお以下【 】『 』は記事引用を示す。
【他の原発再稼働布石に 浜岡停止舞台裏で経産省】
【官邸反発 発表を阻止】
 『「浜岡を止めて、他の原発を立ち上げるシナリオを詰めてみたい」』。これは経産省松永次官が海江田経産相と合意しあった言葉。『浜岡を停止することで国民感情を和らげ、他の原発を再稼働させる狙いだった』。菅直人首相が、海江田経産相からこの経産相方針記者会見を聞いたのは、会見の三時間前と、極秘に事は進められて行った。
『(菅首相)官邸側は、経産省の発表では他の原発を容認することになりかねないと警戒。経産省が事前に作った発表文を見た福山哲郎官房副長官は「(他の)原発を動かすというメッセージ」と漏らした』
『首相は、「俺が会見する」と発言し、主導権を握った』
問題の焦点はこういうものだったと言える。3号炉は定期点検停止中、これの11年7月再稼働予定を止めるだけでなく、12年春に点検停止に入る4、5号機も即止めるのか否か。この点では、当時すでに経産省も首相も一致していた。最大問題はこういうことだ。一つは、「最後まで法的根拠を見つけることができなかったこの停止『要請』」を、経産相による行政指導にとどめ、今後他原発を立ち上げるガス抜きにしようとする方向。他方が、この発表をきっかけに「脱原発」世論を強めようと図る首相(官邸)の方向。つまり、首相が発表する「全面停止」は行政大権命令というに等しく、菅首相がそうしようと図ったように、現実に「脱原発」方向が勢いづく。

 さて、この攻防の山場を見てみよう。
 「総理、お時間ありますか」。5月6日、官邸4階で開かれた原子力災害対策本部会議終了後の正午前、海江田経産相が首相に耳打ちした言葉だ。即、首相執務室で会議が始まる。参加者は当人二人の他、枝野ら首相官房関係者と、審議官など経産省関係者。海江田は、5日に行った浜岡視察の簡単な報告をするとともに、3時間後に迫っていた浜岡全面停止記者会見の首相了承を手早く取り付けたかったのである。経産省外には極秘に会見発表文案までを完備するまでに進められてきたこの動向に、首相は寝耳に水。『「本当か。全部で、平気なのか」と念を押す菅』とある。内心大喜びしただけに、「経産省が?」と疑心暗鬼になって、首相は質問攻めを続けいていく。浜岡の災害確率データのこと、法的強制力が無い問題から、『「中電に拒否されたらどうするんだ」』まで。枝野官房長らも言い出した、『「こんな大事な会見は総理がやった方がいい」』。午後4時に予定した海江田経産相会見は中止に追い込まれて、夕方に再協議することになった。
午後4時半から再協議。新たに、官房副長官・仙石由人(彼には経産省よりの発言が多いと、この記事でよくわかる)、経産省事務次官も出席している。結果は、浜岡以外の安全声明・再稼動に力点があった経産省文案は全面破棄されて、『「脱原発」の序章になってしまった』。これを受けて5月9日、中電水野社長は記者会見に及び『「首相からの要請は極めて重い」』と、全面停止を受け入れたのである。続く13日、4号機停止、14日、5号機停止と事態は劇的に進んだ。そんな年表ならぬ月表?までが、この記事には大きく付されている。

【 「先ずはよかった」とは、言わない新聞各紙。     只今
2011年05月07日 | Weblog 
「電力会社関連の広告宣伝費は総計壱千億円近くに達するが、これは単に企業イメージ向上や原発推進のためのPRのためではなく、いざというときのために必要」な経費、という『週刊現代』の記述を検証するために、浜岡原発停止要請を受けた翌日(5月7日)各紙を見てみた。2面と呼ばれる総合面、3面と呼ばれる社会面、そし経済面と1面のそれぞれの見出し。
 【総合面】
  『中日』 「原発不安背景に 退陣論弱める狙いも」 「震源域立地に危機感」
      「需給の中味示して」 「浜岡だけ対応疑問」 「御前崎市長憤り」 
  『朝日』 「浜岡ストップ 突然」 「首相、参与進言機に」 「新しい安全性 得る機会に」 
  『毎日』 「東海震源域の真上」 「他原発と切り離し」 「安全強化を強調」
  『読売』 「製造業集積中部に打撃」 「他原発ショック」 「十分な検討形跡なし」
  【社会面】
  『中日』 「否定された安全」 「計画停電困る」 「中電 寝耳に水」 「医療、産業どうなる」
  『朝日』 「浜岡停止 生活は」 「安全性検証すべき」 「なぜ浜岡だけ」
  『毎日』 「唐突」 「英断だ」
  『読売』 「突然停止に地元驚き」「仕事失う人もいる」「市民 節電で乗り切る」
 【経済面】
  『中日』 「ものづくり直撃不安」 「トヨタ復旧に狂いも」 「供給源どの程度」 「安定供給綱渡り」
  『朝日』 「節電強いられれば、経済補完役できぬと東海企業」
  『毎日』 「生産混乱拡大懸念、経済界猛反発」
  『読売』 「中電、営業赤字転落も」 「発電コスト上昇」
  【1面】
  『中日』 「安全重視した決断」
  『朝日』 「防潮堤新設まで」 「夏の電力どう維持」
  『毎日』 「東海地震対策完成まで」 「世界の不信感に対応」
  『読売』 「防波壁設置まで」 「電力供給夏に切迫」
 
 以上で注目した点。
  (一)いずれも、「夏の電力をどうするか」と心配。しかし、NHK「ニュース深読み」では、想定消費量とトントンでなんとか乗り切れる」と解説。
  (二)「英断に敬意」との静岡県知事談は小さく、「なぜ浜岡だけ」と言う御前崎市長を大きく扱う。これはテレビも同じ。 】
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              五人組と切腹の話      只今

2012年04月11日 17時43分38秒 | Weblog
  ●『再稼働〈五人組〉ー霞ヶ関・財界同調』というのは、今日の『中日=東京新聞』の記事見出し。
   五人組とは、頭領の仙石政調副会長はじめ、古川、枝野、細野の3大臣と斎藤官房副長官。
 
  ●五人組と言えば、その用語は2日前の毎日放送で聞いたばかり。
   その用語は、福島原発で働く作業員が次のような形で口にした。
    “ 東電ですか? いっとき、しおらしかったですが、また元に戻りつつあるんでは…。
     あぁ、あんまり言うたらいかん。きみたちは○×から請けてきた五人組。
     誰か一人でも問題起したら、全員もういいということになる、
     代わりは幾らでもいるから…と言われてから… ”

  ●作業員が脅された言葉は、非常にはっきりしている。
   これに対して五人組の一人である枝野大臣が連発している「おおむね」という用語はどうか。
   「おおむね」とは、漢字では「概ね」の〈だいたい〉ということであり、〈そうでないこともありうる〉ことを包含する用語。
   「おおむね安全」とは、「まだ危険」ということを意味する。

   思い起せば、3・11直後「直ちに」を連発したが、先月ホウレンソウから暫定基準値を超える放射性物質が検出された際、 
   「直ちに」が再び発せられた。
   「直ちに影響はない」ということは、「やがて影響が出てくることがあるかもしれない」ということである。 
   この用語に隠されているのは、明日は明日の風が吹く、無責任さである。
    
  ●その枝野大臣が、「責任」という用語を口にした。
   「再稼働した結果、万が一にも事故を起した時の政治責任をとる用意がある」
    政治的責任とは、大臣を辞めるか、せいぜい議員を辞することなのだろう。
    昔の公人の責任の取り方は、文字どおり、切腹することだった。
         
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新聞の片隅に載ったニュースから(6)    大西五郎

2012年04月10日 19時15分37秒 | Weblog
大西さんの「新聞の片隅に載ったニュースから(6)」です。らくせき


初回の閣僚会合議事要旨を公開 首相以外は匿名(’12.4.10毎日新聞)

「政府は9日、関西電力大飯原発の再稼動をめぐり3日に初開催した
関係閣僚会議の議事概要を公開した。
70分間の会合に対し概要はA4版2㌻強。安全性の判断基準を示すよう指示した
野田佳彦首相以外は発言者を匿名とした。
原子力安全・保安院が同原発の緊急安全対策やストレステストの結果を説明し、
出席者からは『炉心損傷に至らない多重の防護があると分かりやすく整理すべきだ』
『さらに対策を講じて世界一の安全性を目指すべきだ』など、
再稼動に前向きな意見が出た。藤村修官房長官は9日の記者会見で、
今後も会合から1週間後をめどに概要を公表する方針を示した。」

大飯原発の再稼動をめぐって、安全性が確保されているかどうか、
周辺住民の理解が得られるかどうかを政治的に判断するための関係閣僚会議は
4月3日に初会合が持たれ、9日の4回目の会合で
関西電力から提出された安全対策の工程表を閣僚会議が決めた
安全性に関する判断基準に「おおむね適合している」と確認し、
さらに細部について議論した上で、近く「再稼動妥当」との判断を示す見通しと
言われます。(毎日新聞)

 関係閣僚会議をめぐっては、あまりにも早くに結論を出すのは
はじめに再稼動ありきではないかと、会議の進め方に疑問が出されていますが、
議事概要で発言者を匿名にしたのはなぜでしょう。
また議事録ではなく概要しか発表しなかったのはなぜでしょう。
そんなに国民に知られてはまずい発言が交わされていたのでしょうか。

 「公文書の管理に関する法律」は「行政機関における意思決定に至る
過程並びに当該行政機関の事務及び事業の実績を合理的に跡付け、
又は検証することができるよう、法令の制定又は改廃及び
その経緯、閣議、関係行政機関の長で構成される会議又は
省議の決定又は了解及びその経緯、複数の行政による申し合わせ又は
他の行政機関若しくは地方公共団体に対して示す基準の制定及び
その経緯について文書を作成しなければならない(要約)」と定めています。
ですから政府は当然閣僚会議が結論を出すに至った経緯を明らかにして、
国民の知る権利に応えなければなりません。

 政府は秘密保全法制についての有識者会議でも、
議事録を作っていないことが明かになりました。
今の政府の態度は「知らしむべからず、由らしむべし」です。
その姿勢を改めるべきです。

                                       大西 五郎

                     

小さいですが、日本の民主主義の根っこに関わる記事です。
名無しさんなど、9条批判派は、こうした話題に沈黙ですか?




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歴史に「前進後退」はやっぱり存在する   文科系

2012年04月10日 06時07分57秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 勉強家で、筋が通ったことを語られるという意味で敬愛しているあんころもちさんから、こういうご質問を受けた。左翼とはなんぞや、と。僕が自分の政治思想の形容にこの言葉を使うからであって、お答えしないわけにはいかないと思い立ち、ちょっといろいろ読み、あれこれと考えてみた。意外に奥が深く、重要問題も含んでいると分かったから、書くべきことの細かい目次など作りながら。以下は、答えというにはお恥ずかしく、周辺問題を多少整理した程度のものだが、お読み願えれば嬉しい。
 なお、左翼という言葉を改めて調べてみたからと言って、今後この言葉をここで使うかどうかは別の問題だと気づいた。時代とともに理解しにくくなった言葉を使うのは、控えた方が良いのかも知れない。

1 左翼を巡る、語源、広義、狭義
 どの辞書にも上の三つはほぼ書いてある。
 語源は、フランス革命の議長席から見て左側に急進派のジャコバン党が席を占めていたこと。
 そこから出た狭義が、急進的な社会主義、共産主義というものから、同じく急進的な無政府主義や自由主義さえも入るようだ。そして広義として「進歩主義」一般が上げられているものもあった。
 なお、語源がフランス革命時代のものである以上、マルクス主義(的歴史観)との対比から導き出される定義よりももっと広く構えて解明に臨んだ方が良いのだろう。現に今は、この語が社会民主主義にも適用されていることは明らかだし。社会民主主義とはまた、このように定義されるようだ。議会を通じて漸進的に社会改良を、富の再配分を通じた平等を図ろうとするもの、と。新自由主義の暴力が横行する社会、世界では、「富の再配分を通じた平等」の意味はこの上なく大きくなっている。

2 政治理念・目標と、その実現手段の問題
 1から、左翼という言葉には、二つの側面があることが分かる。一つは、「急」という側面、今ひとつが「進歩」という側面。そして、人が政治理念とか目標を持つ以上、それを「原理」的につまり長期的・多面的に語ろうと、短期的・局面的に語ろうと、その人にとっての政治の前進と後退が存在するのは明らかだろう。その場合、原理的確信が強いと急進的になりやすく、改良主義という言葉はまたいつしか「政治の前後進をも見えなくする」などと、二つの難関、問題点が存在するから、ことが難しくなる。
 そこで問題は、こういうことだろう。多くの諸個人に政治の前進後退観がある以上、多数人民にとっての「歴史の進歩」はあるのであって、問題はその「進歩」の中身、その明確化ではないか。過去の社会主義が民主主義を掲げながら人々を手段のように使い、無数に圧殺した(又、現にそうしてもいる)歴史を持つだけに、「進歩」の中身が難しくなっている時代なのだろう。ただ、「人間歴史の進歩」なんて、いつでもどこでも難しかったはずだ。
 意識を持っているから未来を目指すが、未来は常に未体験ゾーンであって、試行錯誤が人の常なのだ。だからと言って、「人類史の進歩」なんてナンセンスということにはならないと思う。それは、「個人が明日を目指して努力するのはナンセンス」ということにはならないのと、単なる比喩や類推ではなく、同じことではないか。明日を目指して勉学に励んでいる青少年に「そんなの進歩主義だ」とは、誰も言わないはずだが、何故社会に向けてはこんな言葉が存在するのだろうか。原子力村の学者のように、実質支配者側に立つ学者たちの「諦めに導く目くらまし」という意味でのイデオロギーの一つだと言いたい。国家社会での出世を目指す学者などは、左翼的な言葉をこの地上からかき消すことをその使命の一つともしているのだ。特に左翼的なものの考え方、考える方法に関わるような概念の抹消に努めているのではないか。

3 世界金融資本の「無政府的暴力」に抗して
 マルクス主義の、資本による人間圧殺分析の核心部分は、今でも正しいと僕は考えている。慢性的不景気、恐慌状態は恒常的に存在しても、目に見えた恐慌という国家の危機にはならないような「危機管理」がちょっと進んだだけのことなのだ、とも。現に、冷戦終結前後から野放しになってきた新自由主義経済が、一方で先進国に1割もの慢性的失業者を生み出しつつ、他方で莫大なマネーゲームに明け暮れ、その損失までを国家に穴埋めさせる時代になっているというのがその根拠だ。このように暴力的かつ無政府的なように理不尽なことを続けることができているのは、これらの根本的原因が国内だけに存在するのではなくって、世界的解決によるしかないことにあるのではないかとも観ている。
 ちなみに、この世界的解決という未体験ゾーンにも、人類は既に似た体験、実践を持っている。第一次世界大戦の総力戦悲劇を反省して以降、戦争違法化の流れ、国際法が急速に進んだことだ。有色人種も女性も同じように大切な命だという考え方が、かけ声だけではなく法的、実質的に広がってきたことと平行しながら。民主主義的国際経済も、同じような歴史必然的な流れだと思う。ただ、こういう流れは今は見えにくい。歴史には常に後退の時期もあるのであって、今はそういう時期だからだろう。後退の時期には、前進は見えにくいということだ。後退時期の現実に規定された短期的視野ではなく、数十年もの長い視野が必要だからではないだろうか。それはほとんど、学者の領域に近くなるということだ。学者の領域の視野は、各専門学者の労作自身を読むことによってしか得られないだろう。
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しゃにむに、密かに、不意打ち開戦へ   文科系

2012年04月09日 12時45分38秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 本日この前の旧エントリー再掲に続いて、その前々日10年11月20日に書いたものも、追加します。天皇の決断を待って、満を持したように外交交渉は放棄して、密かに、しゃにむに、開戦に至ったというわけでした。


【 太平洋戦争、右翼のデマに(番外編)  文科系
2010年11月20日 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 しゃにむに、密かに、不意打ち開戦へ
 前回のこのまとめ部分は、日米の戦争責任論議における最重要点だから、説明が要りますね。
「なお、この5日の御前会議の存在は、東京裁判の当初の段階では米軍に知らされていなかったということです。ハルノートとの関係、「日米同罪論」との関係で秘密にしておいた方が都合良かったと、著者は解明していました」

 米国務長官ハルの覚書が駐米日本大使に手交されたのが41年11月26日、外務省がこれを翻訳して関係方面に配布したのが28日でした。対して当時の日本政府はその行動を、このように説明してきました。ハルの、この4要求を「最後通牒」で「高圧的」と断定。それゆえ「自存自衛の為」(12月8日、宣戦の詔勅)の開戦を、12月1日の御前会議で決定、と。誰が考えても、国の運命を決めるような大戦争の決断経過としては動きが急すぎて、不自然です。この不自然さを、著者の吉田氏はこう解明していきます。

 そもそも1国務長官の覚書とは、1国の最後通牒などと言える物では、到底ない。よって、10月に退陣した近衛内閣が進めていたように、アメリカとの条件交渉の余地はまだまだ充分過ぎるほどに存在していたのである。対して、入れ替わったばかりの東条内閣が、ハル・ノートを最後通牒と断定し即戦争を決めたように語られてきたわけだが、これは完全に日本のあるタクラミに基づいている。その狙いは、
・生産力で10倍を遙かに超える差がある強大なアメリカの戦争準備が整わぬうちに、戦争を始めたかった。日中戦争進展にともなって臨時に大増強した太平洋周辺戦力はアメリカを上回っていたからだ。
・それも、完全に油断させておいて、不意打ちで開戦したかった。日本側は、十二分に準備を整えておいた上で。
・東条内閣は、発足20日も経たぬ11月5日の御前会議でもう12月初頭の開戦を決めていて、戦争にまっしぐらだったのである。その日に決まった「帝国国策遂行要領」をその証拠として、著者はこう書いている。
『「帝国は現下の危局を打開して自存自衛を完うし大東亜の新秩序を建設する為、此の際、英米欄戦争を決意し左記措置を採る」とした上で、「武力発動の時期を12月初頭と定め、陸海軍は作戦準備を完整す」と決めていた。引き続き外交交渉を継続するとされていたものの、実際には、その性格は開戦決意をカムフラージュするための「欺騙外交」としての側面をつよめてゆくことになる』
 なお、前にも述べたように、この11月5日の御前会議は、東京裁判当初までアメリカには隠されていたものである。以上のように軍人内閣のやり方は、「出来るだけ速く、密かに、しゃにむに戦争へ」「相手とは交渉を続けるふりをして油断させつつ」「それも、相手に知られない不意打ちで」というものであって、このことはその4にまとめた以下の事実によっても証明されている。
【『よく知られているのは、真珠湾への奇襲攻撃である』。開始8日午前3時19分、対米覚書手交4時20分というものだ。この点については従来から、こういう説があった。対米覚書の日本大使館における暗号解読が遅れたとされてきたのだ。これにたいする本書の解明はこうなっている。
『外務省本省は13部に分かれた覚書の最終結論部分の発電をぎりぎりまで遅らせただけでなく、それを「大至急」または「至急」の指定をすることなしに、「普通電」として発電していたことがわかってきた』】
 

 「アジア・太平洋戦争」の開戦原因に関わる経過を、最後にもう一度まとめておく。
1 「日本が、中国侵略から南部仏印侵略へという動きを強行した」
「このイギリス権益の侵害に対してなされた、アメリカによるたびたびの抗議を無視した」
「こういう日本の行為は、ドイツの英本土上陸作戦に苦闘中のイギリスのどさくさにつけ込んだものでもあった」
この間の上記の経過は、本書では結局、こうまとめられている。
『結局、日本の武力南進政策が対英戦争を不可避なものとし、さらに日英戦争が日米戦争を不可避なものとしたととらえることができる。ナチス・ドイツの膨張政策への対決姿勢を強めていたアメリカは、アジアにおいても「大英帝国」の崩壊を傍観することはできず、最終的にはイギリスを強く支援する立場を明確にしたのである』

2 そのアメリカに対しては、交渉するふりをして、その太平洋周辺戦力が不備のうちに、不意打ち開戦の準備を進めていった。
その直前の様相は、こういうことであった。
『(41年7月28日には、日本軍による南部仏印進駐が開始されたが)日本側の意図を事前につかんでいたアメリカ政府は、日本軍の南部仏印進駐に敏感に反応した。7月26日には、在米日本資産の凍結を公表し、8月1日には、日本に対する石油の輸出を全面的に禁止する措置をとった。アメリカは、日本の南進政策をこれ以上認めないという強い意思表示を行ったのである。アメリカ側の厳しい反応を充分に予期していなかった日本政府と軍部は、資産凍結と石油の禁輸という対抗措置に大きな衝撃をうけた。(中略)以降、石油の供給を絶たれて国力がジリ貧になる前に、対米開戦を決意すべきだとする主戦論が勢いを増してくることになった』
(終わり)】
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戦前日本は天皇主権であった  文科系

2012年04月09日 10時08分54秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 最新コメントの一つにお答えするために、以下の過去エントリーを再掲します。

太平洋戦争、右翼のデマに(番外編 その2)  文科系
2010年11月22日 | 歴史・戦争責任・戦争体験など太平洋戦争と天皇

 表記のことについて、右翼の方々はこのブログでもこのように語られてきた。天皇の統治権は形式的なものであって、戦争政策においても実際に何かを決めたというわけではない、と。そのことについてこの本(岩波新書日本近現代史シリーズ10巻のうち、その6「アジア・太平洋戦争」、著者は、吉田裕・一橋大学大学院社会学研究科教授)はどう書いているか。それをまとめてみたい

1 軍事法制上の天皇の位置 「統帥権の独立」
『統帥権とは軍隊に対する指揮・命令の権限のことをいうが、戦前の日本社会では、大日本帝国憲法(明治憲法)第11条の「天皇は陸海軍を統帥す」という規定を根拠に、この統帥権は天皇が直接掌握する独自の大権であり、内閣や議会の関与を許さないものと理解されていた。
 明治憲法上は、立法権、行政権、外交権などの天皇大権は、国務大臣の輔弼(補佐)に基づいて行使されることになっており、統帥権だけが国務大臣の輔弼責任外にあるという明文上の規定は存在しない。それにもかかわらず、天皇親率の軍隊という思想の確立にともない、制度面でも統帥権の独立が実現されてゆく。1878(明治11)年の参謀本部の陸軍省からの独立、1893(明治26)年の軍令部の海軍省からの独立、1900(明治33)年の陸海軍省官制の改正などがそれである』
『一方、参謀本部と軍令部(統帥部と総称)は、国防計画・作戦計画や実際の兵力使用に関する事項などを掌握し、そのトップである参謀総長と軍令部総長は、陸海軍の最高司令官である「大元帥」としての天皇をそれぞれ補佐する幕僚長である。この場合の補佐は、国務大臣の輔弼と区別して輔翼とよばれる。国務大臣は、憲法に規定のある輔弼責任者だが、参謀総長・軍令部総長は、憲法に明文の規定がない存在だからである。
 軍事行政と統帥の二つにまたがる「統帥・軍政混成事項」については陸海軍大臣が管掌したが、国務大臣としての陸海軍大臣も統帥事項には関与できないのが原則であり、参謀本部・軍令部は、陸軍省・海軍省から完全に分立していた。以上が統帥権の独立の実態である』

2 「能動的君主」としての天皇
9月6日決定の「帝国国策遂行要領」
『統帥に関しては、「能動的君主」としての性格は、いっそう明確である。天皇は、参謀総長・軍令部総長が上奏する統帥命令を裁可し、天皇自身の判断で作戦計画の変更を求めることも少なくなかった。また、両総長の行う作戦上奏、戦況上奏などを通じて、重要な軍事情報を入手し、全体の戦局を常に把握していた(山田朗『大元帥 昭和天皇』)。通常、統帥権の独立を盾にして、統帥部は首相や国務大臣に対して、重要な軍事情報を開示しない。陸海軍もまたお互いに対して情報を秘匿する傾向があった。こうしたなかにあって、天皇の下には最高度の軍事情報が集中されていたのである』
 そういう天皇であるから、重大な局面ではきちんと決断、命令をしているのである。本書に上げられたその実例は、9月6日御前会議に向けて、その前日に関係者とその原案を話し合った会話の内容である。まず、6日の御前会議ではどんなことが決まったのか。
『その天皇は、いつ開戦を決意したのか。すでに述べたように、日本が実質的な開戦決定をしたのは、11月5日の御前会議である。しかし、入江昭『太平洋戦争の起源』のように、9月6日説も存在する。この9月6日の御前会議で決定された「帝国国策遂行要領」では、「帝国は自存自衛を全うする為、対米(英欄)戦争を辞せざる決意の下に、概ね10月下旬を目途とし戦争準備を完整す」ること(第1項)、「右に並行して米、英に対し外交の手段を尽くして帝国の要求貫徹に努」めること(第2項)、そして(中略)、が決められていた』
 さて、この会議の前日に、こういうやりとりがあったと語られていく。

前日9月5日、両総長とのやりとりなど
『よく知られているように、昭和天皇は、御前会議の前日、杉山元参謀総長と水野修身軍令部総長を招致して、対米英戦の勝算について厳しく問い質している。
 また、9月6日の御前会議では、明治天皇の御製(和歌)、「四方の海みな同胞と思ふ世になど波風の立ちさわぐらむ」を朗読して、過早な開戦決意を戒めている。
 ただし、天皇は断固として開戦に反対していたわけではない。海軍の資料によれば、9月5日の両総長による内奏の際、「若し徒に時日を遷延して足腰立たざるに及びて戦を強ひらるるも最早如何ともなすこと能はざるなり」という永野軍令部総長の説明のすぐ後に、次のようなやりとりがあった(伊藤隆ほか編『高木惣吉 日記と情報(下)』)。
 御上[天皇] よし解つた(御気色和げり)。
 近衛総理 明日の議題を変更致しますか。如何取計ませうか。
 御上 変更に及ばず。
 永野自身の敗戦直後の回想にも、細部は多少異なるものの、「[永野の説明により]御気色和らぎたり。ここに於いて、永野は「原案の一項と二項との順序を変更いたし申すべきや、否や」を奏聞せしが、御上は「それでは原案の順序でよし」とおおせられたり」とある(新名丈夫編『海軍戦争検討会議議事録』)。ここでいう「原案」とは、翌日の御前会議でそのまま決定された「帝国国策遂行要領」の原案のことだが、その第一項は戦争準備の完整を、第二項は外交交渉による問題の解決を規定していた。永野の回想に従えば、その順番を入れ替えて、外交交渉優先の姿勢を明確にするという提案を天皇自身が退けていることになる』
 こうして前記9月6日の「帝国国策遂行要領」は、決定された。つまり、対米交渉よりも戦争準備完整が優先されるようになったのである。続いて10月18日には、それまで対米交渉決裂を避けようと努力してきた近衛内閣が退陣して東条内閣が成立し、11月5日御前会議での開戦決定ということになっていく。この5日御前会議の決定事項とその意味などは、前回までに論じてきた通りである。
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北朝鮮の情報公開?   らくせき

2012年04月09日 10時08分54秒 | Weblog
NHKのニュースを見ていたら
北朝鮮のミサイル?発射基地が外国のメデイアに公開されたという。

北朝鮮も少し変化してきているな・・・と感じました。

現地に入った記者へ、「北朝鮮のおもわくは?」
「狙いは?」という東京のアナウンサーの質問。

北や中国の場合にのみよく使われていますが、
日本政府やアメリカ報道についても
この質問スタイルで報道してほしいな。

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新聞の片隅に載ったニュースから(5)    大西五郎

2012年04月09日 10時00分58秒 | Weblog
大西さんの原稿を転載します。   らくせき


柏、単身赴任増加か 人口366人減、世帯数増(’12.4.7毎日新聞夕刊)

「福島第1原発事故の影響により放射線量が比較的高い千葉県柏市で、
1日現在の人口が前月と比べ、東日本大震災以降最大の下げ幅となったことが
市の調査でわかった。
一方で、世帯数は昨年同期よりやや少ないものの増加。
人口と世帯数は比例して動くのが通常だが、
市は『転勤で引っ越してくる予定だった家族が、
放射能の影響を懸念して、父親だけ単身赴任したためでは』と分析している」

「柏市によると、1日現在の人口は前月比366人減の40万4252人。
6カ月連続の下落。一方、世帯総数は16万4449世帯。転入が転出を420世帯上回り、
死亡による世帯減を差し引いても320世帯増えた。」

柏市では周辺市町村より高い放射線量が検出された
いわゆる“ホットスポット”が何箇所か見つかり
(今年2月に柏の葉公園内で毎時1・42μシーベルトなど)問題となっています。
柏市は千葉県の北西部で、JR常磐線で松戸市の先に位置し、
東京オリンピックの頃から市街地開発が進み、
日立、伊藤ハム、凸版印刷などの工場も進出する一方、
最近では東大の宇宙線研究所などの
新領域創生科学研究所群の柏キャンパスもできて
先端科学都市化も目指しています。
JRのほか地下鉄や東武線も利用できて交通の便がよく、
東京への通勤客も多い千葉県内では5番目の大きさの市です。
「仕事のある父親を市内に残し、実家などに避難した母子が
避難先に住民票を移したケースも考えられる。

市の担当者は『こうした場合、世帯数に影響はないが、
人口減には反映されていると思う。』と話している。」

福島第1原発事故の放射能の影響が茨城県をこえて千葉県にまで及んで、
非常に高い放射線量なのですが、
東海地方も福井県の原発からの距離を考えると他人事ではありません。
東京電力、原発安全神話を振り撒いた原子力村の学者、
原発政策を進めた政権の与党だった自民党・公明党からの反省の弁が
聞こえてきていないことに私は憤りを覚えています。

                                       大西 五郎


もう数十年前に、福井で原発事故が起こったら
名古屋の方の放射能汚染の予測地図を見たような記憶が・・・
あれは、どうなったのかな?
                      
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