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随筆紹介  万葉からだ歌(四) 「肌」 心暖まるところ   文科系 

2015年12月03日 13時27分33秒 | 文芸作品
「肌」心暖まるところ   N.Rさんの作品です

旅衣八重着重ねて寝ぬれども
 なお肌寒し妹にしあらねば
 ──冬の旅は衣を八重に着重ねて寝るけど、なお肌寒い。妹の肌のぬくもりではないからだ──

 万葉集の歌言葉には”肌のおしゃべり”がいかにも多い。餅肌・鳥肌・肌寒い・肌を許す──などと。さらに温度形容詞も、ひややか・ひんやり・なまぬるい・なまあたたかい。また、ぬるぬる・つるつる・すべすべ・かさかさ・しっとり・ざらざら──の触覚までも”肌の声”だという。

 笹が葉のさやぐ霜夜に七重着る
 衣にまさる妹が肌しも
 こうした肌言葉の流れは、やわ肌の熱き血潮──湯あみして泉をいでしやわ肌にふるるはつらき人の世の絹(晶子)と、現代短歌にたどりつく。

 いうまでもなく、いずれも肌感覚でする語で、皮感覚から出た表記でない。肌のまがりかど、お肌の手当、肌が合う人が、ともするとスキンケアなどと今の人はいう。スキンは皮のこと、皮の手入れだろうか。
 万葉表記の肌は、人肌、心のぬくもり、人間同士のふれ合いの深さで詠まれている。この点、皮は、からだの一番外にあるもので、外界と他者、つねに心を遮断するものであったようだ。だから夫婦、親子、恋人語に皮感覚は入れようがなかったにちがいない。

 性愛文学の中の肌も、死語になりつつある。心を許し合う意味の”肌を許す”や”素肌の恥”などの表記はすっかり消えて”する”、”した”の行動だけの描写になってしまった。”素足”を”生足”などという時代だから、肌感覚語の復活はあきらめるしかない。
 人形師の辻村ジュサブローさんは「私の人形作りは、チリメン布を生かして肌ざわりのよい素肌作りからはじめる」と語る。「酒も、湯たんぽのぬくもりだって、人肌だからね……」とも。

 なお肌感覚のさいたるものは、いじ悪く遠まわしに人を非難する”皮肉”かな。

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