『浅間山明鏡止水』というブログを覗き、コメントを書いたらお酒の話やり取りになった。そしたら、『幻の焼酎「森伊蔵」ご存知ですか?今度、これにまつわる私の発見ストーリーを貴ブログに投稿します。投稿はそのままコメントに書けば良いですか?』とのこと。喜んで「大歓迎!」とお答えしたら、以下を送られた次第。ブログではこんな交歓もできるんだ!
幻の焼酎「森伊蔵」発見物語 「浅間山明鏡止水」さん
今から15年以上前になるのでしょうか?教育系の仕事をしていた関係で鹿児島大学の国語の教授に会いに行きました。その後先生と意気投合しまして騎射場の学生街「どんぐり横丁」に食事をしに行きました。まだ早い時間でしたが、居酒屋でも小さいですが小奇麗で私はすっかり気に入り、先生と入り、鹿児島出張では好んで食べていた「キビナゴ」「豚骨」「さつま揚げ」「刺身」など注文しました。さて焼酎はとなったのですが、銘柄が分からなかったのですが棚にずらっと並べられていた焼酎を注文しました。黒茶花で飲むと、これが実に美味い。だんだんと酔いに任せていましたが、酒のせいで気が大きくなり、この焼酎を買って帰りたくなりました。店長らしい人に丁寧にお話をして、お金を払うからお願いしますと頼んだのですが「ダメです」の一辺倒です。本来ならこれで終わりですが、実はそうしているうちに、この店の社長が来られたのです。そこでダメもとで「私はこの酒が物凄く気にいった。買って帰りたい」と話したら、その社長さんがもの凄く良い人で何やら記事が一杯載せているバインダーを持って来て「実はこのお酒私が今宣伝しているのだ、垂水に酒造会社があるが、全く売れず困っているのだが、私は美味しいと思う。○○さん、あなたは美味しいと言ってくれる、気に入った、私が1本献呈しよう」と言ってくれたのです。私はそれじゃあ申し訳ないですからともう1本は現金で購入し、もらった1本は鹿児島大学の先生に差し上げました、先生が嬉しそうに抱えて持って帰った姿は今も忘れることは出来ません。そうです。この焼酎こそ、今では幻の焼酎と言われるようになった「森伊蔵」です。私も東京に戻り大いに宣伝に努めました。その後JALのファーストクラスのプレミアムに採用され、その後は瞬く間に焼酎のスターダムにと登りつめました。実際に焼酎特有の臭さがなく素晴らしく美味しい酒です。と言っても、もう何年も飲んではいません。実はこの話には第二弾があります。その話はまた後日お話します。
【 友の音楽
そのギター曲を弾き終わってすぐに顔を上げ、彼の様子を見る。目の前の車椅子から、コルセットをきつく締めて斜め前に曲がった身体で、いつもと同じように僕の目に向かって「良かったよ」と無言で語りかけてくる音のない小さな拍手を贈ってくれている。なんとかかんとか形だけはやっとという前回の演奏よりももっと長い拍手と感じたのは、僕の気のせいではないだろう。ここまで一か月以上かかって暗譜や、この曲の難しい和音装飾などもあれこれと考えて何とかひとまず完成と、そんな彼の前での二回目の演奏だった。
「この曲を弾いてくれないかな。挑戦したけど物にならなかった奴で、僕の葬式に弾いてくれると嬉しい・・・」。
本気なのか冗談なのか、六十年も前に入った大学同級生一番の親友からこんな注文がでたのは、一か月以上前のこと。家も近くて以来ずっと行き来が続いてきた彼はパーキンソン病を患い、この二年程で急激に悪化した。なんでも、運動神経がやられ、歩行も困難になり、骨密度が通常の四割を大きく割って椎間板などあちこちの圧迫骨折から車椅子と、そんな段階に達している。ついこの前までは、訪れた時には、悪化防止のための運動・スクワットなどを普通に手助けしていたのに、あっという間に要介護五度の重病人なのである。ただし、意識、頭脳は明晰で、明らかに僕の訪問を楽しみにしている。こちらも大学同級生であるお連れ合いさんも僕を歓迎してくれる。そんなある日、僕がギター教室の帰りに思いついてギターを弾いた折、彼自身が曲集を持ち出してきて注文したのだった。結構難しいと感じた曲名に覚えもないこの楽譜だったが、すぐに思い出したことがあった。
「これって、あんたが大学時代にもちょこちょこ弾いてたやつだよな?」
「鏡の中のアンナ」。付き合い始めたころ彼の家で、彼が持っていたクラシックギターをいつも交互につま弾いていたそのおぼろげな記憶が蘇ってきた。〈あれ以来ずっと、どうしても弾いてみたい曲で、これまで何度も挑戦してきたけど・・・、独学のギターでは、確かに難しそうだ・・・〉。同じように僕にも、あの曲、この曲・・・、音楽が持っているそんな力は、いろんな場の自分自身にあれこれ活用してきたから、よく分かった。そう、尾瀬を唄った「夏の思い出」のように、昔を思い出しているようなちょっと愁いを帯びた曲で、美しい和音装飾がその懐かしいような感じを倍増させている。
さて、二回目の演奏のこの時、思いついてアンコールをやった。ギターの高い単音だけで十分すぎる程に聴けるある名曲を。弾き終わって前と同じような拍手を贈りながら彼が訊ねる。「いーねー。何と言う曲なの?」。彼も当然これを知っていると思い込んでいた僕は、面食らいつつ答えたもの。「シューベルトのアベマリアという曲だけど・・・」。
「ところで、最近の句作はどんなのがある?」と、今度は僕がご披露を注文。彼は今でも十五人程の句会を主宰していて、コロナ渦中で会は開けないのだが、ネット句会という形で例会を続けているのだ。十一月は「新蕎麦メール句会」とあって、彼の提出作はこれ。
新蕎麦や野武士のごとき指が打つ 】
私はその後「森伊蔵」を方々の居酒屋、割烹、日本料理店を訪ねては飲んでいました。そんなに沢山は出回ってはいませんでしたが、ポチポチと出始めていました。
「森伊蔵」が置いてあると嬉しかったですね。しかし高かったです。おちょこ1杯が500円~800円位しました。さてそうこうしている内に再び鹿児島出張が巡って来ました。嬉しかったです。
飛行機の予約の手配をした瞬間からワクワクしていました。「森伊蔵」の本場に行けるのです。またあの美味しいお酒を思う存分飲めると思うと喉がゴクリゴクリとして来ました。
とにかくこの酒は焼酎といっても芋特有の臭さがない。あっさりしていて美味い。正道である「お湯割り5・5」で、黒茶花で飲める焼酎でした。私にはぴったり関東人には合っていると思いました。鹿児島で売れなかったのは鹿児島人は芋の匂いが強い酒が好きなのです。他の焼酎を比べて見たら良く分かります。つまり「森伊蔵」は現代的なお酒を目指したのかも知れません。だからこそ「森伊蔵」は焼酎界のヌーベルバーグに成りえたと思います。
いよいよ鹿児島空港に降り立ちましたらある考えが頭に閃きました。迎えに来ていた代理店の社長に「垂水に行こう」と告げましたら彼は絶句しました。車中で「森伊蔵の酒造会社に行く」と告げますと「道路では遠すぎます。フェリーで薩摩湾を渡りましょう」と船で行くことにしました。鹿児島の地図を全く知らない私はポンポン船に乗って対岸の垂水市に上陸しました。
会社名は「森伊蔵酒販」でした。大きな看板も立っていなくて垂水市以外の人間が探すのに苦労しました。車を降りるのももどかしく、ドアを開けてお店に飛び込みました。店員は一人、受付に白いエプロンのおばさんが座っていましたので、「ごめんください、東京から今日やって来まして森伊蔵を購入したいと思います」と告げましたら、「売れません。購入したかったらこの紙に書いてある要領でお願いします」と文字通り「紙切れ一枚」を渡されました。
それには
電話予約について
1.①抽選登録期間 毎月15日~25日(24時間受付) ☎099-239-1111. ...
2.②案内期間 毎月26日~月末まではご利用の案内のみとなっております。 ...
3.③抽選結果の確認 毎月1日~14日(24時間受付) ...
4.④お受け取り方法 抽選でご当選された場合、お受け取り方法は、以下の2通りございます。
と書いてあったのです。
しかし東京からわざわざ来ているお客様に対し、このような応対はあるでしょうか?
頭は怒り狂っていましたね。私の経営哲学からしたらあり得ないことでした。しかし白いエプロン姿のおばさんに怒ることは出来ず、1回か2回「なんとか、そこを東京から来ているので売ってください」というのみでしたが、私の主張は受け入れられるはずもなく、空振りに終わりました。代理店の社長もしょげている私を励ます意味で、その夜は鹿児島市の繁華街「天文館」で大いに振る舞ってくれたのは言うまでもありません。
「森伊蔵」はその後第一弾で記述しましたように、JALの国際線ファーストクラスのプレミアム特典商品に指定されまして、あれよあれよと焼酎のスーパースターに踊り出たのです。
JALの指定業者というかバイヤーは確かに目利きや感性等、凄腕だったと思います。
今は健康志向、女性嗜好ブームでビール、日本酒、ウイスキー、カクテル等ソフトな、柔らかい味が好まれる時代ですからさすがという他はありません。
今から15年~20年前の話です。
現実世界で、どうなっているか、見てみてら?
‥見ないフリ?(笑)
このブログを始めて亡くなった親友が、どんなコメントもエントリーも載せると言う方針でやって来ました。「プロフィール」に、IDもパスワードでさえ載せていたのです。この通りすがり君は大昔から居着いた人で、あらゆるペンネームを使って登場という長い歴史を持っています。それをやめさせるために最近「通りすがり」以外は削って、パスワードも換えました。彼を乗せるのはこうして亡くなった親友の意思とも言えるのです。こちらのそういう心も全く理解できぬ方なのですが、済みません。