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随筆 母のこと    文科系

2025年06月26日 06時15分37秒 | 文芸作品
僕らの母親は、言うならばちょっと傑物だった。明治末に片田舎の貧乏な子六人の家の四番目から身を立てて、やはり無一物の父と結婚して、ずっと高校教員などの共働きを続けたその次第を書いてみよう。何よりもまず、家政について。四人の子どもに一軒ずつ土地付きの家を残した。そして、そうできたことを、晩年の母はよくこう語っていたものだ。
「四人の子が、病気もせず、医者になった一人を含めてみんな国公立大学へ入ってくれたから、私が働き続けられて、お金も残った」
 市立大学医学部から、そこの助教授の内に外科医として外に出た兄の後は、三人とも国立大学卒業なのだが、そのことを僕は入学当時からこう広言して来た。『僕が一番成績が悪かったが、その僕が言うのだから間違いない。僕たちのような家に生まれて普通に育てば、誰でも旧帝大ぐらいは行ける』
 父母がそれほど有能な教育者だったのだし、おまけに母親は、専門であった家政学のきわめて有能な実践家でもあった。料理も被服も子育ても、家計の切り盛りから家庭文化まで含めて。

 母は明治末年に近い一九一〇年、愛知県は渥美半島の城下町、田原町に生まれ、たまたま成績が良かったので豊橋の高等女学校に入った。二つの町の間の交通機関は船という時代で、確か入寮生活だったと記憶する。さらにそこで学年一番という成績から学校の強い要請で東京女子高等師範学校(現お茶の水女子大学。家事撰修)を受けて入学、卒業する。その後は、浦和、豊橋、東京(現桜町高校)と戦前の「高等女学校」に、その後短い戦中疎開生活などの後はずっと名古屋市立菊里高等学校(旧名古屋市立第一高等女学校)に務めて、その後も某短期大学に一二年通っていた。
 母は専門に学んだ家政学のきわめて有能な実践家で衣食住、家政、子育て、家庭文化育成など全てに秀でていた。
 料理が上手で、旧制度女学校の料理の授業の前にいつも家で予行練習をしていたから僕らがこれを知っている。資産などない家で小学生時代から、中華料理、フランス料理を食べて育った戦前昭和生まれなどはちょっと希なはずだ。ちなみに、兄も僕も四〇代から通い慣れたビストロをそれぞれ持っていたが、こういう美食体験のなせる結果と思われる。
 家庭の被服だが、母は長い木綿布を買いこんで、家族の上下下着を全て自分が作っていた。背格好が似た兄と僕に同じ上下を買ってくる時には、兄は青系、僕は茶系と分けていたのも、その時代としては合理的な賢いやり方だったと思う。
 住はとみれば、僕が小学校時代に名古屋市中心部に百坪の土地を買っていて、そこが今の僕の住居になっている。ここには、僕が大学二年の時に今の鉄筋の家を建てたが、その二年前に近くの分譲テラス住宅を購入していて、これは後に一人娘と結婚した兄の財産になった。妹は東京の練馬に土地付きの家を買って家庭を構えたし、弟は横浜の高台に家を買った。それぞれ我が家からもお金が出ている。

 母は、四十三歳で遠距離の県立高校の校長になった父が猛烈に忙しかったから、父の家事協力など一切期待できず、全て自分がやった。電気洗濯機、冷蔵庫、炊飯器、車など何もない時代の家事は大変で、これら全ての活用開拓者になった。六〇年代に始まった日本の車社会に先駆けて、母は五〇歳近くなって我が家で一番早く免許を取り、父の送迎などもやっていたものだ。最初の車が箱形ダットサン、次がプリンススカイラインと記憶している。それでいて、子どもの教育にも手抜かりが無かった。ちなみに、父はよくこう語っていたもの、「四人の子全てが国公立大学に入るなどは、愛知県の公立高校校長でも我が家だけだ」。ただし、父は入試のスペシャリスト、数学も一教師として現場に立った校長というだけでなく、そういう教員組織を作る力が優れていた。三つの県立高校の校長をやったが、その二番目の高校の「名古屋大学入試合格者一九七名」というある年の記録は、その後破るのが難しかったのではないか。という父を支えるべく、母は偉大な傑物になっていったわけだ。

 こんな母だが、家庭文化教育という面でも努力していた。僕にバイオリンを習わせ、妹には日本舞踊を習わせた。僕が退職後にギター教室に通い今に至っているのは、このバイオリンのおかげだし、花柳流の名取りになった妹は老後せっせと歌舞伎座に通っている。僕の若さの源・ランニングも、老後の母が実践していた「一日八千歩の早歩き」から学んだものだ。母はこの他、八十歳頃まで三味線教室の発表会に出ていたし、我が家で、友人達とジキョウジュツという体操グループをずっと開いていた。











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