これから10年、日本では標記のこんな区別に頭を悩ますことになる。本当は、エンジン車とEVだけで良いのに、何故こんなことが問題になるのか? 答えは簡単、電動車という概念を広めて、なんとかエンジン車(の一部)が通用する期間を長くしたいからだろう。エンジン車は、EVよりかなり高値になるというのに。モーターだけでエンジンの不要な車は、エンジン関係部品全てひっくるめて不要になる分とても安価に生産できるから、全く同型の車なら断然EV車が安くなるだろう。
ちなみにこんな言い方もある。
「電気を化石燃料に頼る国は、EVでもCO2を出す」
と言い張ったところで、ドイツのように自然エネルギー中心に換えてきた国では、「電動車」などという言葉を使う必要などあっという間になくなってしまうのである。エンジン車をあっという間になくせるからだ。
CO2が問題になり始めた時代のアメリカを振り返ってみよう。ガソリン垂れ流しのでっかく高価なアメ車がステイタスシンボルの意味もあって、売れていた。その車が、ガソリン効率が良い日本車にあっという間に席巻されてしまった。それでもリンカーンコンチネンタルやキャデラックが日本においてさえしばらく売れていたのは、世界のステイタスシンボルという名前、習慣があったからだろう。今の日本で、そんな車「風習」がまたまた再生産されていないだろうか。家はなくとも、「ステイタス」シンボル。より安い新車よりも、中古のシンボルを! 所有する物で自分を「偉く」、金持ちに見せる野暮なスノッブ風習と言えるのではないか。
一昔前のリンカーンコンチネンタルと日本車が、ちょっと後世の電動車とEV? そんなふうになって、日本の自動車産業が斜陽にならぬ事を祈っている。「雇用のためにも電動車とその補助金の継続を」などと言い出さず、自らの起業家精神そのもののイノベーションで早め早めに手を打って欲しいものだ。ちなみに、すぐに補助金というのは、社会主義国のやり方である。アメリカは今、中国のそれを批判している。さらに、ちなみに、原子力発電の廃棄物はCO2以上に始末が悪いはずだ。