この7日のエントリー「野党への無力感」の冒頭を抜き出すと、こう書かせていただいた。
『野党への無力感 文科系 2021年02月07日
あれだけ酷い言動を吐いて叩かれていても、森喜朗五輪組織委員会会長は居座る方向を決め込んだようだ。「モリカケ桜」、「学術会議」に対しても、与党特大失点というような野党実績はほとんど上がっていない。政治とは、何かを語ることではなく現状諸悪を少しでも変えて、生活を改善していくことのはずなのに、こんな与党自滅言動、失点に対して、野党は何の得点も挙げられないでいるのである。
この愛知でも、大村知事リコール署名のネトウヨや維新の大失態に対して、こういう動きへの抵抗勢力はやはり、何の得点も挙げられていない。ちなみに、このリコール運動の事務局長だった県議が維新から国会議員候補になっているとは、愛知ではよく知られた話だ。こうして、あのリコール署名運動が野党が強いこの愛知への維新による浸食運動とも観られる面があるのではないか。だからこそ、あんな醜態でよかったのだが。』
さて、この二つとも、あっという間に「野党サイド成果」が上がったのである。自民池の主・森喜朗が退き、鵺のような河村と維新が味噌を付けた。こうなった原因、誰がこうさせたかは色んな説があろうが、この二つが起こった現在は野党にとって千載一遇のチャンスではないか。これを活かさぬ手はないと思う。追い打ちを掛けろ。
森の女性蔑視の温床「日本会議のめざすもの」には、大変な女性蔑視文言がある。日本会議は安倍が名誉顧問、管は副会長だ。この文言をこそ今、社会問題すべきである。「ジェンダーフリー教育の横行」が、「特に行きすぎた権利偏重の教育」などとともに「次代をになう子供達のみずみずしい感性をマヒさせ、国への誇りや責任感を奪っています」と書いてあるのだ。この文意自身を追究すべきだ。これを通して、日本会議の本質を世に知らしめ、自民主流の復古体質を暴くチャンス到来なのである。
大村リコール運動の事務局長は維新の国会議員候補であって、広告会社を通じた署名代筆に数百万円の金が流れていると報道された。吉村大阪知事も、この運動の熱烈支援者を買って出ていたはずだ。こうして、このリコール運動があまりにも軽薄すぎたと分かったにせよ、国会野党が強いこの愛知の政治地図をこんなに大金出してまで切り裂くという目的があったことも明らかになったはずだ。そして、鵺のような河村を落とす願ってもないチャンスも到来した。