喜寿を迎えて写真整理していましたら、こんな写真が出てきました。
(1)松川事件デモの先頭に名大教授の真下真一、信夫清三郎がおられる写真
(2)原水禁運動の統一を、というデモに黙然と歩まれる新村猛(名大教授)中野好夫さんの写真。
それから幾星霜、こうした学窓の方がデモに参加する姿はみられなくなりました。
しかし3・11を経て、こうした人たちがデモに参加し、ミカン箱の上からアピールする姿がみられるようになりました。
13日に開かれた『さよなら原発9・19集会』の前哨デモで聞かれたそれらの発言を聞いてみたいと思います。
●柄谷行人(50年振りにデモ参加とのこと)さん。
“日本でデモがなくなったのは七〇年代からで、原発が増え始めたのと同じ時期。政権交代があっても何も変わりません。国民
主権の最後の砦であるデモで変えるしかありません。国民が存在している証しは、デモが出来ることであります。
マスメディアは、「福島の事故は片付いた。直ちに復興を」と言っています。しかし何も片付いてはいません。この人たちは最初
から事実を隠し、それはある意味で成功し、多くの人たちはそれを信じています。信じたいからです。
しかし私たちが忘れようとしてもゲンパツは執拗に残ります。恐ろしいのはそのことです。
いつまでもおとなしく政府や企業の言うことを聞いていたら、この国は物理的に終わりよければすべてよしむかえます。
そうならないために、粘り強く闘いましょう”
●小熊英二(慶応大教授)さん。
“西尾幹二さんという有名な保守派の人が、「脱原発こそ国家永続への道」とい論考を書かれました。
そこで仰られているのは、「この美しい豊葦原瑞穂の国を放射能で侵してはならない。民族の子々孫々まで伝えるべきこの大地
を汚辱の地にしてはならない」。
世論調査では七割以上が新設、増設には反対しています。これを目指しましょう。そしてできるなら楽しくやりましょう”。
●宮台真司(首都大東京教授)さん。
“デモは単なる出発点。政治家には落選を! 企業には不買運動!
といったピンポイントの運動展開のきっかけとしましょう。”
(1)松川事件デモの先頭に名大教授の真下真一、信夫清三郎がおられる写真
(2)原水禁運動の統一を、というデモに黙然と歩まれる新村猛(名大教授)中野好夫さんの写真。
それから幾星霜、こうした学窓の方がデモに参加する姿はみられなくなりました。
しかし3・11を経て、こうした人たちがデモに参加し、ミカン箱の上からアピールする姿がみられるようになりました。
13日に開かれた『さよなら原発9・19集会』の前哨デモで聞かれたそれらの発言を聞いてみたいと思います。
●柄谷行人(50年振りにデモ参加とのこと)さん。
“日本でデモがなくなったのは七〇年代からで、原発が増え始めたのと同じ時期。政権交代があっても何も変わりません。国民
主権の最後の砦であるデモで変えるしかありません。国民が存在している証しは、デモが出来ることであります。
マスメディアは、「福島の事故は片付いた。直ちに復興を」と言っています。しかし何も片付いてはいません。この人たちは最初
から事実を隠し、それはある意味で成功し、多くの人たちはそれを信じています。信じたいからです。
しかし私たちが忘れようとしてもゲンパツは執拗に残ります。恐ろしいのはそのことです。
いつまでもおとなしく政府や企業の言うことを聞いていたら、この国は物理的に終わりよければすべてよしむかえます。
そうならないために、粘り強く闘いましょう”
●小熊英二(慶応大教授)さん。
“西尾幹二さんという有名な保守派の人が、「脱原発こそ国家永続への道」とい論考を書かれました。
そこで仰られているのは、「この美しい豊葦原瑞穂の国を放射能で侵してはならない。民族の子々孫々まで伝えるべきこの大地
を汚辱の地にしてはならない」。
世論調査では七割以上が新設、増設には反対しています。これを目指しましょう。そしてできるなら楽しくやりましょう”。
●宮台真司(首都大東京教授)さん。
“デモは単なる出発点。政治家には落選を! 企業には不買運動!
といったピンポイントの運動展開のきっかけとしましょう。”