AERA(2011.6.6)に、<<小沢一郎が「脱原発宣言」>>という記事が掲載されるようです。この記事によると、小沢一郎氏が「脱原発」を決意した模様です。
この記事が本当なら、日本の反原発・脱原発市民運動は、福島原発の事故という極めて大きな犠牲を契機としながらも、初めて政界に本格的な反原発・脱原発を志向する政治勢力を獲得したことになりますので、画期的な事態です。
実は、小沢氏が「脱原発」へと政策を転換したことは、4月16日(土)に東京で行なわれた小沢支持派市民による「菅首相の退陣、脱原発社会」デモに参加した小沢派国会議員の関係者からも聞いていました。その後、小沢派の森ゆう子議員が参院予算委で菅首相に「脱原発宣言せよ」と迫ったり、小沢氏に近い川内博史議員が衆議院科学特別委員会に、京大の小出裕章氏を参考人として招くなどの活動がありました。
しかし、小沢氏自身の明確な「脱原発」発言はありませんでしたが、ついに小沢氏は「脱原発」を決意したようです。小沢氏のブレーンである元参議院議員の平野貞夫氏は、民主党高知県連代表だった2007年、原発推進派が喉から手が出るほど期待した使用済み核燃料の中間貯蔵庫を高知県に建設する策謀に、地元政治家として反対運動を行いこの案を潰すのに貢献しました。
この時の経緯を明かした平野氏の証言(注)では、小沢氏は民主党代表だった2007年の時点で、自己のブレーンであり、民主党高知県連代表だった平野氏が反原発運動をすることを許容し、小沢氏は、少なくともこの4年前には現在主流の軽水炉型原発の危険性を認識していたのであり、この時点では今でも一部の勢力が「安全な原発」として宣伝している「トリウム溶融塩原子炉」の実現を小沢氏は期待していたようです。
そして、小沢氏は今回の事故を契機に、ついに「脱原発」政策を選択しました。先のデモの時の小沢派の関係者の話では、小沢派の他の有力議員も、4月16日の時点で「脱原発」へと政策をシフトさせていたそうですから、おそらく小沢派全体も「脱原発」でまとまり、小沢派として「脱原発」を掲げるでしょう。すると、この記事が予測するように、様々な勢力を巻き込んで「原発推進」か「脱原発」かで政界再編が起きる可能性もあります。
小沢氏は自分のブレーンが反原発運動を行なうことを承認し、4年前には原発の危険性も認識していたのですから、今回の「脱原発宣言」は、小沢氏が政治的に復活するための単なるマヌーバー的政策ではない可能性があります。もしかしたら、小沢氏自身も原発推進派から警戒・敵視されていた可能性もあり、元福島知事の佐藤栄佐久氏も原発慎重政策が原因で冤罪で失脚させられたのですから、このことも小沢氏の冤罪事件の遠因なのかもしれません。
仮に小沢氏の今回の「脱原発宣言」が、小沢氏が政治的に復活するための人気取りの宣言であったとしても、有力な脱原発議員集団が形成されるのですから、「反原発」市民運動は、社民党だけでなく小沢派とも「反原発・脱原発」で協力関係を構築することを望みます。「反原発」の市民運動は、この協力関係・信頼関係を通じて、小沢派がこの脱原発政策を放棄しないように監視し、脱原発政策を本当に実行するよう教導・強制すべきではないかと思います。
かつての社会党のような、政治的な影響力を持つ左派勢力が事実上存在しない現在の日本では、「国民の生活が第一」を掲げる小沢派は、資本主義支持の保守派でありながら同時に資本の暴走にも反対する一種の中道左派的な「社会自由主義」勢力であり、小沢氏は資本の暴走を牽制する勢力のリーダーで、かつ対米従属外交からも離脱しようとしたので支配階級の怒りを買い、集中的な冤罪攻撃で失脚させられようとしているのだと思います。
今でも「国民の生活が第一」を掲げる小沢派が消滅したら、日本はアメリカのような資本への献身度合いを競う政治勢力が支配するようになり、当分の間、資本の暴走を牽制しうる政治勢力は、事実上存在しなくなると思いますが、皆さん、どうでしょうか?
(注):平野貞夫の「永田町漂流記」「日本一新運動」の原点(47)── もうひとつの『国家危機』 ≫
http://www.the-journal.jp/contents/hirano/2011/03/46.html
菅内閣不信任決議案への共産・社民両党の腰の抜けた対応には失望せざるを得ませんでした。
今回、反国民的な菅政権を打倒するのに、またとない千載一遇のチャンスがめぐってきたというのに、それをみすみす逃してしまったのです。
多くの国民から「この危機のもとで足の引っ張り合いは情けない。今はそんなことをしている場合ではない」との声があがっていることや、自公の不信任決議案にはきちんとした政権展望がないから党略的で無責任であることを理由として、共産・社民の両党は不信任決議案の採決の場で棄権にまわりました。
だが、一方で菅政権は信任できないという立場はいささかも変わっていないというのですから、論理としてはちょっとばかり支離滅裂です。
被災地の苦しみをよそに震災対応を政権維持に利用し、情報隠蔽と不作為によって多くの国民に被爆を強要している菅政権はただちに退陣してもらうしかありません。
また、菅政権が続くかぎり、被災者の要求の実現や原発事故被害から国民を守ることはできませんし、かえって国民の苦しみが増すだけです。
また、自民党政治からの転換を民主党への政権交代に託した国民を裏切り、旧勢力へすりよって自民党政治を復活させた菅政権の「原罪」も、もはや放置できるものではありません。
ゆえに菅政権に対する不信任決議案にはそれが自公からのものであっても賛成すべきだったのです。
そして、自公の政局オンリーの党略的無責任性を問題にするならば、震災対応と原発事故収束に特化した超党派の救国臨時政府構想を提示し、それに自らも参加して国難の打開の先頭に立とうという気構えを示すべきだったのです。
これでは消極的ながらであっても、実質的には菅政権の延命に手を貸したことになってしまいました。
「今は復興が先であり、非常事態に足の引っ張り合いをやっている場合ではない」という被災地からの声がTVメディアに溢れかえりましたが、これは明日の生活のことしか考える余裕がなく客観的な状況の見えない被災民に聞けば、当然予想できる反応であり、これをもって正論とすることは大きな間違いなのです。
メディアはこの一部の被災民の声を増幅して世論誘導しているのであり、その裏側には菅政権擁護という隠された意図が見えます。
今回の不信任決議案への共産・社民両党の棄権という対応にはメディアのプロパガンダへの追従があり、これが国民の声に応えたもっとも責任ある対応であったとはとても言い難いと思います。
そして、国政での左翼政党の存在感がこれでまたいちだんと小さくなることを恐れます。
保安院の大罪(5) 『被ばくさせておけ』 文科系
以下はアシュラ掲示板の記事の一つで紹介されていたものを、僕が毎日新聞東京朝刊5日の記事に直接当たって抜いたものです。「20ミリシーベルト」とか「やっぱり実際は1ミリシーベルトに」だとかを国がご都合主義もしくは日和見主義で指示している間に、現場がどれだけ戸惑い、悩んでいるかが示されています。
そもそも、半減期の短い放射性物質を3月11日からの当初10日ほどで内部に吸い込んでしまった子どもらのダメージは特に大きいわけですから将来癌が多発することも多いはずですが、これに対して「あそこの土地は年間20ミリシーベルト以下であったから国の責任はなし」とでも言うつもりなのでしょうか。
これでは、昨日紹介した中日新聞の記事のこういう専門家の談話の通りというしかありません。
【そして、国などのこういう姿勢について、矢ヶ崎克馬・琉球大名誉教授の非常に厳しい指摘を、この記事は紹介しています。内部被曝に詳しい方のようで、こう語られています。
「事故から約3ヶ月。住民の被ばくを回避する措置がとられていない。それどころか、原発の状況に合わせて、住民の年間の被ばく許容量の基準を引き上げた。『被ばくさせておけ』という考え方だ」】
【 東日本大震災:福島第1原発事故 子供被ばく線量、学校「1ミリシーベルト」混乱
◇校長「どの数字信じれば…」 母親「今まで浴びた分、説明を」
東日本大震災による福島第1原発の事故で、福島県内の子供たちが受ける放射線量を巡り、国と学校現場が混乱している。文部科学省は5月27日に「今年度、年間1ミリシーベルト以下を目指す」とする新たな目標を決めた。年間20ミリシーベルトを上限とする基準への不信感解消が狙いで、専門家からのヒアリングも進めている。だが、突然の目標設定に学校は困惑し、保護者の不安は根強いまま。教育委員会も「『1ミリシーベルト』の数字が独り歩きしないようにしてほしい」と訴えている。【木村健二、渡辺諒、長田舞子】
「子供たちの生活は学校だけではない。1ミリシーベルトを目標としたからには、具体的に何をしてくれるのかを明確にしてほしい」。3日、年間20ミリシーベルトの上限値撤回を求める保護者らが東京・霞が関の文科省で担当職員と向き合った。1歳の長男を連れて参加した福島県須賀川市の主婦(31)は、1ミリシーベルトの目標設定を歓迎しながらも、学校外での低減策も訴えた。
同省は4月19日、学校の夏休みが終わるまでの放射線量の目安を年間1~20ミリシーベルトとし、毎時3・8マイクロシーベルトを超えた場合に屋外活動を1時間に制限する基準を出した。
だが、保護者らの不安は収まらない。民主党文部科学部門会議は5月26日に「『年間1ミリシーベルト』を目指すとの文科省方針の文書化を求める」と緊急提言した。座長の松崎哲久衆院議員は「『1ミリシーベルトを目指す』と文章化することが安心を高める」と説明する。これを受けた高木義明文科相は翌日、目標を発表した。
驚いたのは福島県の学校だ。福島第1原発の北西約60キロの二本松市。市教委は既に独自に上限を「10ミリシーベルト」に引き下げ、屋外活動の目安を幼稚園1時間▽小学校2時間▽中学校3時間と設定。同月26日付で各校に通知していた。
その翌日、文科相の発表があった。市立杉田小の小浜伸校長は「一体どの数字を信じればいいのか」と困惑する。同校では市教委の通知に従い2時間程度の屋外活動を予定していたが「校庭での体育や自然観察などは、ほとんどできないことになるだろう」。佐藤宏幸PTA会長も「安全性に対する国の姿勢がコロコロ変わるようでは怖い」と話す。
文科省の目標値には「今年度」と「学校」という条件がついている。放射線量がピークだった3月11日から4月14日の始業式までは除外されている。子供の生活に即した推計では、ピーク時の期間だけで2・56ミリシーベルトになるとの同省の試算さえある。
福島市内でも空間放射線量値が高い渡利地区の学校に3人の子を通わせる酒井隆子さん(38)は「長女が高校受験を控え、簡単には避難できない。1ミリシーベルトが目標になれば、学校や自治体に対策を求めやすくなるだろうが、既に浴びてしまった放射線量をどう考えればいいのか。国に説明してほしい」と不安を口にする。
福島市教委は「数字が独り歩きして『1ミリシーベルトを超えると危険』と思われると、かえって子供たちの教育環境に影響が出るおそれがある。国は『1ミリシーベルトはあくまで目標で、超えるとすぐに危険というわけではない』と、保護者に丁寧に説明してほしい」と訴える。
文科省は「1ミリシーベルト」の目標達成に向けて動き始めたが、原発の安定化が必須の条件。混乱の収束は見えない。
毎日新聞 2011年6月5日 東京朝刊 】