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大津留公彦氏の2009年夏の戦争関連番組紹介②

2009年08月03日 23時46分58秒 | Weblog

★大津留公彦氏の2009年夏の戦争関連番組紹介です。 (ネット虫)
   大津留公彦のブログより             http://ootsuru.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/2009-70f8.html              
2008年8月7日(木) 午後8時~8時49分
総合テレビ
解かれた封印~米軍カメラマンが見たNAGASAKI~

今、1枚の写真が注目を集めている。

63年前、被爆した長崎で撮影されたもので、亡くなった幼い弟の亡きがらを背負い火葬場の前にたつ「焼き場に立つ少年」と題された写真だ。

撮影したのはアメリカ人カメラマン、ジョー・オダネル。去年8月9日、亡くなった。占領軍として原爆投下後の長崎に入り、その破壊力を記録するため写真を撮影する一方で、軍に隠れ内密に自分のカメラでおよそ30枚の写真を記録した。帰国後、被爆者の記憶に悩まされ、悲劇を忘れ去ろうと全てのネガを自宅屋根裏部屋のトランクの中に閉じこめ、43年間封印してしまう。しかし晩年になって原爆の悲劇を訴え母国アメリカの告発に踏み切っていく。原爆投下を信じる周囲から非難の声を浴びながら、85歳の生涯を閉じた。

なぜオダネルは、軍の規則に違反して写真を撮影したのか。
なぜその写真を長年隠し、晩年になってトランクを開け母国を告発したのか。

その足跡を追う息子が、遺品の中に残された録音テープを発見した。そこには写真に秘められた過去と、真実を伝えざるを得なかったオダネルの思いが告白されていた。

あの日 僕らの夢が消えた
~“幻の被爆学校”生徒たちの64年~(仮)

8月8日(土)総合 午後10:00~10:50

 昭和20年8月9日、爆心地からわずか500メートルで被爆した旧制・鎮西学院中学校。コンクリートの校舎は押しつぶされ、名簿などの資料もほとんどが失われた。そのため在校生の数や名前、被爆した生徒たちの行方は60年以上わからないままになっていた。しかし、去年17枚のクラス写真が見つかり調査が進められたことで、生徒たちの消息が少しずつ明らかになってきた。
 北海道で暮らしていることがわかった男性は、被爆当時1年生。柔道に明け暮れる少年だった。しかし原爆で家族全員を失い、戦後は十分な教育も受けられずに職を転々とした。差別を恐れて被爆者であることを隠し続けたという。「爆死した方がよかったと思うことが何度もあった」と語る。また長崎市の隣町で暮らす男性は、今も新聞やテレビで原爆の話題を直視することができない。爆心地近くで目撃した惨状、放射線の影響と見られる病に苦しんだ戦後、そして親友たちを奪われた悔しさがよみがえるからだ。
 今も生徒たちの心と体に刻まれている原爆の傷。被爆から60年以上たって明らかになった若者たちの被爆体験と原爆に翻弄された戦後の人生を見つめる。


ヒバクシャからの手紙

8月8日(土)総合・ラジオ1 午後11:30~午前1:00

 全国の被爆者の平均年齢は75歳を超え、直接体験を聞くことができるのはあと数年だと言われている。ところがその4割が、いまだに被爆体験を周囲に語っていない。平和のため、体験をしっかり伝えたいとの思いがある一方で、結婚差別を受け独り暮らしを続けていたり、子や孫の病気を自分のせいではないかと思うなど、家族や友人にさえ口にできない悩みも多い。
 広島放送局は、被爆者のそうした辛い体験や平和への思いを手紙の形で綴ってもらい、2年前から放送してきた。今年も、ラジオブースに見立てた広島放送局のスタジオをベースに、広島・長崎の中継映像に乗せて、アナウンサーが静かに手紙を朗読する。募集するテーマは(1)「被爆と私の人生」(2)「亡くなったあの人へ」(3)「忘れられないあの光景」(4)「子や孫へ」の4つ。深夜、被爆者の思いに寄り添いながら、平和を考える時間としたい 

「日テレNEWS24」 
戦場のラブレター
玉砕の島で拾われた手紙     55分枠
放送 : 8月9日(日)
24:50~

制作 : テレビ金沢
再放送 : 8月15日(土)
: 24:00~

戦地の夫に宛てた手紙が60数年ぶりに妻の手に戻った。「坊やが貴方のことを尋ねますの。(中略)お父ちゃんどうぞお元気で最後までガンバッテ下さい」硫黄島で手紙を拾った元アメリカ兵が「差出人を探して返してほしい」と友に託したものだ。妻・きく枝さんは89歳。心臓病に加え痴ほうが進行しているが毎朝、夫の遺影に手を合わせることは忘れない。手紙に登場する「坊や」も65歳。手紙を見て涙が止まらなかった。遠くを見つめていたきく枝さんがひと言つぶやいた。「手紙よりもあの人に帰ってきて欲しかった…」奇跡的に遺族の元に舞い戻った手紙が、伝えるものは何か?


証言記録 市民たちの戦争

8月9日(日)BShi 午後6:45~7:28
8月10日(月)~8月13日(木)BShi 午後7:00~7:43

 太平洋戦争における日本人の犠牲者は310万人。およそ4分の1は民間人だった。徹底した総動員体制のもとで過酷な戦争体験をした多くの一般市民。彼らは銃後でどのような体験をし、何を感じたのだろうか。東京、大分、テニアン島、青森、沖縄。5つの地域を舞台に、人々の証言によって、知られざる戦争の実態に迫ります。スタジオは現代と過去をつなぐ架空の廃墟。ナビゲーターの中居正広さんが、感想を語り、また視聴者から寄せられた手紙を朗読し、戦争を知らない若者へのメッセージを伝える橋渡しを担います。

【ナビゲーター】中居正広

8月9日(日)<都市商店街>山の手の商店街 強いられた転業 ~東京・武蔵小山~
 東京・山の手で五大商店街に数えられたほどの武蔵小山商店街。軍需物資優先の統制経済と深刻化する物不足の中で、その賑わいは失われていった。次々と商店が廃業に追い込まれ、満蒙開拓に活路を求めた人々がソ連侵攻によって迎えた悲劇を伝える。

8月10日(月)<漁村>マグロの島 爆撃に消えた教室 ~大分・保戸島~
 遠洋漁業の拠点として栄えた保戸島。マグロ漁の隆盛で多くの漁民とその家族が島に集まっていた。しかし、開戦で漁船が戦場に徴用、漁民たちは操船者として連れ去られ、漁業は壊滅。残された女性とともに島を支えていた子どもたちを襲った悲劇を伝える。

8月11日(火)<海外居留民>南洋の居留地 サトウキビ農家が見た地獄 ~テニアン島~
 太平洋に浮かぶテニアン島には1万人をこえる日本人が移住し、製糖事業を展開していた。しかし戦況の悪化とともに砂糖工場は閉鎖。市民は飛行場の建設や陣地の構築など軍と行動を共にすることを強いられていた。末期には前線の戦いにまで動員された島民たちの悲劇を伝える。

8月12日(水)<地方都市>北の拠点都市 禁じられた避難 ~青森県青森市~
 北海道からの石炭輸送の要であった青森市。昭和20年7月、米軍の空襲により、市街地の9割が消失。1000人以上の命が奪われた。B29からは爆撃予告のビラが投下されていたにも関わらず、なぜ多くの命が失われたのか。証言から探る。

8月13日(木)<国内唯一の地上戦・沖縄>沖縄 悲劇の島・64年目の証言 ~沖縄・渡嘉敷島~
 昭和19年、突如日本軍の秘密基地となった渡嘉敷島。やってきたのは特攻隊、島の人々は老若男女を問わず、炊事係や壕作りなどに動員された。しかし米軍が上陸すると日本軍は退避。その後を追うように軍陣地付近に集結した島民たちが迎えた結末を証言をもとに描き、人々を追い詰めた戦争の惨状を伝える。

集中再放送:8月4日(火)~8月9日(日) 総合
8月4日(火)

午前0時45分~1時28分 ※3日(月)深夜24時45分~
証言記録 兵士たちの戦争 「ビルマ 濁流に散った敵中突破作戦 ~徳島県・歩兵第143連隊~」

午前1時29分~2時12分 ※3日(月)深夜25時29分~
証言記録 兵士たちの戦争 「戦場の少年兵たち ~沖縄県・鉄血勤皇隊~」

8月5日(水)

午前0時45分~1時28分 ※4日(火)深夜24時45分~
証言記録 兵士たちの戦争 「中国雲南 玉砕・来なかった援軍 ~福岡県・陸軍第56師団~」

午前1時29分~2時12分 ※4日(火)深夜25時29分~
証言記録 兵士たちの戦争 「フィリピン・シブヤン海 戦艦武蔵の最期 ~横須賀海兵団~」

8月6日(木)

午前0時45分~1時28分 ※5日(水)深夜24時45分~
証言記録 兵士たちの戦争 「人間魚雷 悲劇の作戦 ~回天特別攻撃隊~」

午前1時29分~2時12分 ※5日(水)深夜25時29分~
証言記録 兵士たちの戦争 「東部ニューギニア 絶望の密林戦 ~宇都宮・歩兵第239連隊~」

8月7日(金)

午前1時35分~2時18分 ※6日(木)深夜25時35分~
証言記録 兵士たちの戦争 「重爆撃機 攻撃ハ特攻トス ~陸軍飛行第62戦隊~」

午前2時19分~3時02分 ※6日(木)深夜26時19分~
証言記録 兵士たちの戦争 「中国戦線 大陸縦断 悲劇の反転作戦 ~福島県・歩兵第65連隊~」

8月9日(日)

午前1時55分~2時38分 ※8日(土)深夜25時55分~
証言記録 兵士たちの戦争 「従軍看護婦が見た戦争」

午前2時39分~3時22分 ※8日(土)深夜26時39分~
証言記録 兵士たちの戦争 「インパール作戦 補給なき戦いに散った若者たち ~京都 陸軍第15師団~」



報道発 ドキュメンタリ宣言
僕の父はB級戦犯
うじきつよし 戦争を語る親子の旅路 (仮)

元陸軍大尉の父と、60年ぶりベトナム絶海監獄島へ
「あなたは家族と、戦争の話をしたことがありますか?」

■放送局・日時
テレビ朝日
8月10日(月) 19:00~19:54
■制作者から
 戦後60数年も平和の中にあった日本で、第二次大戦の話をしている家族が一体どのくらいいるのだろう?
 ところがこの親子は今、戦争について恐ろしく聞き、話そうとしている。
 うじきつよしさんとお父さんの武さんだ。
 2年前の夏に初めて、御ふたりの語り合う現場に立ち会った。場所は、ベトナム・ホーチミン沖300キロの絶海の監獄島だった。元陸軍大尉として南方インドシナ戦線を転戦した武さんは、戦後B級戦犯として裁かれ、その監獄島で5年間の収監生活を生き延びた。
 裁判見直しで日本に送還され、巣鴨プリズンでさらに3年。武さんは戦後10年近くを塀の中で過ごされた。ところが、その後生まれた息子のうじきさんは、40年近く父と向き合って戦争の話をしたことがなかった。
 十数年前、息子は初めて父に戦争の話を聞いた。その父の言葉は彼には理解しがたいものだった。
 お父さんは、戦争での殺人に罪悪感がないと告白した。職業軍人としての戦争責任も、戦犯裁判自体も、未だ認めていないと言った。
 そこから、全く考え方の違う父と子の戦争を巡る激しい対話と、記憶を呼び覚ますための戦場めぐりの旅が始まった。
 ある時は老人DVかと見紛うほど、厳しく問い詰める息子。それをある時は真正面から議論し、ある時は話を逸らし、時折は激昂しながらも受け止める父。
 父と子は、喧嘩して、離れて、また寄り添って。
 その旅に付き合って、いつしか二人を羨ましく思っている自分がいる。僕はまだ、こんな風に父と戦争の話をしたことがない。
 みなさんは自分の家族と、戦争の話をしたことがありますか?
■番組HP
http://www.tv-asahi.co.jp/d-sengen/  

シリーズ激動の昭和
「最後の赤紙配達人」(仮)
2009年8月10日(月)よる9:00から
▼出演者
西邑仁平:吉岡秀隆
今回で3回目となる<シリーズ激動の昭和>、今回は戦場への“招待状”ともいえる召集令状、いわゆる“赤紙”の配達人、西邑仁兵(にしむらにへい)氏をドラマの主人公にし、ドキュメンタリーとドラマをあわせた構成となる。西邑氏は俳優・吉岡秀隆が演じる。
 滋賀県の大郷村。この村からも多くの若者が戦場へ向かった。西邑氏は、赤紙を配る兵事係を15年もの長い間勤め上げた。赤紙を配るだけでなく、戦死公報も配るという過酷な仕事を黙々と勤めた西邑氏は、留守宅への気配りなど残された村の人への心のケアも忘れなかったという。大郷村には一家族から5名も戦場に行ったうちもあり、そのお宅へ戦死公報を届けるときには、涙が出るほど辛かったと回想している。

ドラマの部分では西邑氏を軸に、大郷村の人々が戦争に巻き込まれていく様子を描く。
ドキュメンタリーの部分では、ビルマやテニアン、サイパンなどの現地取材をもとに大郷村から戦場に借り出された人々がどのような運命をたどったのか、正確に描き出す。


BS世界のドキュメンタリー シリーズ 第二次世界大戦 開戦70年(仮)
D-Day ノルマンディー上陸作戦(仮)前・後編 

8月11日(火)~8月12日(水)BS1 午前0:10~1:00 (10日~11日深夜)

 第二次世界大戦終盤の1944年6月6日、アメリカ軍をはじめとする連合国の兵士15万人が、当時ナチスドイツが占領するフランス北西部のノルマンディー地方に上陸し、勝利を決定づけたノルマンディー作戦。
 そのとき、連合軍やドイツ軍の兵士たちの脳裏に何がよぎっていたのか。ナチス陸軍元帥のロンメルや連合軍最高司令官のアイゼンハワーは、どのような決断を迫られていたのか。そして、戦場カメラマンのロバート・キャパは、どのような思いでシャッターを切り続けたのか。
 番組は、史上最大の上陸作戦の、準備から作戦決行当日までの一部始終を、当事者の証言をもとに実写映像と再現ドラマによって明らかにしていく。前編は上陸準備から前夜まで、後編は上陸後を追う。


ハイビジョン特集フロンティア 私の戦争は終わっていない
~栄光の第7騎兵連隊 元少佐の告白~(仮)

8月12日(水)BShi 午後8:00~9:30

 アメリカ陸軍“第7騎兵連隊”。19世紀後半、カスター将軍に率いられ、先住民との戦いで一躍アメリカ国民のヒーローとなった。太平洋戦争ではレイテ、ルソンで日本軍と戦い、朝鮮戦争、ベトナム戦争では最前線に立ち、2003年のイラク戦争でも先陣を切って砂漠を走ったのが、第7騎兵連隊の戦車である。
 その陰で語られなかった真実がある。第7騎兵連隊は太平洋戦争や朝鮮戦争で民間人を巻き込む虐殺を行い、ベトナム戦争では連隊に協力した地元の山岳民族を見殺しにした。
 イギリスの制作会社オクトーバー・フィルムズとの共同制作によるこのドキュメンタリーは、第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争で部隊を率いた第7騎兵連隊の元少佐の心の闇に迫り、戦争で犯した罪に自ら対峙する姿を追っている。アメリカの兵士がアジアにおける戦争犯罪に言及している貴重なドキュメンタリーである。

BS世界のドキュメンタリー シリーズ ジャーナリストが見た戦争(仮)
私の戦争は終わっていない ~栄光の第7騎兵連隊 元少佐の告白~(仮) 前・後編
8月4日(火)、5日(水)BS1 午前0:10~1:00(3~4日深夜)


ラジオ深夜便 戦争インタビューシリーズ

8月11日(火)~8月15日(土)ラジオ1・FM 午前1:10~1:55 (10~14日深夜)

 日本が終戦を迎えて64年、世界各地では今も様々な紛争・内戦が続いている。北朝鮮では核実験やミサイル発射など、平和に逆行する動きがみられる他、イラク、アフガニスタン、パレスチナでも平和への道筋が見えない状態となっている。日本では悲惨な太平洋戦争を実際に体験した人の証言を直接聞けるのもタイムリミットが近づいている。また、世界を舞台に平和維持のために各地の紛争地帯で命をかけ活動する日本人も数多く存在する。
 番組では毎年8月の終戦の日前後に全国のアナウンサーの提案で太平洋戦争体験者や世界の紛争地帯で活動する人たちの証言を聞き出す40分サイズのインタビューを放送している。
 今年も「ラジオ深夜便」では戦争インタビューシリーズとして5夜連続で放送する。


BS世界のドキュメンタリー シリーズ 第二次世界大戦 開戦70年
よみがえる第二次世界大戦~カラー化された白黒フィルム~(仮)第1回~第3回

8月13日(木)~8月15日(土)BS1 午前0:10~1:00 (12~14日深夜)

 第二次世界大戦の開始から今年で70年。数千万人の死者を出した人類未曽有の戦争の内側では、何が起きていたのか。
 この“破壊の時代”の白黒映像を、最新のデジタル技術を駆使し、カラー化しようという試みが、フランスとの国際共同制作により進められてきた。
 ナチスの台頭、ヨーロッパ戦線、そして太平洋戦。埋もれていた記録映像を丹念に掘り起こし、綿密な時代考証と地道な作業によって、第二次世界大戦の時代を鮮やかによみがえらせよう、というものである。
 世界各地で戦争体験が風化を続けるなか、戦争の現実をよりリアルに描き、その記憶を若い世代へと伝える。


わたしたちの戦争(仮)

8月14日(金)総合 午後7:30~8:42

 今から60年あまり前、戦争の時代を生きた若者たちがいました。若者たちはあの時何を信じ、何を失ったのか。戦争証言プロジェクトが取材した元兵士たちと銃後の市民、合わせて200人以上におよぶ証言をもとに、個人が体験し、感じた大平洋戦争の実像をVTRで伝えます。また、ナビゲーターの中居正広さんが感じたこと、疑問を糸口に、戦争を体験された3人のゲストに「自分の戦争」を語っていただきます。
 これは、私たちと変わらないごく普通の人々が体験した、一人一人の太平洋戦争の記録です。

【ナビゲーター】中居正広
【ゲスト】作家・五木寛之  俳人・金子兜太  女優・奈良岡朋子


週刊こどもニュース戦争特集「核の時代の子どもたち」(仮)

8月15日(土)総合 午後6:10~6:45

 今、核を巡る問題が大きく変わろうとしている。オバマ米大統領は4月、アメリカが核廃絶に取り組むことを明言。その裏には、テロリストが核をテロ行為に使用する可能性が高まっていることや北朝鮮が核実験を進めるなど、核を取り巻く状況が深刻になっている現実がある。核が使用される可能性は米露冷戦時代よりも高まっており、私たち一人一人が真剣に核の問題に向き合うべき時代になっている。その一方で、広島・長崎の被爆者の高齢化は進み、被爆体験は風化しつつある。
 今回の戦争特集では、子どもたちに原爆(核兵器)の恐ろしさを伝えると共に、世界が置かれている核の状況を分かりやすく説明。未来を担う子どもたちが、家族と核について考えるきっかけにしたい。

8月15日(土)総合「日本の、これから」
アメリカのオバマ大統領が「核兵器の無い世界を目指す」と宣言し、核兵器削減に向けて動き出そうとしています。唯一の被爆国日本では、核兵器廃絶の方針を歓迎する声があがっています。

しかし、その一方で、北朝鮮はミサイル発射と核実験を強行。“核の闇ルート”を経て、核がテロリストへわたる危険性も指摘されています。

これまで、核兵器の廃絶を訴えながらも、アメリカの核の傘の下に守られてきた日本。核をめぐる緊張感が高まる中、わたしたちは隣国の脅威にどう対峙していけばよいのでしょうか。そして、唯一の被爆国として核廃絶に向けてできることは?
みなさんのご意見、ならびに出演者を募集しています。
意見送付先・出演応募
http://www.nhk.or.jp/korekara/

ハイビジョン特集フロンティア よみがえる第二次世界大戦
~カラー化された白黒フィルム~(仮)

NHKスペシャル 終戦ドラマ「気骨の判決」

8月16日(日)総合 午後9:00~10:30

 NHK名古屋放送局は、『鬼太郎が見た玉砕』『最後の戦犯』に続き、終戦ドラマ『気骨の判決』を制作する。
 戦争末期の昭和20年、ひとりの裁判官が「翼賛選挙は無効」と断じる判決を出した。ドラマは、NHK大分放送局・清永聡記者の詳細なノンフィクションに基づき、戦時下の選挙と裁判の実態、そして「選挙無効」を下した大審院(今の最高裁)判事・吉田久たちの生き様を描いていく。
 東条英機内閣が行なった衆議院解散総選挙。「戦争に勝つため」という名目のもと、政府に非協力的な候補者に対して露骨な選挙妨害工作が繰り広げられ、大政翼賛派が議席を独占した。吉田たちは真相を究明するべく、鹿児島に乗り込んで大量の証人尋問を断行。「なぜ人々は、戦争を熱烈に支持するのか?」「法律は、本当に市民を救えるのか?」という問いに苦悩しながらも、裁判官たちは信念を貫き、想いのすべてを「判決」に注ぎ込む。
 
原案:清永 聡  脚本:西岡琢也  音楽:加古 隆  演出:柳川 強
出演:小林 薫 田辺誠一 麻生祐未 京野ことみ 篠井英介 石橋蓮司 國村 隼  ほかの皆さん

8月16日(日)BShi 午後10:15~11:45

 第二次世界大戦の開始から今年で70年。数千万人の死者を出した人類未曽有の戦争の内側では、何が起きていたのか。
 この“破壊の時代”の白黒映像を、最新のデジタル技術を駆使し、カラー化しようという試みが、フランスとの国際共同制作により進められてきた。
 ナチスの台頭、ヨーロッパ戦線、そして太平洋戦。埋もれていた記録映像を丹念に掘り起こし、綿密な時代考証と地道な作業によって、第二次世界大戦の時代を鮮やかによみがえらせよう、というものである。
 世界各地で戦争体験が風化を続けるなか、戦争の現実をよりリアルに描き、その記憶を若い世代へと伝える。

8月16日(日)又は23日
「5000人のカルテ~ある被爆医師の半生」


今夜はこんなところです。
ではまた・・・

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大津留公彦氏の2009年夏の戦争関連番組紹介①

2009年08月03日 23時44分25秒 | Weblog
★大津留公彦氏の2009年夏の戦争関連番組紹介です。 (ネット虫)
   大津留公彦のブログより             http://ootsuru.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/2009-70f8.html              

8月6日(木)総合 午後8:00~8:45

 昭和20年8月6日午前8時15分、広島県立広島第一高等女学校の1年生223人は、爆心地から0.6キロの場所で建物疎開の作業中に被爆、全員が亡くなった。この日、病気で休んでいた梶山雅子さんを始め、作業に行かなかった同級生だけが生き残った。当時2年生だった大野充子さんは、亡くなった1年生の日記帳をもとに「八月の少女たち」を出版。のちに他の遺族からも日記帳が寄せられ、現在、10冊が公表されている。学校生活、家族、友人のことなど、それぞれの日記帳には、戦争に追い詰められながらもせいいっぱい生きる少女たちのみずみずしい思春期の日常が綴られている。番組では、再現ドラマと10冊の日記帳、梶山さんら同級生、遺族の証言をもとに、4月6日の入学から8月6日まで120日間の少女たちの日々を描き、原爆によって断ち切られたものの大きさを伝える。


BS世界のドキュメンタリー シリーズ ジャーナリストが見た戦争(仮)
私の戦争は終わっていない ~栄光の第7騎兵連隊 元少佐の告白~(仮) 前・後編

8月4日(火)~8月5日(水)BS1 午前0:10~1:00 (3日~4日深夜)

 アメリカ陸軍“第7騎兵連隊”。19世紀後半、カスター将軍に率いられ、先住民との戦いで一躍アメリカ国民のヒーローとなった。太平洋戦争ではレイテ、ルソンで日本軍と戦い、朝鮮戦争、ベトナム戦争では最前線に立ち、2003年のイラク戦争でも先陣を切って砂漠を走ったのが、第7騎兵連隊の戦車である。
 その陰で語られなかった真実がある。第7騎兵連隊は太平洋戦争や朝鮮戦争で民間人を巻き込む虐殺を行い、ベトナム戦争では連隊に協力した地元の山岳民族を見殺しにした。
 イギリスの制作会社オクトーバー・フィルムズとの共同制作によるこのドキュメンタリーは、第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争で部隊を率いた第7騎兵連隊の元少佐の心の闇に迫り、戦争で犯した罪に自ら対峙する姿を追っている。アメリカの兵士がアジアにおける戦争犯罪に言及している貴重なドキュメンタリーである。

* NNNドキュメント’09 「陣地壕の印鑑 沖縄戦…64年ぶりの帰郷」
* 旧日本軍の陣地壕で見つかった印鑑・・・兵士の遺骨は64年ぶりに郷土へ息子が初めて知った沖縄戦の真実
* 太平洋戦争の激戦地となった沖縄で6月、1本の印鑑が見つかった。認識票から徳島県出身の東端唯雄さんの遺品と判明。長男・孝さんはすぐに沖縄に向かい、戦後64年経てはじめて父の遺品と対面した。迎えたのは同じ徳島出身の平和ガイド・大島和典さん。父親を沖縄戦で無くし、未だに遺骨も遺品も見つかっていない。大島さんは孝さんを沖縄戦の跡地に案内した。そこは旧日本軍が米軍を迎え撃つために堀った陣地壕だった。
* 出演 【ナレーター】柳生 博

2009/08/03 26:12~26:17 の放送内容 NHK総合


* わたしの戦争体験「瀬戸内寂聴」
* 各界著名人の戦争体験を放送するシリーズ。戦場、引き揚げ、空襲、--。著名人が“未来の世代に戦争とは何かという実感を継承すること”を意識しつつ、体験を語る。
* 戦場や銃後の証言を網羅的に収集する「戦争証言プロジェクト」の一環として、各界著名人の戦争体験をミニシリーズで放送する。戦場、引き揚げ、空襲。“未来の世代に戦争とは何かという実感を継承すること”を意識しつつ、体験を語ってもらう。著名人が、孫や若者に向かって直接語りかける、戦争証言記録。作家・瀬戸内寂聴さんは、1922年の生まれ。新婚まもなく夫と北京に向かうが、戦況の悪化とともに夫が招集される。
* 出演 【出演】瀬戸内寂聴


ドラマ「アンネの日記」
全5話版 教育テレビ 8月3日(月)~7日(金) 午後7時00分~7時30分
(再放送) 教育テレビ 9月19日(土)午後2時30分~5時00分 ※5話連続放送
全1話版 「ハイビジョン特集 フロンティア」にて ≫番組ホームページはこちら
BShi 8月11日(火) 午後8時00分~9時40分
(再放送)BShi 8月12日(水) 午後3時00分~4時40分


2009/08/04 26:12~26:17 の放送内容 NHK総合

* わたしの戦争体験「金子兜太」
* 各界著名人の戦争体験を放送するシリーズ。戦場、引き揚げ、空襲、--。著名人が“未来の世代に戦争とは何かという実感を継承すること”を意識しつつ、体験を語る。
* 【出演】金子兜太
* 出演 【出演】金子兜太

2009/08/04 26:20~27:06 の放送内容 NHK総合

* 阿波スペシャル「戦争を知りたい~若者が受け継ぐあの日の記憶」
* ▽戦争を知りたい▽今どきの若者と証言者の対話▽空襲の恐怖▽自爆して散った兵士
* 今年は終戦から64年目。私たちの身の回りに戦争の面影はほとんどなく、戦争を経験した世代の高齢化も進んでいる。悲惨な戦争を繰り返さないために、いま私たちにできることは何か。それはまず戦争の記憶を受け継ぐことだ。この夏、徳島県の高校や大学に通う3人の若者が、地元のお年寄りと向き合い、戦争証言を聞いた。初めて触れる生々しい戦争の現実に、若者たちは何を感じ、そしてどう変わっていったのか。
* 出演 【ナレーション】星野真里

2009/08/05 26:20~27:05 の放送内容 NHK総合

* ふるさと発スペシャル「カルテに刻まれた叫び~大久野島 毒ガス患者の記録~」
* 旧日本軍の毒ガス工場があった大久野島。そこで被害を受けた人々と、40年以上にわたり向き合い続けてきた一人の医師がいた。カルテに刻まれた、毒ガス被害の実態に迫る。
* 旧日本軍の毒ガス工場があった広島県大久野島。戦後64年経った今も工場で働いていた人々は深刻な後遺症に苦しんでいる。医師の行武正刀さんは40年以上にわたり毒ガス患者と向き合い、島での悲惨な体験をカルテの片隅に書き留めてきた。今年3月に亡くなるまで、患者たちの声を証言集にまとめて後世に伝えようとしていた行武さん。彼が記した毒ガス患者の記録をもとに、今も苦しみ続ける人々の現実と一人の医師の人生をたどる。
* 出演 【ナレーション】小見誠広,【朗読】周山制洋


BS世界のドキュメンタリー BBCカメラマンがとらえたイラク戦争

8月6日(木)BS1 午前0:10~1:00 (5日深夜)

 イラク戦争開始直後の2003年、イギリスBBCは2組の取材クルーをイラクに送り込んだ。一方のクルーは、イギリス海兵隊に従軍し、生物・化学兵器の脅威、砂嵐、敵との銃撃戦などに身をさらしながら、生々しい戦況を伝え続けた。そしてもう一方は、イラク北部のクルド人自治区からバグダッド入りを目指すが、途中 アメリカ軍の誤爆を受けて、多数の死傷者を出す。
 敵と味方が入り乱れる最前線で命がけの取材を続けるカメラマンたちの姿を伝えたこの番組は、2003年10月にBS1で初めて放送され、戦争の恐怖の瞬間をとらえた作品として高い評価を受けた。
 オバマ政権が今後 イラク戦争をどのように終結させるのかに注目が集まる中、ジャーナリストが命をかけて撮影した映像を通して、改めてイラク戦争のすさまじさを伝える。

平成21年 広島平和記念式典

8月6日(木)総合 午前8:00~ (8:35)
8月6日(木)BS2 午前8:00~ (8:50)
8月6日(木)ラジオ1 午前8:00~8:55

 8月6日、広島は原爆投下から64年の「原爆の日」を迎える。
 今年また、原爆症の認定をめぐる大きな動きがあった。広島や長崎で被爆した人たちが、全国各地で起こしている集団訴訟で、去年4月に国が認定基準を緩和したあとも、基準より広く原爆症と認める判決が相次いだのだ。これを受けて国がどのような解決策を示すのか、今後の対応が注目される。
 さらにアメリカでは、“核兵器の廃絶”を掲げるオバマ大統領が誕生。世界規模で、核廃絶に向けた機運が高まる中、被爆者たちは自らアメリカに出向いて、懸命な訴えを続けている。
 今年の8月6日も、平和公園は、被爆者や世界から核廃絶を訴えたいと集う人々の深い祈りに包まれる。被爆64年の平和式典の様子を、この1年間の被爆者と核廃絶をめぐる動きを、インタビューを交えながら中継で伝える。

2009/08/06 22:00~22:50 の放送内容 NHK総合

* NHKスペシャル「核は大地に刻まれていた~“死の灰”消えぬ脅威~」
* 旧ソビエトの核実験場で行われた広島の科学者らによる調査で、“死の灰”による被ばくの実態が初めて解明された。大地に刻まれると決して消えることのない核の脅威に迫る。
* 冷戦時代450回を超す核実験が行われた、旧ソ連・セミパラチンスク核実験場。広島の科学者らによる調査で、核保有国が否定し続けてきた“死の灰”による被ばくの脅威が初めて明らかになった。死の灰からの放射線が、広島の爆心付近にも匹敵する被ばくをもたらしていたのだ。広島でも、死の灰は、“黒い雨”として降り注いだが、その影響は見過ごされてきた。大地に刻まれると消えることのない死の灰。その脅威の実態に迫る。

NHKワールド プレミアム > 番組表 > NHKスペシャル 「核は大地に刻まれていた~“死の灰” 消えぬ脅威」

* ドキュメンタリー
* NHKスペシャル
「核は大地に刻まれていた~“死の灰” 消えぬ脅威」
* 8月6日(木) 22:00~22:49
* 旧ソビエトの核実験場で行われた広島の科学者らによる調査で、“死の灰”による被ばくの実態が初めて解明された。大地に刻まれると決して消えることのない核の脅威に迫る。


BS世界のドキュメンタリー シリーズ ジャーナリストが見た戦争
戦場の目撃者~イラク戦争・カメラマンの記憶

8月7日(金)BS1 午前0:10~1:00 (6日深夜)

 イラク戦争とは何か。戦場カメラマンの目線で捉えようとしてきたグループがある。優れた戦場カメラマンに贈られるロバート・キャパ賞や世界報道グランプリなど、数々の国際賞を獲得したジェームス・ナクトウェイ氏は、20年以上にわたって世界各地の戦争や紛争を記録してきた。そして9.11同時多発テロ後に、同じ報道写真を仕事にする7人のグループを結成する。グラウンドゼロの現場に肉迫し、その後のアフガニスタン侵攻、さらにイラク戦争と、7人のカメラマンは、それぞれの方法でアメリカが「テロとの戦争」を掲げて突き進んできたこの2年間を記録し続けてきた。それぞれが戦場の最前線に立つ中、1人はブッシュ大統領専属カメラマンとなり、アメリカの中枢で戦争への道を記録し続けた。イラク戦争時には、タイムやポスト紙などで活躍するこの7人のカメラマンが総力戦でイラク戦争を記録した。カメラマンたちは、戦争終結後も日増しに治安が悪化するイラク各地を交代で撮り続け、ナクトウェイ氏は取材中、手榴弾を投げられ九死に一生を得る事件にも遭遇した。20世紀、アメリカが関与した多くの戦争を撮ってきたナクトウェイ氏のなかで、四半世紀以上追いかけてきた戦争の断片が繋がりはじめていた。グラウンドゼロの視点の果てにようやく見えてきたものがあったのだ。
 統制された戦争報道ではなく、激しい十字砲火下に身を置くことで、戦争の実像に迫ろうとする彼らは過酷な戦場で何を考え、それをどう記録したのか。9.11 以前と以後で戦争はどう様変わりしたのか。番組は鮮烈なスチール映像と7人のカメラマンの証言を軸に、新しい戦争の時代を綴る。
※2004年4月の「BSドキュメンタリー」で放送

ノーモア・ヒバクシャ ~核兵器のない世界を目指して~

8月7日(金)総合 午後7:30~8:45

 核兵器の廃絶に向けて、人類は舵を切れるのかどうか。いま世界は、歴史的な転換点を迎えている。アメリカのオバマ大統領が「核兵器のない世界を目指す」と宣言、現実となった“核テロ”への脅威が、かつてない核兵器廃絶の大きなうねりを生んでいるのだ。
 こうした動きに期待を高めているのは、広島・長崎の被爆者だけではない。冷戦時代の核実験で被ばくした“ヒバクシャ”たちが、世界に数百万人もいるとされる中、旧ソ連のセミパラチンスクやポリネシアなど、実験場の周辺で被ばくした人々が互いに連携し、具体的な行動を起こし始めている。
 番組では、人類に初めて核兵器が投下された広島をキーステーションに、長崎、セミパラチンスクと、核超大国アメリカを中継で結び、“ノーモア・ヒバクシャ”のメッセージを世界に向けて生放送で発信する。

渡辺謙 アメリカを行く 星条旗の下に生きたヒバクシャたち

8月7日(金)総合 午後10:00~11:13
8月13日(木)総合 午前1:35~2:48 (12日深夜)
8月9日(日)BShi 午後10:00~11:49
8月12日(水)BShi 午後1:00~2:49

 明治から大正にかけての時代、アメリカに渡った日本人移民は、広島出身者が圧倒的に多かった。そして、たくさんの家族が、太平洋戦争当時、日本に一時帰国しており、原爆の悲劇に遭遇した。しかし移民の子供、つまりアメリカ生まれの日系二世の人たちは、さまざま事情から、戦後再び、生まれ故郷であるアメリカに戻り、生活していくことになった。こうした結果、現在アメリカには、“ヒバクシャ”が、およそ1000人いるという(長崎の被爆者を含むデータ)。これまで彼らは、辛い過去が多く、また原爆を投下した当事国で生活しているという事情から、自らの人生について語ることを避けてきた。
 今回の番組では、日米の映画界で活躍する俳優・渡辺謙さんが、自らリポーターとインタビュアーを務め、ロサンゼルスやサンフランシスコなどを舞台に、昨年から取材を重ねてきた。そして、2つの国の間を生きてきた、知られざる波乱の人生が次々と明らかになってきた。

 渡辺謙さんがテレビドキュメンタリー取材に参加したのは、9年ぶり。映画『硫黄島からの手紙』などへの出演を通じ戦争や原爆についてさまざま考えてきたことから、また、ここ数年アメリカでの仕事が増え生活もする中でアメリカにおける日本人移民・日系人の歴史に強い関心を持っていたことから、このドキュメンタリーへの参加を決めた。

 なお、衛星ハイビジョン109分版(ハイビジョン特集)では、総合テレビ73分版では紹介しきれなかった、渡辺謙さんによるさらに詳しい取材の様子を加え、いっそう深く、アメリカで生きてきたヒバクシャの人生に迫る。

ハイビジョン特集  渡辺謙 アメリカを行く 星条旗の下に生きたヒバクシャたち
8月9日(日) BShi 午後10:00~11:49 (109分)
8月12日(水) BShi 午後1:00~2:49 (109分)


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裁判員制度は、何故、導入されたの?

2009年08月03日 21時50分44秒 | Weblog
★いまさら手遅れという感じはあるのですが、それでも周りの人に聞くと、ほとんどが「裁判員制度は、何故、導入されたの?」といいます。
 画期的な司法制度の改革と喧伝されていますが、国民にとって知らずに進行するほど怖いことはありません。今からでも遅くないので意義も、問題点も知るべきだと思います。そこで今回は「何故、導入されたの?」について前回の「裁判員制度を考える会}のHPから紹介したいと思います。
http://www.ac.auone-net.jp/~inolaw/saibannin-mondai.html
                           (まもる)
============================
 「裁判員制度は、何故、導入されたの? 冤罪防止が目的?」

 裁判員制度は、99年6月に内閣に司法制度改革審議会が設置され、司法制度全般にわたる議論がなされましたが、01年6月には意見書という形で内閣に提出されました。そこで初めて裁判員制度が提言されました。
 そこでの導入目的を引用すると次のようになります。

 「国民は、これまでの統治客体意識に伴う国家への過度の依存体質から脱却し、自らのうちに公共意識を醸成し、公共的事柄に対する能動的姿勢を強めていくことが求められている。国民主権に基づく統治構造の一翼を担う司法の分野においても、国民が、自律性と責任感を持ちつつ、広くその運用全般について、多様な形で参加することが期待される。国民が法曹とともに司法の運営に広く関与するようになれば、司法と国民との接地面が太く広くなり、司法に対する国民の理解が進み、司法ないし裁判の過程が国民に分かりやすくなる。その結果、司法の国民的基盤はより強固なものとして確立されることになる。」(101ページ)

 司法審意見書原文 http://www.kantei.go.jp/jp/sihouseido/report-dex.html


 他方で、最高裁のホームページによれば、その目的は以下のように掲載されています。
  「これまでの裁判は,検察官や弁護士,裁判官という法律の専門家が中心となって行われてきました。丁寧で慎重な検討がされ,またその結果詳しい判決が書かれることによって高い評価を受けてきたと思っています。
しかし,その反面,専門的な正確さを重視する余り審理や判決が国民にとって理解しにくいものであったり,一部の事件とはいえ,審理に長期間を要する事件があったりして,そのため,刑事裁判は近寄りがたいという印象を与えてきた面もあったと考えられます。また,現在,多くの国では刑事裁判に直接国民が関わる制度が設けられており,国民の司法への理解を深める上で大きな役割を果たしています。
そこで,この度の司法制度改革の中で,国民の司法参加の制度の導入が検討され,裁判官と国民から選ばれた裁判員が,それぞれの知識経験を生かしつつ一緒に判断すること(これを「裁判員と裁判官の協働」と呼んでいます。)により,より国民の理解しやすい裁判を実現することができるとの考えのもとに裁判員制度が提案されたのです。」http://www.saibanin.courts.go.jp/qa/c1_1.html(最高裁ホームページ)

 要するに、これまで刑事裁判には、何も問題はなかったが、国民にとってわかりにくかった、長期裁判になっていた、というだけのものです。これは制度が導入されたがために、とってつけた根拠にすぎません。
 司法審意見書では、あからさまに「国民は、国に依存するな、公共的精神を身につけろ。」と言っています。
 もともと、司法審が裁判員制度を提言したのは、全くの思いつきでした。陪審制度導入を主張する中坊氏らとそれに反対する最高裁の議論の中で突如として出てきたのが「裁判員制度」でした。改革を提言するための司法審として、「大改革」を提言することに存在意義があると思い込んでいるような思いつきの改革案です。
 結局、このような思いつきのまま制度が導入されてしまったもので、04年3月には、裁判員法案が国会に提出されましたが、わずか3ヶ月弱の超スピード審理で6月に可決、成立しています。何と全会一致で成立しているのです。
 はっきりいって、多くの国会議員は、ほとんど内容を理解しているとはいえません。実施時期になって、「裁判員制度を見直す議員連盟」が広がっているのも、そのような事情があります。
 裁判員制度の背景としては、司法審意見書にあるように「国民統合の役割」が上げられています。これは国民を統治機構に組み込むことによって、統治する側の意識を持たせるというものです。そして、その責任を負わせるということです。
 これは、実は民主主義の思想とは全く相容れないものなのです。国民主権のもとで、国政に参与することは権利であれ義務ではありません。またそれは投票での意思表明であったり、表現の自由を駆使した権力批判です。しかし、裁判員制度は、内部に取り込むことによって責任を果たせと言っているものであり、発想は全く逆であり、むしろファシズム思想に基づくものなのです。多くの国会議員は不勉強であったためにすんなり可決成立しましたが、その方向性はきな臭いものと言わざるを得ません。
 ところで、日弁連などから、裁判員制度の目的を、冤罪の防止だという主張があります。しかし、国会の審議ですら冤罪防止なる議論は出てきていません。また、制度設計上も冤罪防止を実現するためのものにはなっていません。この裁判員制度を冤罪防止のための制度と位置づけるのは無理があるどころか、国民を動員するために欺すようなものです。
 08年8月には、社民党、共産党が相次いで裁判員制度の実施の延期を求めていますが、ようやくこの制度の恐ろしさが浸透してきたのだと思います。
 他には、国民新党、新党日本、新党大地もこの裁判員制度に疑問を示しています。民主党、自民党の中にも疑問が広がっています。
 これまで野党が賛成していた背景には、日本弁護士連合会(日弁連)が、裁判員制度を積極的に推進していることが大きいといえます。

★次回は  何故、日弁連が裁判員制度を推進するのか?

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日本外務省はなぜオバマ核軍縮に反対なのか?   落石

2009年08月03日 17時22分43秒 | Weblog
この疑問に答えてくれそうなは、田中宇さんのブログでした。
それに関係する部分ですが、今一つよくワカリマセン。
引用しますので、どなたか解説して下さい。


北朝鮮は、核兵器を廃棄すると言いつつ、一部を隠し持つかもしれない。
しかし重要なのは、北が核兵器を隠し持つかどうかではなく、
東アジアに紛争を抑止する多国間の枠組みを作れるかどうかである。
それについて米国は、北朝鮮の核問題が解決したあかつきには、
北核問題の6カ国協議を、東アジアで初めての多国間安全保障の枠組みに
発展・存続させる構想を、前政権時代から持っている。

 この新体制下では、北朝鮮は中国から監督される代わりに、
日米韓は北朝鮮に対する敵視をやめて、和平条約を締結することになる。
これによって和平の枠組みが作られれば、北が核を隠し持っていても、
大した問題ではなくなる。

 日本はこの新体制に移行する際に、北朝鮮と和解し、
ロシアとも和平条約を結ぶ必要がある。
北方領土問題は、日露合意のもとで棚上げするか、
二島返還で解決するしかない。
米国の覇権衰退とともに、今後の日本は米国の後ろ盾が失われ、
ロシアに対して弱い立場になるので、
二島を大きく上回って日本側が返還を受けられる可能性は非常に低い。
中国に対しても、日本は今よりさらに弱い立場になるだろう。

 日本が弱い立場になることを拒否して単独で軍事大国化するという
選択肢もないわけではないが、世界的な核廃絶の動きが始まると、
日本の核武装は許されなくなる。
すでに日本は、世界から「米覇権が崩壊したら核武装しそうな国」
と疑われている。
こっそり核兵器開発すると、すぐにばれて世界から非難され、
日本は窮した挙げ句に稚拙な逆切れ状態となり、
戦前の二の舞になりかねない。

 今後の世界の核拡散防止は、英首相が言うように
「核兵器を持っていない国が、持っていないことを証明する責任を持つ」と
いう体制になるだろう。
世界から核武装を疑われ出している日本は、
イランのように濡れ衣をかけられる懸念すらある。
今後、米国の衰退が顕著になるとともに、
日本は核武装すべきだという主張が、世論の人気取りのために、
日本の言論界や政界で増えそうなだけに危険だ。

 米国は、今後しばらくは、日本に対する核の傘を保証し続けるだろう。
しかし、それは建前だけだ。
米国は、軍産英複合体が意外な復活を遂げない限り、
一方で日韓などに核の傘を保証する言葉を発しつつ、
他方では核兵器の廃絶を進行させるだろう。
日韓など、米国への依存が強い国々も、
いずれ米側の言葉を信用しきれなくなり、米国への信頼を失うだろう。
日本は、強硬な孤立主義や核武装に流れずにすめば、
北朝鮮やロシアと和解していき、
6カ国協議が発展して作られる東アジアの多国間安保体制の中で、
新たな安定を見出すだろう。

   

日本外務省は産軍共同体の日本の出先機関なんでしょうか?
まさか、そこまでは行っていないと思うけれど。
では、何故?
自民政権が政権を保持するためには、北との危機が必要だが、
それが消えてしまうから?
それなら、とんでもない公務員じゃない?



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裁判員制度は国家による徴用です!! 

2009年08月03日 12時28分34秒 | Weblog
★いよいよ裁判員制度で裁判が行われます。バラ色と喧伝されたこのパンドラの箱を開けてみたら様々な問題点が飛び出してきました。北海道裁判員制度を考える会のHPにこの制度がいかにいい加減かの情報が分かりやすく載っています。
 紹介します。是非、読んでみてください。「制度反対、ガッテン ガッテン」です。 http://www.ac.auone-net.jp/~inolaw/saibannin-mondai.html 
                                         (まもる)

===========================
● 裁判員制度は、市民参加でよい制度ではないの?  司法の民主化ではないの?

最高裁や法務省、日弁連などは、「裁判員になることのお願い」なる論調で広報しています。
 しかし、これは大嘘です。
 [お願い」どころではありません。裁判員法にははっきりと出頭義務を規定しています。出頭しない場合は、10万円以下の科料に処せられます。
 最高裁や法務省、日弁連は、はっきりと「国民としての義務だ、お前らは黙って従え!」 という方が正しいわけです。
 裁判員制度は、あくまで国民徴用制度です。

 しかも、裁判員制度は、裁判の民主化ではありません。なぜなら、選ばれた裁判員というのは、抽選で選ばれるだけで、私たち有権者の代表ではないからです。投票によって代表を選出する議員とは全く性質が異なります。
 さらに、その裁判員の選任過程にも問題があります。裁判官は、不公正な裁判をする恐れがあれば、最初から裁判員に選任することから、排除することができます。

 このように、偶然、選ばれたような裁判員が裁判に加わることが、どうして裁判の民主化なのでしょうか。特に日弁連やその関係者が裁判の民主化のごとく主張していますが、あきれるばかりです。
 さらには、裁判員として参加した国民に対しては、守秘義務を課して、その批判される手段を封じています。批判さえも許さない制度が民主的であろうはずがありません。

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「民主党政権のかかげる旗はどんな旗」     日刊ベリタ橋本勝

2009年08月03日 09時54分42秒 | Weblog
★今日は日刊ベリタhttp://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200907271053291に連載橋本勝氏の風刺記事を一つ紹介します。(ネット虫)

「民主党政権のかかげる旗はどんな旗」

21世紀になってからの小泉、安部、福田、そして麻生と続いた自公政権のあまりの酷さの当然の報いか8月30日投票の総選挙で自民党は大惨敗をするという予想が高い。 
 ザマアミロ!と喝采を叫びたい思いだ 
でも意外に自民党が健闘して民主党がそこそこの勝利なんかで終わったりすると 
大連立の悪夢が再現されたりするかもしれないし、また民主党が圧倒的な勝利なんてことになると 
社民や共産の意向を無視しての独断的な政治をやりかねない。 
 とくに防衛、憲法問題に関して自民顔負けの政策を実施するかもしれない「鳩山次期首相」は本質的には改憲論者なのだから。 
そんな心配を具現化してくれたのが 今回の「核持ちこまさせず」の見直し発言。 決して「非核3原則」を否定するものではなく米艦船に核兵器を搭載して日本に寄港してもいいという日米政府による密約があったということが明らかになったことに対しての現実的の配慮と弁解しているがやはり民主党政権になっても日米安保は維持し続けるということであり、そのことは当然、アメリカの核の傘がなければ日本の安全はありえないと思っているということであろう。 
 
国是であるはずの非核3原則がお題目だけのものであり続ければいずれ「核持ち込ませます、核を持ちます、核を作ります」の『有核3原則』に『非核3原則』が変質することもありえるのである。 




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