九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

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ロスト・ジェネレーション  落石

2007年01月14日 10時42分27秒 | Weblog

朝日新聞が25歳から35歳までの世代を
ロスト・ジェネレーションと定義した連載をしています。
この世代は団塊の世代の子供たちにあたり
豊かな日本に生まれ、格差社会のなかに放り出された若者たちです。
弱肉強食の世界に生き抜くために彼らが味方と感ずるのは
どういう組織なのでしょう?
会社?労働組合?いずれも頼りになりません。
彼らのアイドルはホリエモンと雅子さまだそうです。
頼りになるのは、お金。
親近感を持つのは普通の人から皇族となった雅子さん。
しかも決して幸せでない雅子さんです。

このロスト・ジェネレーションは現状に不満です。
変革を求めています。保守には嫌悪感があるようです。
そういう意味で、小泉さんに親近感を持っていたそうです。
ロスト・ジェネレーションが9条を守ろうというスローガンに
冷淡なのは9条を守るということが保守に感じられるからでは
ないでしょうか?
積極的に現状を打開していくビジョンを求めている彼らに
「守ろう」というコトバは届かないかもしれません。

いずれにせよ、これからの日本の中心になるロスト・ジェネレーション。
変革を求めている不安定な世代ではないでしょうか?

私のように、年金で生活し、9条を守ろうというような人は
保守派そのものでしょうね。

また彼らは赤紙によって家族を奪われた体験から遠く
国家を危険視していません。
会社、労働組合など、帰属意識を持てない彼らが「美しい日本」国家に
帰属意識を持とうとしても当然なのかも。

コメント (7)
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母の闘い その3  文科系

2007年01月14日 05時50分17秒 | 文芸作品
 「じゃぁ」と、息子が腰を上げ、私の病室から帰宅しようとした。私は、座ったベッドから柵を支えにシャンと立ち上がり、伝い歩きで扉まで、見送りにたどり着こうとする。少しでも力強く見えることが肝腎、そう努めながら。
 「そんなぁ、座ってればいいのに」
 貸したい手を抑えるような素振りでついて来ながら、今日もまた彼は苦笑いしている。私の心が楽になったようだ。彼に、九十歳の病人の闘志が伝わっていると感じたかららしい。
 「ほんとに、じゃぁ」。彼は、そう言ってこちらを向いたまま離れて行き、エレベーターを待つ間もいつものようにこちらにほほ笑みかけてくる。私も、彼が言うところの特技、「晴れやかなほほ笑み」の感謝を体中に表そう、そうなっているだろうか。今、エレベーターに入り、柱に隠れたその入り口から彼の右腕だけが見え、それが振られた。

 脳内出血から一年以上にわたって幾つかの病院を転々としてきたので、土、日曜の自宅『外泊』で私のベッドに横になると、確かにホーッと声が出る。だけど、二日目になるともうなんだか疲れ果てる。同居の彼ら夫婦は共働き。私もそうだったので、彼らの大変さをあれこれと勘ぐり過ぎてしまうのだ。そう言えば、「週末は『ウチ』だよ」と彼が告げるときも、嬉しいのだがくしゃくしゃの苦笑いになってしまう。「あしたは(病院に)来る?」とは問えても、「分からない」と応えられると「来てよ」とはけっして言えない。こんなことばかりをやり慣れると、ほんとの自分の気持ちがどこにあるのか、疑念さえ湧いてくるようだ。まったく。

 病む夫を看取りて帰る夜寒かな
 少々ぼーっとなった頭にも、八年前のこの句をめぐる思い出はちらちらと浮かぶ。この句の半年ほど後、おじいさんの臨終が告げられた病院の廊下でのことだ。「もう生き返っては、来ないよねぇ」、この句の延長線上で漏れた、私の呟き。瞬間、横を、この息子の表情を探った私。この呟きは確かに両様に読めると言い聞かせてはきたのだが、そのころ私は、広い家に二人だけで住んできた情けないおじいさんへの嫌悪感を抑えることが出来ずにいて、半分鬱病のようになっていたのだった。ただ老いるに任せるだけの人生なんて、と。

 今日、土曜日、また自宅で、狭くて急な階段の手すりに両手でつかまって片足交互に上がる私。脇で見守りながら上がって来る彼は、「片足交互の頑張り」をしっかりと見ていてくれるはずだ。
コメント (2)
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