(浄妙寺/鎌倉)
チャンネルをオリンピックに回すと、思わず新体操に寝不足気味の眼が釘付けになった。
カラフルなレオタードに先ず気が惹かれた。それに演技者五人がまるで測り揃えたかのように細身の身体で手足が長い。リボンやボールなどの手具を使いながら音楽に合わせて、13m四方のフロアマットで演技を行い、美を競っている。
相次ぎメダルを取った柔道やレスリングを見ていた時間が長かったためか、新体操はユニホームの色や選手のプロポーション等の明らかな違いに自分の眼が戸惑っている。2分30秒の演技が終わった時、やはりこの欧州のチームは人種が違うのだ、日本人にはあり得ない身体特徴を持っていると思った。日本人はどんな芸術性が高い演技を発揮しても敵わない競技だと痛感した。しかし日本でも選手選抜の際には、身体能力だけではなくプロポーションも審査基準になっているらしい。
以前聞いたこともある。クラシックバレーの世界でも、子供をスクールに入れる際、著名な伝統あるスクールでは子供の面接の他、当然として母親との面接も行い、母親の現在のプロポーションなどを観察し、どんなDNAを持ち合わせ、どんな生活環境などか等を推し測るらしい。
演技が終わるとスタンドにTVカメラが向いた。同時に「スタンドのお母さんも大喜びです」とすかさずアナウンスが入る。映し出された画面に、一瞬我が目を疑った。TVカメラの捉え間違いではないかとも疑った。そこには演技者とは似ても似つかわしくない、柔道で言うなら最重量級の逞しいオバサンが立ち上がり、大きな胸や腹を左右上下に波打たせながら国旗を振りかざし何やら大声で叫んでいる。
この演技者の将来を見た思いがした。この演技者がタイムマシーンで瞬間に20年後にタイムスリップすれば、お母さんみたいに変化するのか。
現在の美はどこに行ってしまうのだろう。
改めて考える。
“時”は人に無関心で、人は“時”に無関心。“時”が人のために止まることはないと。
時と人との関わりがなければ、どんなにか人生は静かなことでしょう。後悔も未練も希望も全部人と時の関わりが原因です。限りがあるから、焦りも達成感もあるのでしょうね。願わくば、時を味方につけた生き方をしたいものですね。