(逗子マリーナ防波堤)
一週間の食止の間、点滴スタンドから三本の管が腕の一点に注がれていた先月の病院での事。初めて食事を出された時は、スプーンを動かすのを忘れ、嬉しくて暫くジッと茶碗の中を見詰めてしまった。ご飯と言ってもドロッとした、まるで糊をお湯で薄め、それに片栗粉を混ぜたたような白い液体にしか見えなかった。しかし久し振りの香りは間違いなく米だった。口に運ぶとジワッと慣れ親しんだ味が口の中いっぱいに広がり、思わず誰とはなしに感謝した。
そして考えた。
今までどれくらいの量の米を口にしてきたのだろう。朝食もご飯派だ。これまで米が材料の日本酒も焼酎も相当に飲んで過ごしてきた。振り返れば餅を食べない正月は無かったし、上新粉や白玉粉を原料とした和菓子なども好きだった。
更に味噌、醤油、酢なども毎日の生活には欠かせなかった。
計算の途中で止めた。ハラが減っては戦ではなく計算がまとまらない。
病棟の患者の溜まり場で、雑誌に興味ある記事を見つけた。
『大人一日分のご飯は、どれほどの籾種から収穫されるのか、答えは24粒だ。籾種24粒を蒔くと、苗24本が芽吹き、それを3本ずつ8株に分けて水田に植える。すると秋には稲8株が実り、それから13860粒が収穫される。その籾殻を取り精米すると、一日分の白米二合五勺になる』との事。
三食ともご飯を食べたとして、二合五勺の量は茶碗に6杯~7杯ぐらいになるのでは?自分には些か多過ぎるが---。
資料によると、米の価額はパンの半分ほどに下がっているらしい。それでも米の消費額はパンに逆転されてから久しいと言う。
確かに我々の環境は食べるものが豊富にあり、食べるものがお米だけという時代ではない。また米はご飯にするまで手間が掛かるし、後片付けにも時間を取られてしまう。さらにご飯は太ると言うイメージが付きまとっている。
日本の食料自給率は年々減り続けて現在39%(カロリーベース)。
中でも、唯一自給率100%を誇る米だが?-。
米よ、これからもよろしく!
米の美味さを感じるとき、日本人は色々なことを思う.
心も身体も基本は米で作られてきたような気がします。いまどきの手足が長く、顔の小さな日本人には分からない感覚かもしれません。
米の美味い季節になりました。勿論米だけではありません。魚も野菜も果物も勿論蕎麦も酒も・・・・・。
美味いものを少しだけいただきましょう。