1月31日

2012-01-31 | Weblog
寒さで縮こまっていたのでしょうか?何だか長かったように思われます。やっと、明日から2月です。

大河ドラマ「平清盛」のオープニング画面が気になっていましたが、やっぱり気持ちが悪くなります。
「画面の切り替えが、早くはないですか?」
それも、子どもの映像と大人の映像が入り交じって、しかも煩雑な画面構成になっているように思います。
画面の変化についていけないのは、年齢が高くなっている証拠かも知れませんが・・・じーと見ていると眼も脳も疲れてきて、やがて吐き気がしてきます。気分が悪くなるのです。
それに続いて物語が始まっていきますが、清涼剤のような画面は出現しませんし・・。

物語の展開もとってつけたような感じで、見ている者の気持ちが分断されます。こんな風に感じるのは、当方の勝手ではありますが・・・

1月30日

2012-01-30 | Weblog
毎年この時期になると楽しみにしていることがあります。芥川賞の受賞作を読むことです。でも、今年ほど読みたいという気持ちが起こらないのは初めてです。なぜ?
読書そのものに対する興味関心が薄れてきたからでしょうか?

書き手が異色の経歴の持ち主であることには興味をそそられるのですが、良い印象を持てなかったこと、内容も難解そうなことなどで本屋に向かう気がしません。

少し前頃から、芥川賞受賞作にワクワクする気分が持てなくなってきています。芥川龍之介の研ぎ澄まされたような文体と奥深い味わいのある内容は、読むほどに心に滲みていきます。その名を冠した受賞作にも、ついその雰囲気を求めていたように思います。

現代作家の物語を創出する能力の高さには凄いものがあるように思いますが、無理なく読めて気が付くと、なにがしかが心の奥底に染み渡っていると言った作品を書いては貰えないでしょうか?


1月29日

2012-01-29 | Weblog
晴れた日は、南側の部屋と北側のそれでは大違いです。まさしく赤道直下と北極です。
日当たりの良い部屋は、暖房を入れなくても過ごせるのです。

この太陽熱を利用しない手はないでしょう。
なぜもっと早くに、この利用法を研究開発してこなかったのでしょうか?と今更ながらに思います。

家の建て方やその資材、暮らしの方法など工夫することは多いように思います。
「温故知新」という言葉が浮かんできます。過去から学ぶこと、先人達の知恵に学ぶことも多くあるでしょう。

雪に閉ざされる地方にも、何かよい方策はないものでしょうか?



1月28日

2012-01-28 | Weblog
今年も早々に、惜しまれる方が亡くなられたようです。
現在70代以上の方々は、戦後の日本を先頭に立ち引っ張って、世界に日本の存在感を知らしめてきた方々と思います。

何かにつけて困難のつきまとう時代に、まさに「ハングリー」精神でしょうか?はたまた、まだ色濃くあったであろう武士道精神でしょうか?何事にもめげずに、今の日本の礎になってくれたと思います。
単なる個人の名声欲ではないでしょう。溢れる才能の発露に過ぎないと言うわけでもないでしょう。

次ぎの世代である60代は、いわゆる団塊の世代を含み、その圧倒的な数で日本社会の経済成長を支えてきたと思います。この世代は、みんなが主役で全員出演といった感じがします。50代・40代は、現役として今を走っている世代です。

石岡瑛子さんも、戦後日本の牽引役だった一人でしょう。困難な時代を想像するに、その努力と気力に頭が下がります。
ご冥福をお祈りすると共に、次ぎに続く日本人になることが、命ある者の使命のように思いますが・・・・・

1月27日

2012-01-27 | Weblog
北の国では、猛烈な雪で生活が脅かされています。
こちらも今朝の気温は氷点下になりました。雪は降っていませんが寒いです。

原発はほとんど運転停止になってきています。電力不足が言われつつも、一斉に停電になる様子はありません。原発は稼動しなくても、電力不足にはならないのではないでしょうか?
部屋の中でも重ね着をし、暖房の設定温度は21度(20度では我が家の建築構造上寒すぎなので)にして頑張っています。少しでも節電して自分に出来る社会貢献をしようと思ってのことです。

有り余る電力はなくとも、何とか寒さをしのぎ暮らしていけるだけのエネルギーが賄えれば、やはり原発エネルギーに頼る生活からは脱却しなければなりません。
4年以内に70%の確率で次の大地震が起こるとも言うのです。現状の福島も決して安心できない状況ですから、更なる問題を抱える余裕はないはずです。

各企業は、“無駄を省く、もったいない!”を根底にした知恵を出して、商品開発をして欲しい。若い優秀な人材は、その頭脳こそを使い放題にして、アイデアを出して欲しいものです。
ただ心配なのは、彼らは“勿体ない!”の日本語を耳にせずに成長した人達ではないかと・・・
寒いと頭も冴えてくるのか、知恵のない私でも何かと国家天下(?)のことを考えてしまいます。

1月26日

2012-01-26 | Weblog
つらつら思うに・・・明治政府の誕生時は、今の世からは考えられないくらいの転換ではないかと。大戦後の日本社会も、今以上の混乱した社会ではなかったかと・・・。

現在の日本社会は、先行きへの不安も多く混沌としている感は否めないものの、アフリカの春を生きている人達からすれば、大きな混乱もなく概ね平和な暮らしをしているのではないでしょうか?

大きな転換を経験し、多くの国土が焦土と化した折りでさえ、日本は沈没などしなかったではないですか。先人達の知恵と努力が今を築いています。

日本経済は破綻への道を辿っているといい、“奇跡の復活日本”は終わったかのように報じられていますが、歴史を振り返ると決して悲観的な気分にはなりません。

今を生きる者達が知恵を出し合っていけば、自ずと道は出来てくるのではないでしょうか。今は、大きな歴史の転換期にあるように思われます。

今のリーダーに求めるものは、ささやかだけれど誰もが幸せに暮らせる社会を創る施策です。

1月25日

2012-01-25 | Weblog
通常国会が開かれましたが、一向に日本の政治・経済・社会の改善される糸口が見えてきません。
野田総理の自民党元首相の演説を引用しての演説には、少々稚拙さを感じます。「自分たちが以前言っていたことなんだから協力しなさいよ。」と言わんばかりの演説は、子どもの喧嘩文句みたいではないですか?

国会は、この2,3年政党の立場が入れ替わっただけで同じ議論に終始しているだけのように思えます。それも不毛な議論です。
先ずは、早急に議員定数を減らし、歳出を抑えることを考えて欲しい。無駄な国の出先機関とやらが多くあるようにも思えます。統廃合して組織を再編成することも考えて実行し欲しいものです。

自民党も、解散ばかり唱えなくても、この国の何をどうするのか、明確な国家創造ビジョンを、国民に分かりやすく発信して欲しい。
政権与党の矛盾は分かっているのです。そんなことを声高に突くだけのメッセージなどは、もう辟易しています。


1月24日

2012-01-24 | Weblog
北の国々ばかりか都心でも雪のようです。いえ、南の国でも雪がちらついた由。
こちらも寒さを“冷たい”と表現したくなる程ですが、太陽は燦々とそそいでいます。

この日本列島は、小さな島国なれど南北に細長く、気候も変化に富んでいるんだなー、と改めて思います。

それにしても、都会で暮らす人間の生活は不自由なもののようです。4cm程度の積雪でも滑って転んで大けがになることもあるし、車も滑って各所で事故が発生したりもしているようです。

雪国ではその備えが出来ているので、大きな事故のニュースは聞きません。
雪に対する備えとは、設備的なものばかりか、暮らし方の知恵が備わっていると言うことなんでしょう。

1月23日

2012-01-23 | Weblog
何かと物議を醸している大河ドラマですが、長年の惰性で今回も見てしまっています。ネットの感想では、賛否両論あるようですね。

学生時代に歴史の勉強を十分にしなかったので、大河ドラマで学んでいるつもりです。今回の「平清盛」で一番気がかりなことは、史実との整合性です。どこまでが史実なのか、何がフィクションなのか?何を信じて良いのか?と。

武士の世になったのは、鎌倉幕府を興した源頼朝であり、平清盛は武士上がりのお公家さんというイメージできています。
なので、汚い出で立ちで粗野な平清盛の青春期は、公家の姿になっていく為の必要な演出なのだろうかと思ったりしています。

ネット上の感想の中に、役者に重厚感がないというのがあったように思います。それは、最近の大河ドラマ全般に言えるのではないでしょうか?
少し人気の出た人達を、すぐに大河ドラマに起用するという手法が問題だと思います。

歌も演技もトークショウも何でも出来るという、いわゆるタレントさん達が、大河ドラマの出演者になるのですから。

そろそろ、本物のを時代劇を見たいと思いますねー。

1月22日

2012-01-22 | Weblog
今日の朝日新聞朝刊を開けると、福原愛選手の写真が目に飛び込んできました。“いい顔”でした。

彼女は、早くから天才少女と言われ、その強さと屈託のない可愛らしさで、スポーツ界のマスコットの様な感じでした。

それが、13回目にして全日本初勝利ということです。
13年というのは、結構長い月日です。その間、諦めず気持ちを腐らすこともなく、また、怪我も病気もせずに挑み続けることは、陰ながらの努力があってのことでしょう。
まさに、“天才とは努力の出来る人”なのだと、つくづく思わされます。

新聞の写真で見る顔は、あっけらかんとした嬉しい笑顔ではなかったです。彼女の今までの人生を感じさせる“いい顔”でした。