4月30日

2011-04-30 | Weblog
今日で4月も終わりです。
3.11から、あっと言う間に時が過ぎていきました。

大型連休も始まっています。風薫る5月になると言っても、どうも心が踊るような気持ちにはなれません。
後1月もすると、梅雨になります。被災された方々の生活再建を急がなきゃーと思ったり、水責めの原発は汚染された水を増やすばかりで、どうやって処理するのかと心配は募ります。

夕べは、「一時おとぎの世界にでも」と、ロイヤルウエディングの生中継を見ていました。厳粛な神への誓いの言葉や華やな馬車パレードなど・・・でも、寝る家もなくしている多くの同胞の事が脳裏をよぎります。これにもやはり心は躍りませんでした。

いつもならワクワクするフィギュアスケートにも、気持ちが入りません・・・

4月29日

2011-04-29 | Weblog
夕べ突如、ガスの自動遮断装置が働き、お湯を湧かすことも出来なくなりました。夜9時30分頃に、ガス会社の方が来て見てくれましたが回復しませんでした。夕べはお風呂も沸かせられなくて、今朝はお茶も・・・。

もっとも、お湯は電気ポットもあるし、電子レンジでも湧かせられましたので、お茶もコーヒーも飲めました。でも、ついガスを使う行動になりますから、食事の支度も不便を感じました。

東北の被災地では、水道も電気も不通となれば、本当に何も食べることも飲むことも出来ないのだと、少しばかりその不便さを実感出来た思いがします。それが、何日も続くのですから・・・

今朝、修理に来てくれた担当者は、先日まで仙台に行っていたそうです。被災地でのガスの不通では、「お風呂が困る」と言っていたとのこと。作業応援に行って、喜んでもらえたとも・・・

その経験からでしょうか?朝9時過ぎに来てくれて、2人がかりで1時間30分くらいかかって直してくれました。部品を別の人に持ってきてもらったり、ととても熱心に。
お陰で、昼食は「外食かなー?」「コンビニ弁当かなー?」と思っていましたが、焼きめしを作って食べられました。
技術者とは、本当に有り難い存在ですねー。人の役に立てる人間になるには、何らかの技術を身につけておくことだとつくづく思います。

4月28日

2011-04-28 | Weblog
また1つ感動しました。ドナルド・キーン氏の意思に。「日本永住を決意した」と。
多くの人は、望郷の念絶ちがたく年齢を重ねるほどに一層、その想いは募るものと思われます。
88歳になられていて、母国アメリカで幸せに暮らしておられるでしょうに・・・

決意のきっかけが、東北大震災ということです。
多くの外国人が、災禍を逃れるように日本から去って行っているというのに、その渦の中に入ろうとしています。

こんなにも日本を愛してくれる外国の方がいらっしゃるということに、驚きと感激と申し訳なさまで感じます。
日本人の自分よりも、日本の文学や文化を熟知しているキーンさんには、永遠の命をあげたいと思います。
この意思に報うべく、恥ずかしくない日本人でありたい、新世日本を創りたい。

4月27日

2011-04-27 | Weblog
朝日が入ってきて、曇りから雨の予報とは大違いでは?と、午前中は思っていました。毛布も、ホットカーペットも干して仕舞うことが出来ましたから。

午後から雲の多い空模様になり、2時半頃からは雷がゴロゴロ、横殴りの雨になったではないですか!やっぱり、最近の天気予報は当たるんですねー。

雨を見ながら、ふと思いつきました。
水棺にすると言うことですねー。毎日のように起こる余震が、“福島浜通”とテロップが流れると恐いです。
そこで、水を保冷剤のようには出来ないのでしょうか?冷たいゼリー状にして格納容器を冷やすというのは・・・・???

4月26日

2011-04-26 | Weblog
「みんなで頑張ろう!」を合い言葉のようにしている日本です。
ですが、この有事にさえ同調できなくて混乱を起こしているのは、他ならぬ政界与党でしょうか?

一兵卒になって党を支えると言った人や、次の首相にバトンを託した人などが、一致団結して事に当たっているのは、身内の批判なのでしょうか?

迅速な被災者への生活保障や生活再建に向けた取り組みが求められている今、政治家さん達は自らの報酬をカットしてでも身を粉にして働いて欲しい。

野党の人達は、復興の具体的なビジョンを、国民に分かるようにドシドシ提案して欲しいのです。

4月25日

2011-04-25 | Weblog
各業界が、様々な節電に取り組んでいるのを聞きます。

演劇界も舞台の照明を落とした出し物や振り付けにするとか、開演中のロビーの照明を消すとか、「なるほどナー」と思わされます。単にネオンやライトアップを取りやめるだけではなく、色々考えられるものです。

日本は、家の中が明るすぎるのでしょうか?
欧米を旅したとき、室内の明かりが全般的に暗く感じました。間接照明が多いせいでもあるでしょうか?
1か月ほどのアメリカ滞在時には、ちょうどサマータイムで時間が変わるという時期にも出くわしました。でも、このメリットは全く理解できませんでした。

朝5時起きで、6時台に家を出て3時過ぎには帰宅するという生活時間は、朝が辛かったのを覚えています。明るい内に家に帰っても、時間をうまく使えないし・・・

このサマータイム制が節電になるというのも、ちょっと分かりませんが・・・

4月24日

2011-04-24 | Weblog
震災後1か月半になり東電の原発安定化工程も出された今、専門家らしき評論家の人達から、東電の初動時対応の甘さや危機管理の不備が指定されてきています。

では、その3.11当日から2~3日の内に、どれほど有効な手段を提言できたのでしょうか?東電に備えが足りなかった事は、「想定外」という言葉が意味するように、この事態を真剣には考えていなかったのでしょう。
それは、東電のみならず国民一人ひとりではないでしょうか?

原発について、今ほど真剣に考えることはなかったです。節電が言われるようになっていた昨今でも、エネルギー問題を全ての国民がどれだけ真剣に考えていたのでしょうか?我が身に降りかかって初めて、事の重大さに気付くのは世の常でしょうが・・・。

便利、簡単、快適を求めるが故に、なくしてきたものや忘れてしまったことなどを、日本人一人ひとりが思い起こす必要があるのではないでしょうか?

批判するのは簡単ですが、新しい日本創造の道筋への具体的な提言をして欲しいものです。特に、様々に専門家と言われる学ある方々は、検証を踏まえた具体的な方策を提言してこそ意味があると言えましょう。
私たち一人ひとりが、そのライフスタイルを見つめ直し、過去の日本人の暮らし方を学び直したいと思います。

4月23日

2011-04-23 | Weblog
とあるところで、70歳代でしょうか3~4人のおばあちゃん達の会話が耳に入りました。
スーちゃんのことです。突然の若すぎる死です。かこおばあちゃん達にしてみれば、順番が違うという気持ちもあったのでしょうか?

スーちゃんの夫は、夏目雅子さんのお兄さんとか?初めて知りました。物知りおばあさん達の会話は、上原謙とかの名前にも及んでいきました。

田中好子さんが、乳ガンになっていたことも知りませんでした。最近は、すっかり女優になっていたナーと思っていたのですが・・・55歳は若すぎます。

やはり、人の命はいくら健康に気をつけた生活をしているといっても、自分でコントロール出来ないのだと痛感します。天災にあっても助かる人とそうでない人に分かれます。命は、やっぱり与えられているのでしょう。

彼女は、与えられた55年の時間に、濃密な人生を生きたのではないでしょうか。ご冥福を祈ります。

4月22日

2011-04-22 | Weblog
まだ1万人を越える人達が避難所生活を余儀なくされている訳ですが・・

更地のようになった道端に電柱がまっすぐに立ち、店が開店し漁業関係の方々が海に船を出している姿は、確実に復興しているようでうれしいです。

それでも、地盤地下した町の復興は一気には元に戻せないでしょう。オランダやベネチアに学ぶ町作りが必要になるのではないでしょうか?

そして、原発地域の方々は、本当に怒りと不安が収まらないでしょう。家も畑も家畜もいるのに、そこから待避しなければならないという現実・・・家畜たちを見殺しにする辛さは察するに余りあります。
何としても、一刻も早い原発の収束を図るしかないのですが、その作業に当たっている方々も命がけで、また被害者でもあるでしょう。

「頑張れ!」と言う言葉は、かえって辛いのだとも聞きます。それでも、私たちは自らを「頑張れ!」と鼓舞して前に進んでいくのだと思います。

4月21日

2011-04-21 | Weblog
こちらでは、桜の季節はすっかり終わってしまいました。
花散らしの雨の後は、黄緑色の葉がグングン伸びていきます。自然に学ぶことの何と多いことか。今更ながらに思い知らされます。

今朝の新聞の決して大きくはないスペースに、被災した暴走族の解散式の記事が載っていました。彼らは、今後ボランティア活動をすると。

この世に生を受けてまだ16年しか生きていない者に、これまでの教育もこの社会の有り様も、今回の地震と津波ほどには役に立っていなかったのでしょうか。

地震と津波は、多くの人命と人間の暮らしを奪ってしまいました。でも、この自然の力が、人間を教育してくれます。人間の生き方は、自然が教えてくれるんだと言うことを改めて思います。
私たちは、多くの尊い犠牲を無駄にしない生き方をして行かなくてはいけないと思います。