2月21日

2016-02-21 | Weblog

今朝の朝日新聞スポーツ欄、目を疑いました。「宮原のびのび初優勝」の大見出しはあれど、写真がないではないか!。そんな馬鹿な❢と。歴代6位の高得点で念願の初優勝というのに、写真なしの記事では納得がいきません。見せる競技のフィギュア競技ですから、なおのこと…。

大手の新聞は、もっと正当な評価の証として写真付きの記事を掲載すべきと考えます。宮原選手の実力を世界的に認知してもらう為にも…。完璧で美しく、前回の試合よりも工夫され、彼女の真摯な向上心がうかがわれる良い演技でした。

こんな扱いでは、フィギュアスケート熱終焉は撤回しなくては、と思ったりします。何かに拘泥すると、その扱いに於ける周囲の本質が見えてきます。もうしばらくは、フィギュア競技をとうして、物事や人の心の動きなどを観察してみようと思いますねー。


2月19日

2016-02-19 | Weblog

昨夜の四大陸フィギュア、宮原知子選手の演技には引き込まれましたねー。彼女の転ぶ姿を見なくなって久しくなるように思われます。努力の賜物と言われていようですが、大したものです。

宮原選手のコーチは、ごく普通の子供で、とびぬけて抜きん出た才能の持ち主ではなかったと言っていました。それが、今や、着実に世界のトップクラスの仲間に入ったように思います。普通の子供達には、勇気がもらえますねー、「やれば、出来ると」。

日本の女子フィギュア界も、すっかり世代交代の感がします。浅田真央選手の影が、段々と薄れ遠退いて行くようです。と同時に、こちらのフィギュア熱も薄れていくように感じられます。ワクワク感がなくなって、そろそろ卒業かなー?と。ちょっと寂しくもありますが…。


2月13日

2016-02-13 | Weblog

とある街角で、ふと漂ってきた芳しい香りに頭上を見上げると、生垣から張り出した紅梅が満開でした。我が家の梅の木は、蕾は大きく膨らんではいるものの、開花にはまだ時間がかかりそうですが。

またしても、お粗末な国会議員ではないですか!。「育休を取る」という男性議員が現れて、日本もやっとここまで来たかーと思ったものですが…。宮崎議員の行為は、人としてとんでもないことでしょう。根本的に人間尊重の精神に欠けています。自分の立ち位置に於ける自覚もなしでは、議員としての資質にも欠けているといえるのでは?。「情けない」の一言ですね。

「反省している」と言って頭を下げて終わり、というものではないでしょう。日本の男性がいかに保守的であるかを示しています。「育メン」という流行りの言葉にのって、注目を集めようとした打算的行動に過ぎなかったということでしょうか?この議員の一連の行動は、正に自民党の本質でもあると思えてきます。

女性の働き易い社会を目指すという新しさを吹聴しても、男性たちの本音はオブラートに包まれ、その口はまだ固く閉じられているようです。


2月9日

2016-02-09 | Weblog

デパート前の電停前に、明らかに旅行者とみられる一団が、リーダーらしき人の説明を聞いていました。近づいてみると、言葉は中国語のようでしたねー。この地方都市にも、中国からの団体客が来るんだなーと思うと同時に、そうかニュースで言っていた春節の連休なんだ、と。

折しもデパートでは、バレンタインデーのチョコレート販売合戦が繰り広げられていました。彼らは、何を買っていくのでしょうか?こんな地方都市に来るのには、買い物以外に何か求めるものがあるのかもしれません。

中国内では、抗日戦争の映画が繰り返し流されていると耳にしています。日本にきて実際に、今の日本を自分の目で見て肌で感じてもらえば、彼らの日本観も少しは変わるかもしれません。将来的に、日本と中国との良好な関係を築くきっかけになるでしょうねー。ややもすると、マナー云々が取り沙汰されますが、生活文化も違いがあって当然分です。日本の習慣を教えてあげると良いのです。


2月3日

2016-02-03 | Weblog

またまた悲しいニュースですねー。かつてのヒーローが罪人になるというのは。栄光と挫折という言葉はよく耳にしますが、人の浮き沈みは誰にもあって当然です。でも、反社会的行為による罪人になっては…。

周囲の多くの人たちが、清原選手を応援し支えてもきていたでしょうに、こうなる事を回避できなかったのでしょうか?人とは、悲しいかな底まで落ちなければ、目覚めないのでしょうか?。清原選手は、まだ人生の半ばを過ぎたばかりです。これからの生き様で、新たに人生のヒーローになってほしいと願わずにはいられません。

それにしても思うことは、人が生きると言うことの難しさです。先日、70歳を過ぎた方の話を聞くに、「あれこれやってきたし、旅行もしてきた。もう何を見ても以前のような感動はない」と。

そうだろうかー?と…。空を見ていても、色も雲の形も流れも刻々と変化していきます。昨日の空とも違うし、同じ風景を見てもこの光の具合で感じが違って見えます。明日の天気はどう何だろうか?とも思うし、様々に興味も期待も尽きないのです。そして感動が生まれるのですが…。心が動かなくなれば、無為な日々になり、やがて薬の力に心を委ねることになるのでしょうか?感じる心を無くすのは何故か?どうすれば、感じる心を維持できるのか?