■シェリーに口づけ / Michel Polnareff (Disc'AZ / エピックソニー)
1970年代の我国で絶大な人気を集めた外タレのひとりが、ミッシェル・ポルナレフでした。
ご存じのとおり、このフランスのシンガーソングライターは音楽面ばかりではなく、そのビジュアルやファッションセンス、あるいは様々な問題行動を含む私生活、そして……!?
とにかく殊更日本で生活する婦女子が憧れの対象として漠然たるイメージであった「フランス」という文化を、如何にも1970年代の感覚で演じてくれたのですから、忽ちにして人気は急沸騰しましたですねぇ~~。
もちろん、その発端となったのは昭和46(1971)年の夏、ラジオから流れ出た本人自作自演の軽快な超ポップ曲「シェリーに口づけ / Tout, Tout Pour Ma Cherie」でありましたが、それは言うまでもなく、同時期に流行っていた歌謡フォーク、あるいは欧米のシンガーソングライターが出していた歌の根底にある内省的な印象とは異なる、非常に華やかなムードが良かったんですよねぇ~♪
当然ながらフランス語の歌詞による音楽的なリズムとピートへの語感も、なかなか新鮮だったように思います。
ですから続けて出した「愛の願い」、さらに翌年には「哀しみが終わるとき」「愛のコレクション」「愛の休日」等々、如何にもの邦題を付したシングル曲が驚異の大ヒットになったのもムペなるかな、時には過剰な自己陶酔ムードの演出を入れていたあたりは、ミッシェル・ポルナレフ以外の誰がやっても、全く絵にならない世界だったと思います。
それは前述したように、レコードの世界ばかりではなく、例の「ケツ出しポスター事件」から、それをさらに誇張した全裸ヌードによる「股間帽子隠し」のショットを用いた日本盤LPジャケット!?
もう、それが堂々と発売されていたんですから、昭和元禄も完全に爛熟していた証でしょうねぇ~。
ですから特に女性ファンの熱狂は怖いほどで、同年秋に敢行された初来日公演が狂乱のルツボと化した事態はテレビニュースにもなったほどです。
しかしミッシェル・ポルナレフは決してギミックスタアではなく、幼少期からクラシックを中心にした音楽教育をみっちり受けていたそうですし、ピアノも同様、イブ・モンタンの伴奏者だった父親から、プロとしての技も伝授されていたと言われています。
そして何よりも凄いのは、そのライプステージの華麗なる演出と構成であり、昭和48(1973)年の来日公演のテレビ放送に接したサイケおやじは、半端ではない上手さのバックバンド、レコードとは全然違うロケンロール~ハードプログレな実演、さらにド派手な証明やステージ演出等々には、心底驚愕させられましたですねぇ~~♪
実際、そこでは大団円近くになると、R&Rの古典曲を連発していましたし、出来得るならば、この時のライプ映像は公式に復刻発売するべきと、強くサイケおやじは願っているんですが、そこにはおそらく一般的なイメージとしてのミッシェル・ポルナレフとは違う側面もあるにせよ、この稀代の人気歌手最良の瞬間が楽しめるものと思うばかり!
ですから我国でも影響力は絶大で、例えば同時期の沢田研二あたりはモロですが、元祖ニューミュージックのひとりでもある深町純が、そうであった事は、あえて触れるまでもないでしょう。
それとこれは当時から一部で話題になっていたんですが、基本的にフランスでレコーディングされたと思われるミッシェル・ポルナレフの初期音源には、そのセッションにゼップのジミー・ペイジやジョン・ポール・ジョーンズが参加しているというのですから、要注意!
尤も、これは2人が未だスタジオミュージシャンを専門職にしていた頃の話らしく、つまりミッシェル・ポルナレフが日本でブレイクしたのは昭和46(1971)年でしたが、本国でのレコードデビューは1966年頃でしたから、う~ん、すると英国録音!?
そういう国際性が既にミッシェル・ポルナレフにはあったのかもしれませんし、すると1973年頃からアメリカに活動の拠点を移し、全曲英語で歌ったアルバムを作っていたのも、そのゆえの事なんでしょうか?
実はミッシェル・ポルナレフの日本での人気が下降線となったのは、そのあたりに要因があるように思うんですよ……。
既に述べたように、ミッシェル・ポルナレフの楽曲は、どんなに悲痛な状況や哀切のメロディを歌っても、ネクラなムードよりはセンチメンタルな愁いが滲むところに魅力がありますし、アップテンポでの享楽的なイメージの発散は言うまでもないはずで、そうしたある種の現実離れした表現を日本人が強く感じるためには、ちょいと馴染みが薄く、お洒落な語感のあるフランス語があればこそだった!?
とサイケおやじは推察しております。
ということで、日本で紹介された時には、既にスタアになってたエルトン・ジョンを引き合いに出してまで売りこまれていたミッシェル・ポルナレフが、何時しかナイーヴな感性よりはギンギラにド派手なイメージに転化したエルトン・ジョンになってしまった時、それが逆影響とまで言われたんですから、やっぱり凄い存在だと思います。
本人にとっては1970年代後半の脱税問題、また様々な妨害(?)によって、フランスに帰国出来ず、アメリカで逼塞させられていた事がマイナス要因であったかもしれませんが、我国においては、それもまたイメージの保全に役立ったはずで、実際、現在でも度々コマーシャルにミッシェル・ポルナレフの楽曲が使われるのは、その証でしょう。
今となっては、そういうもの全てが懐かしさ優先主義の表れと決めつける事も可能ではありますが、しかし、ギリギリにキッチュなミッシェル・ポルナレフの才能と存在は、何時になっても消し去ることの出来ない領域じゃ~ないか?
本当に、そう思っています。