OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

ボニー姐さんの不遇な時代も好き♪

2012-08-14 16:11:25 | Rock

悲しき街角 / Bonnie Raitt (Warner Bros. / ワーナーパイオニア)

実力は認められているのに売れないっていうミュージシャンは少なくありません。

例えばボニー・レイットは歌は上手いし、スライドギターの腕前は、それこそ「女だてらに」という言葉がジャストミートの凄さなんですから、単なるキワモノ芸人ではありません。

その根底に培われたブルースの魂と音楽的感性は、十代の頃から本物の黒人ブルースマンと交流し、実践の場で積み重ねられた経験が反映されたものとして業界から注目され、1971年に発売されたデビューアルバムは相当な話題を呼んだはずなんですが……。

以降、順次出していくレコードは評論家の先生方や同業者からのウケは良いものの、実際の売り上げはパッとせず、それゆえに制作側はボニー・レイットの方向性に迷っていたのでしょう。

それはデビュー盤のブルース色が少しずつ薄まっていくのは当然としても、アルバムが作られる度に歌謡フォークになったり、ファンキーソウルっぽくなったり、それはそれで正統派のアメリカンロックではありますが、とてもボニー・レイットのファンが望むものでは無かった事が結果として残りました。

しかし彼女がそれでも活動を続けられたのは、実演ライプが本来の持ち味であるブルースやR&B、ほろ苦さを滲ませる歌謡パラード等々で構成されていたからで、これは当時の音源や映像を収めたブートでも確認出来る事です。

今となっては、何故にその頃、公式ライプアルバムが作られなかったのか?

そんな素朴な疑問が打ち消せないわけですが、結局は1970年代のアメリカで売れていた白人音楽は所謂ウエストコーストロックであり、女性ボーカリストではリンダ・ロンシュタットに代表される、ある意味での芸能界どっぷり主義が優先されていたのでしょう。

つまりボニー・レイットは失礼ながら一般的な美女ではありませんし、セクシーとかグラマー路線でイケるムードでもなく、おまけに中途半端なロック野郎なんか足元にも及ばない歌とギターの実力があるのですから、扱いづらいのもムペなるかな……?

そんな意味合いもあっての事でしょうか、スタジオ録音のレコードでは少しずつ彼女のスライドギターが抑えられるようになっているのも、意味深だと思います。

さて、そんな状況の中、どうにかヒットしたアルバムが1977年の6作目「愛に乾杯 / Sweet forgiveness」なんですが、ここにはボニー・レイットが自作の歌がひとつも入っておらず、なんとなくワザとらしいパワーポップ狙いが???

しかも収録トラック各々のアレンジが凡庸というか、分かり易さは確かにありますが、なんだかなぁ……。

例えばそこからカットされた本日掲載のシングル盤A面曲「悲しき街角 / Runaway」は説明不要、デル・シャノンの代表的なオールディズカパーであって、ボニー・レイットは相当に骨太の歌を聞かせてくれるのですが、肝心のスライドギターは出ないし、それこそアレンジがイマイチどころから、率直に言わせていただければ、イモっぽいんですよ。

まあ、救いはノートン・バッファローだと言われているハーモニカの彩りが秀逸な事ぐらいで、こっちが「悲しき」なんとやらです。

ところがそれでもサイケおやじを含むファンはボニー・レイットのレコードを新譜が出る毎に買い続け、それが少数だとしても、そこに何かを期待している表れであった事は確かでしょう。

ご存じのとおり、彼女が商業的な成功を掴んだのは1989年以降の事であり、今やロックの殿堂入りも果たしたほどの大物ロッカーではありますが、そうなってみるとサイケおやじは嬉しい反面、なんとなく売れなかった時代のボニー・レイットのレコードに針を落してしまうのです。

中でもご紹介した「悲しき街角 / Runaway」は、それが無理してシングル盤のA面にされたような印象もありますから、愛おしいですよ、正直。

プロのミュージシャンならば、誰でも売れるために頑張るのが当然だとしても、ボニー・レイットのような一途な道を歩める者は本当に少ないんじゃ~ないでしょうか?

おそらく彼女には絶対の自信があったはずで、この「悲しき街角 / Runaway」をやった事にしても、こちらが思うほど切羽詰まった状況ではなかったと思われますが、だからこそファンは、ボニー姐さんをますます好きになるのかもしれませんねぇ。

コメント
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