縄文が注目されて、蝦夷の末裔としては、こそばゆい限りですが。疑問は未だ残っています。なぜこんな寒い土地にしがみついていたのか。おかしいと思いませんか? なぜ北海道・北東北の寒冷地に文化が花開いたのか。
卑弥呼の時代の日本列島を考えていたら、面白いことに気が付きました。昔、東北は遙か南の島だったんです。
今では大陸が移動する事は当たり前の事実です。ハワイは毎年、日本に近づいています。そのスピードは、年に6~8cm。しかしその考えも古いと思います。
東日本大震災後、震源地に近い宮城県石巻市の牡鹿半島は、5.3m東南東に動きました。国土地理院が確認しています。あの時、どれだけ地面が揺れたか覚えているでしょう。グイッ グイッと3mは行ったり来たりしましたよ。もしかしたら5mあったかも知れない。いや感覚的には、執務室の端から端までの距離、振り回されました。
プレートは時に、ダイナミックに動くんです。
ところで日本列島は、大陸から切り離されて出来たということが分かっています。その後のことは、古地磁気学がヒントをくれます。岩石には、その出来た当時の南北(磁極)が刻み込まれています。
この事と、海洋底の構造を知り尽くしている米軍。これによって、日本列島が乗っている複雑なプレートの移動を解析すると、東日本はフィリピンの東にあったことが分かります。その年代は紀元前300年頃。しかも青森が下(南)になって逆立ちしています。
縄文時代が始まる頃には、東北は大陸から離れて、しかも南下していたことになります。そして西日本は、福建省の辺りから分離したように見え。朝鮮半島は島となって。樺太の上には、上下逆さまのカムチャッカ半島があります。
紀元30年頃、東西日本列島は逆さまの状態で急接近し。
卑弥呼の時代より少し後、紀元300年頃。東西日本は、横に寝た状態で衝突。
そこから起き上がって、現在の状態に。
だから縄文人は越冬出来たし。オレは冬が苦手なんだと思います。
なお、このデータは2002年発行の飛鳥昭雄「邪馬台国の謎と逆転日本列島」から拝借しました。悪い事とは知りつつ、MU BOOKSに書いてある事は学会から認知されてないし、その前に誰も知らない極秘情報です。この本にも「無断転載禁止」とも書かれていない。だからいいとは、思ってないが・・。
もみぢ葉の 散り敷く道を 歩みきて 浮かぶ横顔 友との家路
なんて言うか。リズム感が抜群ですね。「もみぢ葉」でもう吸い込まれるっていうか。旧仮名遣いも選択できるという、日本語の豊かさ。と申しましょうか。