松美の言絵(いえ)

私は誤解されるのが好きだ。言い訳する手間が省けるから。

ブラタモリ、人気の秘密は脇役にあり。

2015-11-17 17:12:21 | 日記・エッセイ・コラム

 ブラタモリが話題になっています。14日の小樽の回は見ものでした。タモリが、案内の小樽総合博物館館長・石川さんの質問の、先を行ってしまうからです。石造りの倉庫の石の種類は?、「安山岩かな?細工しやすそうですね。ということは凝灰岩!」早速1本取られました。もう1個とても重要な理由があるんですよ。「それは一体・・」と言う前に「遮熱(火事に強い)ってことも、あるでしょうね。」館長ガックリ首をうなだれます。「話には聞いていましたけど・・」全員で大笑い。この倉庫、実は石造りではない。木骨石造。「この方が、屋根は簡単ですよね」とタモリ。また苦笑いの館長。悠長にドーム型に石を組んでいる時間が惜しかったんですね。需要に供給が追い付かないほどの、急激な発展だったのです。

 案内人はさぞ、やりにくいだろうと思われていますが、結構喜んでいます。なかなかのキャラの人が、いつも登場してきます。前回の札幌編には、北大名誉教授。サングラスに帽子に長身で、クラーク博士のようにダンディです。あの時も、札幌は「扇状地」に作られたことを1発で見抜いていました。200万都市も最初は2軒の家から始まったのです。もちろんアイヌ人は、あちこちにいたんですけどね。

 小樽も30年前は運河にゴミは浮かぶ、船は沈み、メタンガスは噴き出すで、当時の新聞には「町の恥部」と書かれていました。この言葉に予想外にタモリが反応、恥部を連発して嬉しそうです。で、その時見えた有名な方が「小樽には何もない」と言ったそうで、市民はショックを受け今では伝説となっているとか。「有名な方ですか?」と桑子アナ。「日本にお住まいの方なら誰でもご存じです。」タモリ「えっ?誰ですか?芸能関係?」「はい、そうです」実はタモリが来ていたんです。「全然記憶ないなあ」。始めに、小樽は初めてと言うタモリに、涼しい顔で 「ようこそいらっしゃいました」と返答していた館長、これで逆襲の1本ですね。

 歩いている途中でラムネを見つけ、飲み始めます。「小樽は明治28年からラムネを作っています。」変わったところでは、「モナカの皮」これを北海道全土に船を出して、モナカだけで船を1艘出した。この博識ぶり、さすがの案内人です。高台に上がって「毛無山から増毛連峰が良く見える」とアドリブを1発。字幕で「何のこっちゃ」。ちょっとしたハプニングに応える小ネタをお持ちなようです。

 明治の初め、3000人の町だった小樽がなぜ発展したか。それは北海道開拓で、石炭や物資を運ぶための玄関口として必要だったからです。今回のお題は、観光地・小樽、発展の秘密は「衰退」にあり?。そんな小樽も、ニシンが姿を消し、石炭が石油に代わり、海運も苫小牧の太平洋ルートが主流となる。急激に衰退したために、取り壊すもままならず、運河を埋め立てるも叶わず、折衷案で運河は半分の幅で残された。その半分が遊歩道として親しまれ、運よく倉庫街と銀行の建物が残った、というわけです。分かってもらえましたか?「ガッテン、ガッテン」このギャグも番組中ウケていましたね。

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