臓器移植によって、人生観が変わった人たちがいます。フジテレビでやっていたのは、心臓移植によって、他者の人格を意識するようになった人の話でした。50代で移植を受けた会社社長は、運動が嫌いで会社の利益しか考えないような人間でした。しかし手術後すぐに、野菜サラダが食べたくなり、無性に体を動かしたくなって、通勤は自転車になり、毎日ランニングを欠かさず、トライアスロンの大会でトロフィーを集めるまでになっていました。会社も慈善事業に積極的に関わるようになり、部下をびっくりさせます。そしてある日、ふと聞こえてくる曲に自然と涙があふれるのでした。自分でも戸惑いは感じていました。まるで別の人格が一緒にいるような感覚でした。
そしてついにドナーを紹介され、その写真を見て驚きました。心臓の持ち主は、スタントマンでした。スポーツ万能で、いつも誰かの役に立ちたい、ボランティア活動をしたいと言っていました。性格も彼を引き継いでおり、その家族と一緒に過ごすうちに、表情まで似てきたのでした。この曲がお気に入りで、いつも聞いていたのよ、と言ってかけた曲は、まさにあの曲でした。
1982年から2013年までに、全世界で心臓移植を受けた人は、118,641件。そのうちの5~10%の人々は、人格の変化を経験していると言います。 日本人は、「私?」と言う時、鼻を差します。韓国人は胸を差します。まるで心の在り処が違うようです。心臓が、持ち主に影響を与える理由を、カナダで神経心臓学を研究しているアンドリュー・アーマー博士は説明します。「心臓は単なる筋肉の塊ではなく、神経細胞を有する臓器であるということが、分かってきたのです。」つまり脳の特徴だと思われていた「神経細胞ネットワーク」が、心臓にも存在する、ということです。だとすれば、心臓にも「記憶する能力」がある可能性は否めない。とナレーションは進みます。
私の考えは、ちょっと違います。心臓が神経回路を持っているのは確かです。そのために、私の心臓発作は起きるのですから。私の発作は、4つあるうちの上の部屋だけが、突然別の電気回路によって爆発的に動くのです。そういう連携を取るためのシステムが無ければ、普通に生活は出来ません。誰でも持っている機能なはずです。余談ですが、この突然やってくる恐怖に対応するのに10年掛かりました。頭では分かっていても、不安は消えないのです。これも、第二の脳が成せる技なのでしょうか。
でね、前に「水には記憶する能力がある」というフランスの研究者の話をしたでしょう。水は希釈液として存在するのみならず、積極的に細胞間の対話に参加している、という意味のことでしたね。水の性質は、まだ分からないことが多いです。私は、その線でずーっと考えています。
いずれこういう言葉もあります。「胸が痛む」というのは、本当に心臓で感じている痛みなのかも知れませんね。私の場合はまさにそうです。本当に今日は、ISのせいかハートが痛いです。