棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

花の季節

2014-05-08 09:56:51 | 山郷の暮し
皐月・・心身ともにフワーーと花びらのように舞い上がる季節です。
各地で様々な花の観賞庭園が開かれていることでしょう。

我が家から車で20分ほどの処に「牡丹寺」として知られている玄向寺があります。
境内には120種1300本を越える牡丹が咲きだし、甘く妖艶な香りがただよっています。

寺院の伽藍に飾り付けた 本郷の仏像「秘する仏像」写真展・・岩淵四季 が開催されています。
文化財などの写真撮影を数多く手がけてきた写真家・兄の作品と、私は立体物を便乗展示をさせてもらっています。

写真展にある本郷地区とは、数十年前に松本市と合併する以前の本郷村のことで、
景観整備委員会の撮影委託を受け、地区の寺堂などに保存されている未公開仏像の写真展です。

人知れず密やかに守られてきた仏様たちは、必ずしも名作とは言いがたいものもありますが、それだけに心和むものばかり。
しかし、「あの朽ちたぼろ堂に、こんなに優れた仏像があったとは」と、びっくりさせられてしまう仏像もあります。

いわれなどを読むと、多くの仏像が廃仏毀釈の愚策に翻弄され、からくも残ってきたものばかり。
地域の方々が「おらが仏様」と秘かに大切に守ってきたものです。
文明開化の妄想に犯され、沢山の仏教美術品が消え去っていったことを改めて知らされる。
あのタリバンの文化財破壊と同じことを行ったのです。

「花の季節」とは話がそれてしまいますが、松本城のある松本藩は幕府と結びついていたため、文明開化からの政策に積極的・盲目的に応じてきたという。
とりわけ廃仏毀釈は徹底して行われたといいます。ある資料には「女鳥羽川に仏像仏具が流れていた」とあります。
わいば、生き残りを選び名を捨てた藩(または為政者達)だったのです。

牡丹の妖艶な香りが漂う境内より、背後の女鳥羽山には松本藩藩主だった水野家五大霊廟があります。
そこからはビルの合間にお城を探し出すことができますが、開廟いらいほんの数十年前までは青空に往々しく天守閣が望めたことでしょう。

   


大型連休

2014-05-07 08:56:54 | 山郷の暮し
大型連休など無関係な不良・不要オッチャン連が、カーチャンか娘か孫か・・・、ともかく家に居られなくなったらしく、まだ日も昇りきらないうちからやってきた。
「この世は仮の住まい」などとうそぶいていても、本音は知れている。

毎度同じパターンで飲んでいるのも芸がないからキャンプでもしようと。
「いかんべーー、寒いところは嫌だから海に行こう」
となれば段取りはたちどころに終了。なんのことはない、めいめい道具一式は車に積んである。
そうです・・この不良オッチャン連はヒマラヤを歩いていた強面だ。

というわけで松本より一番近い糸魚川の海岸へ。
姫川の河口はヒスイが見つかる所で、レジ袋を手にした家族ズレが海岸をブラブラ。
我々3人はそんな風景を肴に焚き火を囲む。まだ日は高い。

私は久しぶりのテント泊まりで、めずらしく良く眠れなかった。

さて・・はじめて聞いたことだが、ヒスイではないがモドキがあるそうです。
「狐石」というらしく、皆さんよく間違えているらしい。
ほとんどがこの狐石で、まったく価値がない、とか。
ざーーーんねん。てなことに・・・とか。

検索をしてみました、参考までに・・・。
キツネ石・・それは翡翠を探す者が必ず遭遇する石の一群の事を総称した物。ヒスイと思って拾った石がヒスイで無かった事をキツネに騙されたようなのでキツネ石と呼ぶそうです。そして うちの庭には翡翠と思って新潟から持ち帰った多くのキツネ石でいっぱいです・・(^^ゞ
 しかし鉱物の素人(僕)にとって キツネ石たちのの鉱物名を特定する事は難しく名前はわかりません。。(笑)・・

キツネ石にも、蛇紋岩、軟玉、緑泥片岩、石灰岩、曹長石、ロディン岩等と正式な鉱物名はあります。




薪はたっぷり。一晩中燃やしていた。

ただ嬉しくて

2014-05-03 09:33:31 | 山郷の暮し
風薫るこの時候になると、ただ単純に嬉しくて描きたくなるものがあります。
青空にゆったりと泳ぐ「こいのぼり」なのです。

最初に描いたのは1980年5月。半紙の習字紙にサーーと筆をはしらせたものです。
それから何枚もなんまいも描きましたが「単純に嬉しく」の視点からすると、それを超えるものはありません。
筆を取るきっかけになったのは幼稚園児の作った「こいのぼり」を観てから、小難しい製作意図 などに囚われない魅力を見出した、といっても過言ではなかったのです。

油彩・水彩・その他 と様々な描き方をしましたが、中には継ぎ足しをしているうちに2X3 メートルになってしまったものもある。
販売作にしようとか、公募展に出品しようなどと思っていないから気楽に、気負いなく筆を取るが、
しだいに「製作意図」なるものが潜みだしてくる。
あまりそのようなことをしたくはないが、特に拒否もせずに「今のオレが感じたもの」を単純に表したいと思ってはいるのですが・・・。

最近は 大空に眼が生まれる こいのぼり ばかりではなく、が出現する 武者絵の「昇り旗」に挑戦している。
少々 創作意図的になってきてしまうのですが、資料として観てきた浮世絵や錦絵に
改めて明治以前から江戸中期の日本人の独創性にびっくりしています。

鯉のでっかい眼と、武者の面 が大空に生まれる、其の驚きと楽しさを描きたいなーーー。




安曇野より いつも見る常念岳の山容が変わっています

花の谷

2014-05-02 09:56:10 | 山郷の暮し
寄りてみれば花のうてなのけなげさよ  うてな・・花の額
知人の歌なのですが、冬の寒さに堪えにたえ、一気に喜びを歌い上げた爛漫の花も、ひとひらひとひらなごり惜しそうに散り行くとみえれば、時としてザーーとものすごい花吹雪。
新緑色へと変わる一時、あの艶やかな輝きとはまったく異なる、木の全体がボーーとした赤色ともつかない、捕らえどこのない様子を見せる。

私はこの時期のサクラの風情が大好きで、淡い緑を背景に溶けいりそうでいていて時には輝く。
名脇役の名演技を観るようだ。
サクラのもうひとつの美しさで、この時期のサクラの表現は至難の業でとても描けない。
知人はそんな美しさを「けなげ」とたたえたのであろうか・・。

雨も上がり気温が一気に上った昨日より、新緑は際立って進み、すべての色が溶け合い調和をしている。
自然が創り出した「完全な美・完全な調和」
創作の極美 とはギラリとした一点集中的なものではなく、この時期の自然美のように、見えるもの全てどこをとっても調和をしている。
全体の風景であろうと、どこの藪の一角であろうと、木陰の沈んだ世界であろうと「完全美」なのです。
私は風景画はあまり描きません、といいますが、実はよく描いています。
それは上記したような自然観をなんとか習得したく筆を執っているのですが、創作作品とは思っていないからです。

今朝の散歩はカメラを手にし、暖かできらびやかな陽射しをイッパイ浴びながら「花の谷」を満喫しています。

散歩道 朝日を受けた新緑

常念岳

散歩コースにある 山梨の大木

田んぼ仕事が始まった谷

ryusun

つぶやき

絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本