棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

懐かしの敦煌

2016-11-29 10:34:54 | 山郷の暮し
朝飯を食い散歩に行こうかと思ったら、TVのたび番組で「敦煌」とあった。
敦厚といえば仏教美術の宝庫・敦煌莫高窟で、中国が海外に部分的ながら開放をしだした1980年後半に訪れた。

飛行機でひとっと飛すればわけわないのだろうが、私は陸路をかなり難儀しながらようやくたどり着いたのだった。
砂漠のなかに忽然と現れたポプラや柳の木々に囲まれた広い田舎町という感じだった。
時期はたしか10月だったであろうか、風が吹き荒れ寒ささえ感じた記憶あり。
車の少ない大通りはいたるところ砂がたまっていた。
いや、外ばかりでなく食堂・店屋・旅館などあらゆるところである。

当時の中国の町はあちこちが汚らしく、側溝は汚物の捨て場所だったりしていた。
とまーー書き出したらきりが無いのですが、それは30年前のことかもしれぬ。
TYを見る限り「アッ!あの道だ」と思われるところは、高層ビルのど派手な色彩の店が並ぶ。
通りもきれいで、人出も多く皆明るい。
畑と隣りあわせだったが、そこは集合住宅が建ち並び、町全体も数倍も広がっているかも知れぬ。
TV映像からわずかであるが日干し煉瓦・土塀の見知った古い家がビルの底に見える。
それもまもなく取り壊されると住民が明るく言った。

映像は町の西側に流れる堂河(莫高窟から流れてくる-ほぼ20キロ)に満面の水がある。
たぶんせき止めてダムのようになっているのか。
私の知る河は、普段は水など流れていない帯状の砂漠のような川で、そこを莫高窟をめざしほど歩いてみた。
暑さで10キロほどでギブアップ。様々な輝きをした小石を拾い、コレクションにしている。

汚物と排便場所になっていた岸には公園になっている。
日本の都会の川岸と変わらないが、老若男女公園憩う様子は日本から消えてしまった光景だ。

30年の激変の中国、覚醒の感です。
百聞は一見にしかず・・、感傷に浸ってもいられない。
次回は仏教美術の莫高窟周辺のお話でも・・・。

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