![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/3c/053a695b08b7ddf8b0af18e2fb419d80.jpg)
松本市美術館の小展示室でJOO-TAROUの作品を鑑賞した。
一見、幼児の絵のごとく、いきなりクレヨンを手にし、なぐりがきをしたような絵である。引っかき線のごとき塗り方は、輪郭線でなく、描き出そうとするものの、内部に切り込んでゆく強い情念を感じる。
大人が、幼児のごとく思いのままに筆を執るなど、不可能に近いことだ。だが、彼の作品はその世界に遊び、なおかつ大人の芸術性に満ちている。
色のバランスとアンバランスのかけひきなど、天性を思わせる。
無造作に書きこまれたごとき、ローマ字・漢字・ひらがな等の文字は、文字の役目を果たしつつ、越え、絵画の中でオブジェ的に、または空気的(背景ではなく)に存在している。不思議な感性である。
鑑賞者が「よくまーー子供の頃の絵を取っておいたものですネーー」と。JOO TAROUは最高のほめ言葉だと笑っていた。
私は彼の作品から「大人の絵本」を創作することをお願いした。
一見、幼児の絵のごとく、いきなりクレヨンを手にし、なぐりがきをしたような絵である。引っかき線のごとき塗り方は、輪郭線でなく、描き出そうとするものの、内部に切り込んでゆく強い情念を感じる。
大人が、幼児のごとく思いのままに筆を執るなど、不可能に近いことだ。だが、彼の作品はその世界に遊び、なおかつ大人の芸術性に満ちている。
色のバランスとアンバランスのかけひきなど、天性を思わせる。
無造作に書きこまれたごとき、ローマ字・漢字・ひらがな等の文字は、文字の役目を果たしつつ、越え、絵画の中でオブジェ的に、または空気的(背景ではなく)に存在している。不思議な感性である。
鑑賞者が「よくまーー子供の頃の絵を取っておいたものですネーー」と。JOO TAROUは最高のほめ言葉だと笑っていた。
私は彼の作品から「大人の絵本」を創作することをお願いした。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます