棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

漢詩

2016-11-14 09:48:57 | 山郷の暮し
完成したばかりのこの秋の作品「色の終わり」について先に投稿しました。
錦のごとく紅葉した渓谷は色彩にあふれまばゆいばかり。
夕焼けのドラマも刻々と過ぎ、深い谷底に全ての色彩が吸い込まれてしまったように漆黒の谷と変じていきます。
そのような自然の変化に人生のありようを暗示、制作意図として描いたもので、可能ならば水墨画のように漢詩などを書き入れたいところですが・・・。

では、賛である漢詩となるとこれはもーお手上げで「どこかにいい言葉があったんだけど」とアルコール浸しのボケ頭からはかけらも浮いてこない。
昔読んだはずだと、埃まみれの蔵書から「中国名詩鑑賞辞典」を抜き出せば、多少は勉強をした跡があるのだが思い出さない。
せいぜい、唐時代の李白か孟子くらいだがそれもおなじみの詩の一節だ。

ただいまの読書は睡眠導入読書でとても頭に残ってはくれない。
再読をしようと付箋をはりつけるのですが、その後のお勉強もままならぬ。
散歩時にフッと浮かび上がるものを、忘れまいと何度も復唱しながら帰宅。
それも、中途で犬のハナがナニカしたとたんに蒸発してしまう。
こんなときスマホとやらで即入力できればいいのだがそんな物はないし、指先でチョコチョコなどとてもできそうも無い。
話を戻しましょう。
付け焼刃で作品の副題というか、制作意図は下記のような詩になりました。

秋錦やがて色を滅 一切の諸相闇黒に帰す 
幽谷に釣り針なき竿を投じ 天空の妙味肴に杯を重ねる
流水は変じ変化せず 宇宙意識に妄想
足元危なく 詩仙人李白の月を得なんと欲するを思う

または

秋暮流水 落葉のごとく 
光輝せし紅葉は幽谷に飲まれ
釣人は竿を収め 漁獲を誇らんとすれど
朋友は来たらず 独酌



ryusun

つぶやき

絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本