棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

秋風立つ

2016-10-10 10:24:27 | 山郷の暮し
天高く馬肥ゆる秋 とはいかない空模様です。
いつの間にか秋になっていた と思う冷たい秋風が流れています。
先日の台風18号は、真夜中に松本地方を横切りりんごなどに2億円近い被害をもたらしたらしい。
我が谷は幸いに枝がバラバラと落ちた程度で、犬のハナが恐怖のあまりか寝床にもぐりこんできた。
連日の雨で稲刈りが遅れていたが、今日は最後のチャンスと農機具のエンジン音が響いています。

昨年の今日は松本市美術館で「画業50年展」を開催していた。
なにか数年前のことのようで我ながら奇妙ですが、そのひとつの要因が展覧会が創作の区切りとしたい思いがあった。
70歳を過ぎ、今までのままでの創作を続けることではなく、新たな自己開発を目指す基点としたかったのである。
生まれ変わり、異なる人になれるわけではないが、可能な限り元の私に帰ってみようと試みる旅が始まったといえる。
とはいっても、全ての理解はそれまでの経験の上に成り立ち、制作法が即変われるわけでもない。
以前と同じものを描きながらも、意図を変えてゆくことは可能である。
現在 ありのままを観る。ありのままを表すことにしている。
理屈や製作意図などを深く考えずに、気楽に楽しく描きたいと思うようになった。
「なんだ、そんなことか・・」と言われそうですが、私にしましたら大変な変化なのです。

写真は最新の作で「嵐・有明の月 72歳の朝」F50 91-117cm
連日の雨で眼下の女鳥羽川は日に日に水かさを増していきました。
幸い洪水の心配はありませんが、水中で岩がぶつかり合い、火花が出るのではないかと思うくらい。
そんな激流でありながら、なんともヌルリトしたような水溜りがあったりして、水の不思議さを見ます。
激流は今までに何度も描いてきたのですが、製作意図の強い観念的な表現をしてきた。
今回は早朝に見たままを描いた。
偶然であったが、まもなく消えてしまう有明の月に多少なりとも心境を表した。

ryusun

つぶやき

絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本