日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

10月12日(金)の日記

2007-10-20 21:35:32 | Weblog
 昼間は、新しい携帯をしばしばいじくっていた。家内は、そんな自分を見て笑う。家内は、携帯を持ったことがない。本人に言わせると、その必要がないからだと言う。又、それに縛られるのがイヤだとも言う。家内は、茶道をしていても、何も許状らしいものは要らないと言って、何ももらっていない。
 私はと言うと、博士号も認定医もない。認定医はかって持っていたのだが、学会に行けなくて没になってしまった。自動車免許証は持っているのだが、車を買ったことがないし、(流行性角結膜炎の後遺症の関係もあって)もう乗ろうとも思わなくなってしまった。
 夕方、家内と一緒に買出しに行った。大きなスーパーに行くと、インドネシアの研修生が3人一緒になって買物をしていた。そんな3人に声を気軽に掛ける日本人は、まずいない。ここで自分がインドネシア語で話すと、向こうがびっくして事が進まなくなると思ったので遠慮した。ホントは、「スラママラン(こんばんは)」「ダリマナ(どこから)」「サヤスダプルギクバリ(バリに行ったことがある)」と言いたかったのだが。
 夜は、いつものパタ一ンで、余り良く切れないハサミで家内から散髪をしてもらった(以前は、息子からしてもらっていたが)。
 ウサギが元気がない。家内の話しだと、元気がない時には動かなくてじっとしているとのこと。そうしている内に、数日経つと又元の元気を取り戻すとのこと。その点、人間は、病気でも仕事をしているなあ。ウサギを見習わないといけないなあと思う。
 台風の時は、カラスがいなくなり、地震の時は、犬が走る方向に逃げればより安全らしい?動物は、危険を前もって察知して、それなりの行動が取れる。その点、人間は、行き着かないと反省しない動物だなあ。
 仕事をしないでボケッとしていても、いろいろ考える自分を知って、これもどうしようもない性分だなあと思った。


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10月11日(木)の日記

2007-10-20 21:34:33 | Weblog
 auに、(外国でも使える)携帯電話を買いに行った。今もちゃんと使えるのを持っているのだが、次第に不都合を感じる様になった為。で、思い切って買い換えた。数年前のものよりも(その間にも、新しいタイプが出ているのだが)薄くなりかつ軽くなり、画面も見易くなっていて、容量もかなり多くなっていた。
 外国にアチコチ行く時に困らない様にと思って買ったのだが、実際に海外で使用してみて、それを使うことが殆ど意味がないと思った。まず、日本で買った携帯を使うと、べらぼうに高い電話料金を払わされることになる。海外では、NOKIAが主流だ。これを日本が国際的な感覚を無視して日本で使えないこと自体、不自然。
 携帯なんて、一番の目的は、連絡がお互いに直ぐに出来ることだ。海外では、プリペイド式の安い国際カ一ドを使用するといい。しかし、これでは、いざと言う時に連絡がとれないので、人としばしば連絡を取り合っていないといけない人の場合は、携帯電話が必要になるケ一スが多くなる。そんな時、NOKIAの携帯を買うのがベストと思われる。それぞれの国で、中のカ一ド(シムカ一ド)を換えて行けばいい。
 日本人が使用する携帯には、実にいろんな要素が付いている。車にしたって、至れり尽くせりだ。しかし、本来の目的は単純だ。携帯は直ぐに連絡が出来る為、車は、移動する為。しかし、今や、携帯はファッショめいたものになり、次から次へと新しいタイプが日本で作られている。車にしても、狭い家にいても、車の中は、家よりも住み心地が良くてリッチって感じになっている。
 まあ、お金と本来の用途のことを考えると、今の動向は、消費者が商業ペ一スで惑わされている気がしないでもないが。そんな自分も、そう思いながらも新しいタイプの携帯電話(A5527SA)を買ってしまったが。(車は、まだ、買ったことは一度もないが)

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10月10日(水)の日記

2007-10-20 21:33:06 | Weblog
 久し振りに我が家に帰って来た。ウサギの精巣ガンが一段と大きくなっていて、その色が良くなっている反面、ウサギの表情が乏しい感じがした。前は帰ると直ぐにまつわり付いていたが、今日は、傍若無人って感じだ。このウサギ、もう、まる11年半近くも生きている。白内障と精巣ガンと共存しながら。
 生あるものは必ず死す。生きると言うことは、死ぬことを意味すると言う人もいる。死ぬことを真剣に考えれば考える程、生きる意味がよく理解できると思う。日野原重明先生は、ある時、NHKのテレビで、病は人を内に導くと言われた。つまり、病になることより、健康であることの有り難さを知り、生きる意味を健康である時以上に考える様になると言われた。
 今まで無理して来たが、これを機会に、今からは自分の体をいたわって生きなさいと言う事ではないだろうか。来年は、数えで60才、還暦だ。もう、若い人の様に、無理は出来ない。
 今年になって、体重が71Kg前後だったのが、今は、66kg台になっている。タバコは吸ったことはないし、アルコ一ルも、年に宴会の時に数回摂るだけ。晩酌は昔からしてない。早寝早起きを心掛けて、3食はきちんと摂っている。欠点は、運動不足だと思う。それに、毎日、少なからず体の変調などのストレスを感じている。
 手術をした後は、又、それなりに人生観が変わるかも知れないなあ。

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10月9日(火)の日記

2007-10-20 21:24:11 | Weblog
 一昨日は、深夜に帝王切開があり、昨日は、朝の7時過ぎより夜の9時頃まで、25人前後診て、その内の3人が入院して忙しかった。何せ、昨日は、昼の食事を15時前にやっと摂れた程に。
 今日は、その3人の申し送りと、新生児の受け持ちの2人の申し送りをして、昼の11:40バスに飛び乗った。
 熊本に予約していたホテルに着いて、それから雨の降る中をタクシ一に乗って直ぐに病院に行って、受付をした。130床なのに、17名の医者の顔写真が待合室にズラッと張られていた(どこかの病院は、195床でドクタ一が17名しかいなくて難儀しているのにと思いながらも)。174番のカ一ドをもらい、「今日は、多くてかなり待ちますので・・・」と言われたが、その間に質問事項など書くことが多くて、長く待った感じはなくて呼ばれた。
 診察は、思った以上に簡単で、待っている時も、その周りに自分しかいなく、狭い部屋に呼ばれては、お互いにドクタ一との話しの方が長くて、腹部の診察と患部の視診は5分程度で終わった。23日に手術をすることになった。2週間入院とのことで、その後もすぐに仕事復帰は出来ないとのこと。その病院に入ったのが午後の3時半過ぎで、そこを出たのは、4時半前だった。あっけなく手術日まで決めて終わってしまった(もっと時間が掛かると思っていたが、メイルで前もって連絡していたのが良かったのかな?)。
 自分に関しては、手術場での手術は、インプラントの時以来だ。インプラントの時は、入院はしなくてよかったが、完全になるまでにはかなりの日数を要した。
 今回は、入院しないわけにはいかない。診察の前に、デジカメで児分で自分の患部を撮ったのを見せたら(こんな患者も珍しいと思ったのか、看護師さんが笑っていたが)、診察のドクタ一自身は、笑うことなく、その大きさに驚き、「けっこう大きいですね」と言って、「私の方も撮らせて頂きます」と言って、バチバチバチと3回撮られた。
 雨が降っていたので、近距離でタクシ一で往復したが、行きが800円で、帰りが880円、今回払ったお金は、初診料273点のみで、その3割の820円だった。写真代は入っていなかった様だ。あまりの安さに驚いた。
 ホテルに帰って、勤務の病院に電話して休みを予定よりも10日程延長してもらった。
 ある話では、とても術後が痛いとのこと。又、術後の回復が思わしくない人もいるとか。少し心配。


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他人からの励まし

2007-10-09 08:58:07 | Weblog
 スポ一ツ選手が、よくテレビで、「皆さん、応援お願いします!」とよく言っている。その意味、あまりよく理解できなかった。しかし、今は、実によく理解できる。
 自分自身、太鼓を1人で演奏していると、次第に疲れてくる。特に、最後に15分間程休みなく打つ時、疲れてどうしようかなあと思うことが多い。そんな時、拍手があったり、歓声が上がると、不思議に頑張ろうと思って頑張れる。
 仕事にしたって、ぶつぶつ文句を周りから言われてするのよりも、「先生のお陰で時間外に治してもらって、すっかりこんなに元気になりました、ありがとうございます」何て言われると、逆に患者さん側から元気をもらってもっと頑張ろうと言う気になる。
 今の様に、訴訟に怯えたり、患者さんの態度にビクビクしていては、仕事が苦痛になってしまい、やる気もなくなってしまう。
 仕事だから、そんなことに無関係に出来ないといけないと言われるかも知れない。しかし、自分が頑張れば他人からスゴク喜んでもらえると思うと、もっともっと頑張る気が自然に沸いてくるのは、確かなことである。
 お店で料理を作る人にしても、お客さんが帰る時に、「とてもおいしかった」と言われる言葉を待っている。食べ残しをとても気にしている。一生懸命に心を込めて作った人であればある程そうだと思う。
 「お父さんのお陰で、こんな生活が出来ている」と、共稼ぎをしていても、母親が子どもに言えば、それを聞いた父親は、もっともっと頑張る気になる。それが、「いいよ、私が頑張るから」と言われれば、男のメンツがなくなって元気が無くなり、夜の世界に入ってしまうことになるかも?!
 人間は、やはり、人と人との間に立ってしっかりと生きられるもの。そして、他人の為と思えば、もっともっと頑張れるもの。他人が感謝の気持ちを上手に伝えることが出来るとしたら、最もいい形で頑張れることになる。特に男はそうだと思う。女の為に、命を投げ出しても頑張ろうとするのが、本当の男の姿かも知れないが、残念なことに、今は、女の人が逞しくなって、その機会が少なくつつあると思う。

 「色男、金と力はなかりけり」とは、昔の人がよく言っもの。名言だと思う。

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為になるかも知れない本(その234)

2007-10-09 08:54:01 | Weblog
○昭和60年3月23日(土)曇。
 体がとてもきつかった。恵ちゃんはやっぱり3児の母親になる。次も女の子がいい。男でもいい。元気でありさえすれば。もう、3人で生み止めかなあ。これ以上生めば、恵ちゃんの細い体がガタガタになってしまいそうだ。
○昭和60年3月25日(月)雨。
 体がだらしい。今週の土曜には代わりの先生は来てくれない。しかし考えてみると、昔は1人で全部していた。全く援助なくまる3年間突っ走った。信じられないぐらいに頑張っていた。それと比べると、今は全然違う。2週間に1回は、土曜の夕方から少なくとも24時間は休めるし、土曜の半ドンも、休めることが多いから。しかし、体力がどんどんなっているのは確かなこと。疲れが直ぐに取れなくなっている。
○昭和60年3月27日(水)雨。
 眠たくて仕方なかった。どうも火曜の朝2:10に起こされたのが響いている感じだ。一日おいて疲れがドット出て来る感じだ。自分の体ってそんなに鉄人みたいに丈夫でない。将来は、この臨床経験を生かして、医療系の専門学校などで教えることだけに専念したいなあ。新生児を持っての体力勝負は、40歳までだなあ。体が壊れてしまったら、何も出来なくなる。壊れても誰も責任をとってくれない。自分の体は自分で守るしかないのだ。しかし、家と土地の多額の借金がまだ沢山あるから仕方ないなあ。
○昭和60年3月29日(木)晴。
 何故、自分ってこんなに頑張るのかなあ?小児科は、特に救急は、勝負が早いでけに生き甲斐は確かにある。1人だと責任はあるが、ホントに自分で治したって感じになる。自分の目を信じて細かく見て行けば、手遅れになることはまずないと思う。しかし、それをずっとこんな感じで出来る訳がない。今年の10月からも1人、若い先生を入れてもらいたいなあ。深夜のベビ一で寝てないと、昼間の外来がきつい。それにこんな感じでずっと狭い世界にいること自体が異常な生き方だ。お金を貯めて、いつか外国に行きたいなあ。
○昭和60年3月31日(日)晴。
 苦あれば楽あり、楽あれば苦あり、苦は楽の種、楽は苦の種。周りを見てみると、苦労していた人の方がいい人生を送っている木がする。○○さんが言っていた、イタリアでがむしゃらに働いている若い女性に、「どうしてそんなに若いのに働くの?」と聞いたら、「将来いい思い出を作る為」との返事が返ってきたそうな。
 父はいつも言う、「若い時の苦労は買ってでもせよ」と。医療って、気が抜けない。いつも緊張している。ずっとストレスを抱えたままでは、体に良くないと思うが、1人ではどうしようもない。一生懸命にしても、結果が悪いと最悪となる。

 次の歌は、初代新生児・未熟児センタ一婦長の野々下ツヤ子氏が創った作品(西田病院月報に記載)。
 「 呼吸(いき)止めて また吹きかえす 未熟児よ
        なす術終えて 神に祈るも 」


(しばらく、お休みをします。又、この続きを書くつもりでいます。実は、10月中に、病院に入院をして、長いこと気にしていきている自病を治すつもりでいます。では、それまで、この「為になるかも知れない本」は、休止にさせて頂きます。ご愛読、どうも有り難うございました。又書けることを祈って。そして、手術の結果がいいことを祈って・・・?!)


*「為になるかも知れない本」以外の内容は、日記として、出来るだけ書いて行くつもりでいます。

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他人の為に

2007-10-08 08:09:30 | Weblog
 最近は、日本人の生き方として、他人の為にと言うことが少なくなっている様な気がする。
 小さい時から競争競争で来て、いきなり共生や無償の奉仕の価値観を言われても、最初は戸惑うに違いない。しかし、自分中心に生きていると、必ず他人との利害関係でぶつかるはず。
 年金の問題にしても、これは、自分の為だけでなく他人も救っていると考えるべきである。そんな年金をちゃんと払うべき日本人の中で、実際に年金をちゃんと収めている人の割合が、何と現在50%を切っているとのこと。このことは、諸外国に品格の高さを売り物にしてきている日本人のイメ一ジに反することになり、将来の子どもの教育上でも、極めてゆゆしき問題だと思われる。
 税金にしても、それで他人が救われると思えば、それなりに我慢すべきと思うのだが、一番の問題は、そのお金が有効に使われているかどうかだと思う。消費税を上げた分、そのお金が目に見える形で極めて有効に使われているなら、多くの日本人も納得するだろうし、すべきと思う。
 イスラム教の世界では、儲けの1割は、他人の為に出すものとなっている。それを出すことがいいことをしていると言う感覚はなく、当たり前となっている。又、イスラムの世界では、お客さんは、特別によく扱われる(私自身がそのことをバングラデシュのダッカでホームステイをして、如実に感じたこと)。チベットに行くと、困った日本人を見ると現地の人が無償で介抱してくれる。戦後間もない日本でも、(皆、殆どの人が貧しかったが)近所で食べ物で困った人がいると、周りの人が無償で与えていた(実際、その光景を私自身が田舎で見ながら育っている)。
 麻疹にしても、インフルエンザの予防にしても、自分の為だけでなく、他人に移さない為にもするべきものなのだ。インフルエンザにかかっている人が仕事するなんて、実際は、他人にインフルエンザウイルスをまき散らしに行っているようなものなのだ。
 今の日本、国単位で見ても、総理自身や防衛省の大臣までが、自国の為になるからと発言している。どの国もそんな考えだと、この世界から半永久的に戦争がなくならないであろう。
 自然の法則は、共生であり最小必要限度で満足することである。自然は常に存在し、自然と共生できないものは滅びる運命にある。と言うことは、競争と欲に際限がない人間はいつかは滅んで行くことになるかな。ヒトが地球からいなくなった後は、最強のクマムシなどの昆虫が幅をきかせる様な世界になるのかなあ。


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為になるかも知れない本(その233)

2007-10-08 07:55:43 | Weblog
○昭和60年3月2日(土)雨。
 朝、頭部打撲した1カ月の子が来た。熱があり、CTで硬膜下水腫があったので、県病に送った。大阪の人で、市内の○○○でお産をし、2.000g余と言うことで県病に入院し、退院後に再び県病に行く途中だったとのこと。ここにで初めからお産をしていれば、そんな必要なかったのになあ。送ると患者さんを取られてしまうと開業の先生方は考えてしまうのかなあ?医療界は、難しいなあ。
○昭和60年3月4日(月)晴。
 180人余来た。少し下火になった。近頃、勉強していない。これで本当にいいのか。忙しいと勉強しなくなる。眼が疲れる、肩が凝っている、体がいつもだらしい、萬年睡眠不足、最悪のパタ一ンだなあ。いつ起こされるかわからないので、グッスリ熟睡出来ていないのだ。(深夜に急患が来て、ナ一スコ一ルが何度かあったのに、疲れ切って眼を覚ますことが出来なかったこと、西田病院で1回、たはら小児科医院で1回あった。いずれも、部長室に泊まり込んで不眠不休の状態で診療していた時のこと)。
○昭和60年3月9日(土)晴。
 大群がやって来た。○原家4人(子ども3人)と、○田家4人(子ども3人)が我が家(4人)に来て、泊まって帰った。何と、我が家が12人でふくれ上がった。久し振りに再会して、奥様連中は、黒柳徹子さんみたいに喋りまくっていた。○田先生、田舎の病院に今度行くとのこと。博士号を狙っていたみたいだが、7カ年間大学にいたけどそれを取ることなく、田舎に行くのだ。○田先生も、考え方が大人になったのかなあ。(ある時、彼は酒の席で私に次の様に言ったことがあった、・・・大学では、しつこく手術する様に勧めて、それで術後に亡くなると、又、解剖を勧めて、一体、俺って何をしているのかわからんことがある・・・と)
○昭和60年3月13日(水)晴。
 学会の原稿を当直に来た(助教授の)○○先生に渡した。小児科専門医制度が出来るが、これを取るべきかどうかだなあ。反対賛成いろいろな意見がある。今更取るのも不自然な気がするし、学会参加だけで取れるのも、何かおかしな気がする。(結局小児科認定医は、かなり遅れて書類で平成2年に取得したが、その後、小児科の学会に行けずに単位が不足してしまい、やむなく継続を断念してしまった)。
○昭和60年3月21日(木)晴。
 (昨日、小児科のスタッフで、15:10に病院を出発して1泊し)朝、皆で8:30に食事を摂った後に、直ぐに城島高原に行った。皆、バッチリ遊んでいた。そこでミニカ一にのり、ミニゴルフもした。ここでは、フルに1日遊べる様に出来ている。弓をもっとしたかった。帰ってからグッスリ眠った。恵ちゃんがどうもおめでたの様だ。我が家もいつの間にか5人家族になるのだなあ。

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どうして騙されるの?

2007-10-07 08:49:06 | Weblog
 「円天」の事件が世間を騒がせている。被害者の6割以上が、お年寄りとのこと。かっての豊田商事事件と似ている。
 使っても使っても減らない円天なる「通貨」が半永久的に使える。そんなあり得ない話に何故引っかかってしまうのだろうか?そんな人が全国で5万人もいたなんて。
 知人もしている。(信用できる)知人から誘われた。勧誘に来た会社の人がいい人みたいだった。そんな感じだ。会員のみが有名歌手のコンサ一トに招かれたり、実際の初め配当のお金が入ってしまうと(実際は、自分の入れたお金なのだが)、少し疑惑を持っていても、疑惑が次第に薄らいでくる。更には、海外での投資を利用しているので、日本と違って年利36%もの高利回りでも回せるなどと言われれば、信じる気になっても不思議ではない。しかし、世の中、そんなに甘くないのである。

 人間というのは、何故か、苦労して得てないお金は、有効に使えない。
 2.500年も前のギリシャ時代に、次の様な「ギリシャの教え」がある。
 一番善いのは健康で、次に善いのは、器量のよいこと(知的能力と人柄)、そして、三番目は、正直に入れた財産。

 今の時代、最後はやはり自分の責任も問われると思う。この世には、絶対というものはない。結婚だって、一生貴方を愛しますとお互いに結婚式で誓っても、別れているのが現実の姿だ。絶対に倒れないだろうと思っていた大きな証券会社や銀行でさえも、潰れる時代だ。公務員だって、将来絶対に定年まで安泰と思っていても、あながちそうでもなさそうだ。
 そんな中で、やはり、自分なりに考えて、それも少し時間をおいて考えて、又、複数のいろんなタイプの人の意見も聞いて、それから決めてもいいと思うのだが。やはり、いざと言う時に親身なって相談に乗ってくれる(家族や友達などの)人が必要であろう。
 
 余談であるが、あちこち職場を変更している医師の多くは、退職金がない(大学で研究ばかりしている人の中に、年金に加入していないドクタ一もいたが)。私の場合は、大学を辞めてからは、将来のことを考えて、医師会の年金と保険医の年金に早くから入っていた。開業を辞めた時に、医師会を脱退したり、住所変更などもあったりして、医師会年金も保険医年金も、全て解約してしまった。それまでに払い込んでいた(かつ利子もついていたが)お金をどうして殖やすか真剣に考えた。で、その時、米ドルの為替が1ドル100~110円の時で、外貨預金の道を選んだ。
 その時に読んだ竹村健一の本を読んで、そうしたのだ。その本の中には、「日本人は、兎に角、国際感覚に乏しい。もっと世界の動きを見るべきだ。日本の低金利と違って、外国は高金利。一度勇気を持って外貨にしてみなさい、そして、それの恩恵を実際に味わってみなさい」と書かれていた。
 今、米ドルでの定期預金の年利が4%以上にもなっている。20年も経てば、預けたお金の倍近くになる計算だ。為替で損をすると言うが、将来、そのままドルを使うと考えれば、関係ない。どうですか、貴方もだまされたと思って、少しだけでも外貨預金にしてみますか?!
(米ドルを円に換えた場合、米ドルでの手数料は、他と比較して安い。円高になれば、損になるが、ゆとりのある人であれば、円安になるまで待てばいい。今までの経過を見てみると、ずっと円高が続いたり、ずっと円安が続いたりすることはない。又、途方もない程の国債を抱えた日本が救われる確実な方法は、私が思うに、又、かってアチコチの国がそうであった様に、インフレになるしかないと思われる。となると将来は、確実に円安になるかな?!!)


  お金の利殖に関しては、その多くは、自己責任だと思います。ハイリスクハイリタ一ンが原則です。
  年始に経済学者が、為替の予想を立てますが、当たっていませんね。悪い言い方をすると、逆になっていることの方が多い気がします。
  外国旅行の関係で、シティバンクを少し利用しているのですが(外貨の金利は、他と比較して、あまり良くないと思いますが、日本円で預けていると、現地で現地のお金に簡単に変換できるので、便利です)、シティバンクの為替の予想も、はずれることの方が多い感じです。
  その道のプロに聞いたことがあるのですが、その人曰く、「為替の予想は、いろんな要因があるので、極めて難しい」との返事でした。
  インフレで物価が倍になれば、預けたお金は、実質は、半分になります。外国では、日本よりもインフレ率は高いです。ある人は、10年以内に、日本では確実にインフレが起きると予想していますが、さあ、どうでしょうか?

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為になるかも知れない本(その232)

2007-10-07 08:34:35 | Weblog
○昭和60年2月17日(土)晴。
 土曜の16:44の電車にやっと間に合って特急で宮崎に学会で行った。宮崎ビジネスホテルに泊まった。このホテル、かなり昔と比べると良くなっているなあ。
○昭和60年2月18日(日)晴。
 学会で発表し、二次会に行った。○○先生が自分の隣に来て座った。「田原先生、先生にいつか言おう言おうと思ってきた。(大学を去ろうとしていた時、○○先生から誘われて一緒に飲んだ時)あの時、2人でグデングデンに飲んで酔った時のこと、あんな言い方をしなければ良かったとずっと思ってきた。田原先生が大人だったよ。あれから自分も大学を去り、やっとよく解るようになった。医者なんて、臨床が一番大事。患者さんを大事にしてこそ医者。臨床が出来なくて、何で医者か!臨床がちゃんと出来て、そして、暇のある人が研究をすればいい。それも、臨床に直接に役に立つ研究を。あの時、もっといい言い方をすれば良かった。そのことで、ずっと気にしてきた。すまんかった。」といきなり頭を下げられて言われた。涙が出るくらいに、嬉しかった。
○昭和60年2月2月20日(水)晴。
 CHDで生まれた子、酸素を上げても酸素分圧が上がらない。20台でしかない。CCHD間違いないと思い、直ぐに(自院の)救急車で宮医大に送った。TGAの1型で、PDAがあったとのこと。それにしても、胸写が典型的でなかったなあ。(チアノ一ゼがあったが、酸素なしで搬送して正解だったが)
○昭和60年2月22日(金)晴。
 自分の同級生の子どもが腹痛で来た。少しヤ一さんぽい人で、苦手なタイプだ。「しっかり診てくれえ」と言う。点滴したら、「どうして点滴したんか」とつっかかる感じで言ってくる。疲れる。津久見から自宅で分娩した子が来て、RDSで、直ぐに器械を付けた。
○昭和60年2月25日(月)晴。
 RDSと細気管支炎で大変だ。○○先生が、「ここは重症が多い」とビックリした感じで言われた。そうなのだ。それを自分一人でしているのだ。重症の小児の入院の患者さんを持つことが如何に大変なことか、小児科医なら理解できる。腕のある医者になろうと思ったら、ちょこちょことその時だけ急患を診ていても腕は上がらないし、患者さんも不幸だと思う。初めから終わりまで、しっかりと患者さんを診てこそ、腕が上がる。自分の実力、メキメキと付いて行っていると思う。(この日、患者さんが悪くて、院内に宿泊)
○昭和60年2月28日(木)雨。
 細気管支炎で、ひどい症状の人がどんどん来る。ベッドが足りない。困った。自分は何人もの命を預かっている。親御さんからしっかり信じてもらえている。嬉しい。(この日も、院内宿泊)
○昭和60年3月1日(金)雨。
 尿路感染症の子どもの親が、「何故こうなるのか?」「まだ帰れんのか」と言う。解り易く説明したつもりなのだが。お願いしますって感じの感謝の言葉はない。こっちが頭を下げている感じだ。(遠くの人で)今日帰ってもいいけど、しばしば尿を見てないといけないと言ったら、それも困ると言われた。


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