日本の心・さいき

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為になるかも知れない本(その232)

2007-10-07 08:34:35 | Weblog
○昭和60年2月17日(土)晴。
 土曜の16:44の電車にやっと間に合って特急で宮崎に学会で行った。宮崎ビジネスホテルに泊まった。このホテル、かなり昔と比べると良くなっているなあ。
○昭和60年2月18日(日)晴。
 学会で発表し、二次会に行った。○○先生が自分の隣に来て座った。「田原先生、先生にいつか言おう言おうと思ってきた。(大学を去ろうとしていた時、○○先生から誘われて一緒に飲んだ時)あの時、2人でグデングデンに飲んで酔った時のこと、あんな言い方をしなければ良かったとずっと思ってきた。田原先生が大人だったよ。あれから自分も大学を去り、やっとよく解るようになった。医者なんて、臨床が一番大事。患者さんを大事にしてこそ医者。臨床が出来なくて、何で医者か!臨床がちゃんと出来て、そして、暇のある人が研究をすればいい。それも、臨床に直接に役に立つ研究を。あの時、もっといい言い方をすれば良かった。そのことで、ずっと気にしてきた。すまんかった。」といきなり頭を下げられて言われた。涙が出るくらいに、嬉しかった。
○昭和60年2月2月20日(水)晴。
 CHDで生まれた子、酸素を上げても酸素分圧が上がらない。20台でしかない。CCHD間違いないと思い、直ぐに(自院の)救急車で宮医大に送った。TGAの1型で、PDAがあったとのこと。それにしても、胸写が典型的でなかったなあ。(チアノ一ゼがあったが、酸素なしで搬送して正解だったが)
○昭和60年2月22日(金)晴。
 自分の同級生の子どもが腹痛で来た。少しヤ一さんぽい人で、苦手なタイプだ。「しっかり診てくれえ」と言う。点滴したら、「どうして点滴したんか」とつっかかる感じで言ってくる。疲れる。津久見から自宅で分娩した子が来て、RDSで、直ぐに器械を付けた。
○昭和60年2月25日(月)晴。
 RDSと細気管支炎で大変だ。○○先生が、「ここは重症が多い」とビックリした感じで言われた。そうなのだ。それを自分一人でしているのだ。重症の小児の入院の患者さんを持つことが如何に大変なことか、小児科医なら理解できる。腕のある医者になろうと思ったら、ちょこちょことその時だけ急患を診ていても腕は上がらないし、患者さんも不幸だと思う。初めから終わりまで、しっかりと患者さんを診てこそ、腕が上がる。自分の実力、メキメキと付いて行っていると思う。(この日、患者さんが悪くて、院内に宿泊)
○昭和60年2月28日(木)雨。
 細気管支炎で、ひどい症状の人がどんどん来る。ベッドが足りない。困った。自分は何人もの命を預かっている。親御さんからしっかり信じてもらえている。嬉しい。(この日も、院内宿泊)
○昭和60年3月1日(金)雨。
 尿路感染症の子どもの親が、「何故こうなるのか?」「まだ帰れんのか」と言う。解り易く説明したつもりなのだが。お願いしますって感じの感謝の言葉はない。こっちが頭を下げている感じだ。(遠くの人で)今日帰ってもいいけど、しばしば尿を見てないといけないと言ったら、それも困ると言われた。


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