日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

虫が人類を救う

2007-10-06 11:17:39 | Weblog
 カブトムシの幼虫は、長いこと土の中にいても、生きていける。土の中は、危ない細菌で一杯なはずなのに。そんなことから研究が始まって、現在、タイワンカブトムシの幼虫の体液から、MRSAに対する特効薬を作ろうとしている。作用として、それ以外に、抗癌作用もあるらしい。タイワンカブトムシでなく、他の昆虫からも、抗ガン剤とか血栓予防の薬とか、いろんな働きの薬が開発中だ。
 どこにでもいそうな「クマムシ」なる直径わずか0.5mmの虫の研究も盛んだ。クマムシに水分が不足してくると、変身して身を守る格好になる。そうなると、深海やエベレストの頂上や南極で生きて来ているクマムシは、超スゴイ能力を発揮する。
 この世界最強の虫と思われるクマムシ、高い温度は、151度まで耐えられ、低い温度は(-)273度まで耐えられる。真空にも耐えられれ、電子レンジなどの放射線を浴びても大丈夫、更には、毒性の強い化学物質にも充分に耐えられる。そんなス一パ一生物であるクマムシに人間が少しでもあやかれる様にと、現在その研究がなされている。

*NHK教育テレビ、科学大好き 土よう塾「すごいぞ!虫のスーパー能力」より引用


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為になるかも知れない本(その231)

2007-10-06 06:59:23 | Weblog
○昭和60年2月2日(土)晴。
 200人近く来た。ひどいのが多い。ダウンの子の死亡診断書を書いた。腹の調子が良くない。今日も明日も、(医大から代診の医師が来ないので)この状態で頑張らないといけない。
○昭和60年2月4日(月)曇。
 210人程来た。インフルエンザらしきものが多くなった。ワコは熱が下がり、ミ一コも風邪気味、でも元気。頭がまだ痛く、恵ちゃんも頭痛あり。医者と言うのは自分が病気でも休めなくて大変だ。今年の5月で満36歳になる。若いからまだ頑張れるけど。
○昭和60年2月8日(金)雨。
 ○○○ベビ一の父親が、すごいけんまくで、「入院していないのにベビ一が肺炎になったのはおかしい、どうしてなったのか説明して欲しい、自分の子どもだけ無菌状態にして欲しい、あやまらないのはおかしい、あの時母親と一緒に帰っていたらこんなことにはなっていなかったのに、ベビ一室に他の人がス一ッと入っていけるのはおかしい」などと言ってきた。この父親、電話でばかりいろいろ聞いてきていて、来るとこんな感じで文句たらたら言う。こんな経験をして行くと、新生児するのが全くいやになっちゃうよ。
○昭和60年2月9日(土)晴。
 240人前後来た。今年で一番多いかなあ。しかし、もっと多くなりそうだ。
○昭和60年2月12日(火)晴。
 午前中だけで180人は診た。総計240人ちょっと診た。昼寝も出来ず、ゆっくりする暇がなかった。火曜の健診をしなかったので、それが入っていれば、もっと多かったのだが。ここでの今までの最高は290人、300人の壁は厚いなあ。(1日小児科外来数が300人近くになることは何度があったが、結局、この病院では、300人を越えることはなかった。たはら小児科医医院では、300人を越えたことが一度だけあったが)
○昭和60年2月13日(水)晴。
 ○○○ベビ一のお父さん、前と違って、すごくおとなしくなってこちらの言うことを理解してくれた。話せば解る人が多いと思う。実際に、こちらが一生懸命にしていることを見てもらえれば、誤解が取れることが多いと思う。電話では、うまくいかない。医療は、やはり、お互いの信頼関係だと思う。医者は、いつも冷静でおれることが大切だなあ。解ってもらう為には、それなりに時間が掛かることが多い。(西田病院に来てから、大きな訴訟を2つ既に経験済みだったので、その後は、親御さんとのトラブルに関しては、いつあっても不思議でないと言った感じになって、開き直っていた)
○昭和60年2月15日(金)晴。
 アメリカ人ボブから、病院前の○○宅で(自分と、脳外科の○屋先生、外科の○田先生、整形外科の○内先生の4人が)今日から(週1回、金曜の夜に)教わることになった。ボブ、とても感じのいい人だった。聞く力がなくて、簡単な単語も聞き取れない。書くと、皆理解できる。どんな単語を書いてもその意味を知っているのに、簡単な単語のヒアリングも出来ないそのギャップに、ボブが驚いていた(専門の医学用語をこちらが教えてあげたが)。英会話の目的は、もりろん、将来外国旅行をする為。外科の○田先生、スラスラと英語が出て来て、上手だなあ。
○昭和60年2月16日(土)晴。
 早朝来た14歳の女の子、登校拒否があり、多呼吸、テタニ一様の手足で来院(初診)。脱水症状あり、失禁していて、初め、過呼吸症候群と思ったが、どうも経過がおかしい。血糖の検査の値を見て驚いた。血糖が400以上もあった。で、インスリンを打ち、直ぐに県病に救急車で送った。これで、こんな感じでの糖尿病の初発での経験、2例目だなあ。前は、1歳(深夜に来て、点滴するも朝になっても多呼吸がとれてなく、おかしいと思って検査したら、血糖値が400以上もあった)だった。ここにいると、いろんな症例に出くわす。勉強になるなあ。

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研修医残酷物語

2007-10-05 12:01:06 | Weblog
 ス一パ一ロ一テ一ト制度が始まるまでの研修医の給料は、どうだったのだろうか。(今は、税込み月30万円となっているが・・・もちろん、ボ一ナスはないのだが)
 私立の研修医は、原則無給で、手当てとして月に5万円が出るだけ。これでは生活できないので、バイトで生計を立てていた。5万円というのはまだいい方で、私立の中には、その半分の2.5万円というところもあった。最近、研修医の過労死や働き過ぎによる自殺が増えている。
 筑波大学の前野哲博准教授が行った「卒後初期研修における研修医のストレス」と題した研究(文部科学省科研究助成研究)によると、研修医の約4割が抑鬱状態にあり、研修開始後に抑鬱状態に陥った者は、約25%に上がるという。その原因として、「仕事量が多く、仕事に時間が掛かる」「複雑で高い能力を求める難しい仕事が多い」「仕事時間や順序を自ら決める権限が少ない」「自己判断が許されない場面が多い」ことなどをあげている。
 医師の生涯貸金を考えて、研修医からむしろ「研修費」を徴収すべきとの考え方もあるが、この説が正しいとすると、司法修習生に支払われている手当が説明できなくなる。研修医を"労働者"と見るのか、"見習い"と見るのか、議論が分かれるところであるが、今では、教育する「指導医」の方が給与が低い場合もある。
 更に問題を複雑にしているのは、多くの事例より、「研修医の年収が高いからと言って必ずしもよい医師が集まる」というわけではないことである。
(「日本の医療が危ない」川淵孝一著 2005年9月1日発行、ちくま新書より引用)

*卒後は、欧米などでは、死に物狂いでインタ一ン生活をしている。今のス一パ一ロ一テ一ト制度では、時間内に来て時間外に帰り、当直はせず、休みもしっかり休んでいる(研修場所で、それと大きく違う場合があるかも知れないが)。又、お客さん扱いにされているケ一スもある。一番吸収できる時に、それがあまり効率よく出来ていない感じがしている。医学部を8年と見なせばいいのかも知れないが、・・・。

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為になるかも知れない本(その230)

2007-10-05 07:53:38 | Weblog
○昭和60年1月14日(月)晴。
(今から、約22年半前に書いた私の日記の内容の一部です)
 雪が降っていた。200人以上来た。腹の調子が少し悪い、体がきつい。家族3人が風邪を引いているのに、自分は引いていないが。
○昭和60年1月16日(水)晴。
 140人近く来た。大分医大が来てくれる様になって楽している。午後、家の外で子ども達がワイワイ騒いでいる(自宅に長女の友達がよく遊びに来ていた)。ピアノの練習をした。
○昭和50年1月20日(日)晴。
 夕食を摂る寸前に、日曜と言うのにけいれんが止まらない患者さんが来たとのことで、病院から電話があったので、直ぐに行った。Reyeではないと思うが、Reye(当時の大分医大の小児科の教授は、日本で初めてライ症候群を報告した)だと、直ぐに大分医大行きだ。夕方11人来た。嘔吐が多い。日曜の夕方は、本当の急患が多い。(この日、けいれんの子の為に、泊まり込んだ)
○昭和60年1月23日(水)晴。
 インフルエンザB型にかかってみたいで、卓球大会には参加しなかった。18:45から、予定通りに小児科スタッフが家に来て、食事会をした。ミ一コと僕がピアノを弾いた。少し失敗した。夜、多くの人が、0:00過ぎに帰って行った(防音にしている自宅の半地下で、皆が楽しくカラオケをガンガン0:00まで歌っていた)。後片付けが大変で、朝の2時まで掛かった。いつも水曜日に休めるとなると、体の調子、だいぶ違うなあ。
○昭和60年1月25日(金)晴。
 インフルエンザB型が治った感じだ。嬉しい。しかし、まだ本調子ではない。下痢をして時々お腹が痛い。○○○十字からもらって免疫のビデオを見た。この10年間で、免疫学かなり進歩してた感じだ。今からは、免疫の知識なくしてはやっていけないだろう。医学の進歩はすごいなあ。
○昭和60年1月27日(日)晴。
 よく働いたって感じだ。今から患者さんが多くなるのかなあ。2月はいつも多いなあ。も1人いるといいなあ。やる気のない人が来ても困る。大学の命令で仕方なく来たって感じだと最悪だ。小児科1年未満だと、一番頑張るが、しばしばこっちがすることを見てないといけない。3年以上経っていると、もう出来上がっているので、今更、こうしたらいいと言っても素直に聞いてくれなくなっている。まる1年~2年経ったぐらいで、覚えたくて覚えたくて仕方ない感じの(かって自分がそうであった様に)素直な礼儀正しい人が来てくれるといいが、子持ちだと難しいだろうなあ。(この日、下痢があって、けいれんが止まらなくなった子が来て、救急車に乗って、大分医大に搬送した)(病院で朝の4:00過ぎに寝た)
○昭和60年1月31日(木)晴。
 (西田病院)月報が出来た。恵ちゃんに見せたら感心してくれた。自分でも本当によく書いていると思う。書いた人が一番の愛読者なのだ。読む人も楽しんでくれていると思う。これから先の内容がどうなるかだ。これが本になるかと思うと嬉しい。(西田病院の月報に自分が書いたものをまとめて300ペ一ジ余の本を2冊も出版することが出来た)


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NHKのクロ一ズアップ現代から

2007-10-04 20:26:22 | Weblog
10月9日(火)放送予定
夜間・休日 パンク寸前
~小児治療の現場から~

 少子化で子供の数が減少しているにも関わらず、小児救急に駆け込む患者が増え続けている。目立つのが風邪や便秘など軽い症状の子どもたち。救急を24時間営業の夜間病院として利用するこうした傾向を、医療関係者は病院の「コンビニ化」と指摘している。 ある病院の調査によると、患者の98%が軽症で、入院を要する事例はわずか2%にすぎない。この背景には、共働きが増え、夜しか子どもを病院に連れて行けない、いざという時相談できる相手がいないなど、小児救急に頼らざるを得ない親の事情がある。しかしその結果、本来救急が対応すべき重症患者に手が回らず、待合室で急変する事態も起こっている。また、夜間、休日の過酷な勤務に耐えきれず医師が倒れ、小児救急を取りやめる病院も出てきている。逼迫する小児救急の現場に密着し、子どもの突然の病気やケガにどうすれば適切に対応できるのか、探っていく。

 以上が10月9日に予定されている内容。是非、多くの人に見てもらいたいと思う。 
 都会で小児の救急に携わっている小児科医は、大変な苦労をされている。何が大変かと言うと、まず、その数の多さと忙しさ。少ない人数で、多くの日が深夜を含めて拘束されている。次に、いろんな親御さんへの対応。それと、今まで見ていない初診のケ一スだと、状況がよく解らなくて、下手をすると裁判沙汰になってしまう。
 その中で、一番の難儀は、やはり、親御さんへの対応である。挨拶をしない、診察の時に食べている、状況をよく見ていなくて連れて来る、医師の助言を聞こうとしない、感謝の気持ちが少ない、・・・と小児科医とっては診療しづらい面が多くなっている。
 私の様に、歳を取っているとそれにも免疫が付いていて、開き直って診れるが、理想に燃えて意気込んでいる若い小児科医には、気の毒なことだと思う。
 それに、そんなに頑張っても、小児科医1人当たりの売り上げは冴えなく、病院での立場も弱い。
 今の日本、救急病院では、多くの産科医だけでなく、多くの小児科医もぎりぎりで頑張っているのだ。



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続・(海外滞在の)バラ色の年金生活者

2007-10-04 07:45:26 | Weblog
 マレ一シアでのバラ色の年金生活をテレビで見て、将来厚生年金月20万円もらって悠々自適の年金生活をマレ一シアでしようと思った人、多いに違いない。事実、周りに少なからずいた。しかし、しかしである・・・
 外国に行って、次の2つの疑問を持った。
1、何故、日本人は、最後は日本に帰るのだろうか。
2、何故、日本人は、日本人街を作ろうとしないのだろうか?
 カナダやニュージーランドなどに行くと、チャイナタウンやコリアンタウンなど、それぞれの国の人々が群れて生活をしている。しかし、日本人には、それがない(全くない訳ではないが、他の国々の人々と比べると明らかに少ない)。 
 私が思うに、日本人の多くは、同じ日本人ばかりで長いこと住んできている。それで、異質のモノに憧れる。しかし、長いこと馴染んで来たことへの愛着は消えず、最後は、やはり、日本がいいと思い直すからではないだろうか。
 又、日本人が日本人街を作らない理由は、日本人に警戒心が少ないからではないだろうか。ユダヤの人にしても華僑の人にしても、同じ国の人が集まることで、経済的な面をも含めて身を守っていると思われる。日本人の場合は、(農耕民族のせいであった為か、闘いを拒否して日本列島に逃れて来たDNAの為か)和の精神を尊び、それは、日本人以外の人にもそれを求めようとしている(なかなかいい国民性ですね)。
 私が小さい時、肉を食べたくて仕方がなかった。すき焼きを家でする時には、一番のごちそうは、もちろん肉であった。牛肉を腹一杯いつかは食べてみたいものだと小さい時には、よく思ったものだ(兄弟4人だったので、食事の時の生存競争は激しかった)。
 しかし、その自分が来年還暦の歳にまでなると、何故か、健康上の問題もあるが、蛋白質は、断トツ魚で摂っているし、それが一番美味しく感じている。ある人に言わせると、日本人は、最後は、やはり沢庵とお茶漬けに落ち着くと言う。不思議だなあ・・・。
 長い生活習慣で、日本人は、やはり、日本での生活スタイルに一番適応する様になっている。若い時から海外生活をしばしばしている人は、別であろうが。
 定年後に1年以上のロングステイを海外ですることも結構なことである。しかし、その内に、日本が恋しくなる。お金にゆとりがあれば、暑い夏や寒い冬だけ、アチコチで海外生活をするのが一番理想的ではないだろうか。
 一度切りの人生、短い人生、いろんなことを見聞して、悔いなく実現させて生きて行ければ幸いと思う。

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為になるかも知れない本(その229)

2007-10-04 07:37:59 | Weblog
○昭和60年1月3日(木)晴。
 100人ちょっと来た。あまりひどいのはいなかった。ベビ一も落ち着いている。来年は忙しいかも知れない。○海病院の小児科医も頑張っているからかなあ。今年は体力を付けないといけななあ。休むことが大切だなあ。まだ、インフルエンザがはやらないなあ。
○昭和60年1月4日(金)晴。
 田中事務長さんが挨拶に来た。年明けはいつも小児科は多い。来年はどうしても小児科医の常勤医が1人欲しい。
○昭和60年1月6日(日)晴。
 天気が悪いせいか、喘息が多い。入院も多い。考えたら昭和60年になっていて、しかも、年末年始が終わっているのだ。今年の誕生日(5月28日)で満36歳にもなるのだ。信じられない。自分の成長と比べて、子どもの成長は超特急だなあ。
○昭和60年1月9日(水)晴。
 家族で久し振りに「味蔵」で食べた。1週間に1回ぐらい、こんな感じで家族で外食できるといいなあ。飲み代を節約すれば何と言うことはないはず。○○ベビ一の状態が悪くて、○○助教授が来ていたが、ナ一スが自分に電話して来て、ずっと格闘しながら分娩室に泊まった。(800g程で、肺が真っ白のRDSで)親も諦めている感じで、結局亡くなってしまった。
○昭和59年1月11日(金)晴。
 他に掛かり付けがあって、時間外だけ来る人が多い。救急病院だから見てもらえるのが当然と思っている感じだ。しかし、実質、小児科は自分1人でしているのだ。まあ、病院から高給をもらっているから仕方ない面もあるが。とにかく、個人病院の厳しい所は、採算が合わなければどうしようもないと言うことだ。
○昭和60年1月12日(土)晴。
 150人ちょっとしか来なかった。少ない。本当に。○海病院の(同級生の小児科医の)○○君、どこで開業するのかなあ?○海で1人で頑張っていて、大変だったみたいだなあ。医療生協の○井先生も、日赤の○先生も開業しても、救急はしないし、当然ベビ一はない。1人勤務医の方がやはりきついなあ。
○昭和60年1月13日(日)晴。
 ゆっくりした。本当に久し振りに休んだと言う感じだ。年末年始以来、ずっと24時間働き続けていたのだ。宮医大から(いつも来てもらっている)○○先生が来れなくて、○○先生が(24時間)来てくれた。

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南北会談

2007-10-03 12:11:17 | Weblog
2日に、北朝鮮の金総書記と韓国の廬大統領が会って、それをマスコミが大きく取り上げていた。
 気になったのは、金総書記の顔色が冴えなく、お腹が出過ぎるぐらい出ていること。噂では、金総書記の体調が極めて良くないとか。
 以前、韓国の金大統領や小泉首相と会った時には、顔色がはつらつとしていた。しかし、今回は、全く顔色が冴えない。笑顔がなく、ぶっきらぼうだ。
 廬大統領を金総書記が赤いジュウタンの上で迎える時に、別の人の指示で動いている様な動作があった。これは、尋常ではない。何せ、北朝鮮では、金総書記は、神様的な存在。そして、そんな一部始終を中継で画面に映し出されていることも、今までの北朝鮮のことを考えると、異常事態だ。
 アメリカの情報では、金総書記は、認知症のごく初期とのこと。かって、金総書記には、2人のそっくりさんがいて、本物は、瀕死の状態にあるとかの噂もあったなあ。アメリカの情報も当てにならないことが多い。イラクの大量破壊兵器がなかったのは多くの人の知る所であるが、オサマビンラディンの居場所を発見したとか、オサマビンラディンは腎不全で透析中で、もう亡くなっている可能性があるとか報道していたが、現実は、つい最近、本人に100%間違いないメッセ一ジまでがマスコミを通じて流されていた。
 アメリカがイラクに対してとる態度と北朝鮮に対してとる態度は、全く違う。北朝鮮に対しては、極めて友好的だし、今後は、益々そうなるだろう。そうなると、拉致問題で進んで来なかった日本の立場、福田首相の考えで少し変更になるかも知れないなあ。
 安倍元首相も、金総書記も、健康あっての政治だ。福田さんも71歳で高齢だが、まだ、大丈夫かなあ?そう言えば、民主党の小沢さんも心臓病で周りをハラハラさせいるみたいだが。

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為になるかも知れない本(その228)

2007-10-03 06:34:18 | Weblog
○昭和59年12月20日(木)晴。
 H教授が来た。30人余診てもらった。MCLSが多くなった。H教授、元気そうだ。自分の体の調子まあまあだが、遅く寝た時は本当に、きついなあ。今年ももうすぐ終わりだ。いい年だったかなあ。
○昭和59年12月23日(日)晴。
 今年最後のゆっくり出来る日だった。宮医大の(代診の)○○先生に学会の内容を渡した。12月も下旬と言うのに、暖かい。このまま年末年始になってくれると患者さんが少なくていいのだが。少し体力が戻った感じになってきた。
○昭和59年12月24日(月)晴。
 (院内の職員の)○○さんの子ども(医大に送って、腫瘍の疑いで手術したら、何と結核であったのだが)、医大からもらっていた薬を飲んでなくて、叱ったらここに来なくなって、○○小児科に行っていた。医療とは、教育と同じで、医療側と患者側のお互いの信頼関係から始まる。又、医者は、自分の限界も知っておくべきだ。院内の人は、薬だけをもらいに来たり、時間外に来たり、少し知識があるものだからいろいろと難しい。親しき仲にも礼儀あり。
○昭和59年12月25日(火)晴。
 病院の大忘年会があった。本当に楽しかった。外科の○田先生は、いつもの調子でメイン中のメイン、脳外科の○屋先生も、かなり凝ったのをした。セ一ラ一服姿の内科の○田先生や○田先生も、スゴイ出し物。皆、忙しいのに、いつ練習したのか?僕も、(いつも自分がしている様に)マイクを持って郷ひろみの「踊れサンバ」を歌いながら踊ったら、皆が総立ちになって踊り出して、凄かった。この病院の医者は、皆、役者だなあ。こんな雰囲気、大学病院や県病院には、絶対にないなあ。まかないのおばちゃん達まで、給仕しなくて真剣に見ていた。
○昭和59年12月27日(木)晴。
 医学研修センタ一から、僕の作った100選の小児科の問題を掲載させてもらえないかと言って来た。OKと返事をした。自分の問題がそれなりに認められたかと思うと嬉しかった。
○昭和60年1月2日(月)晴。
 50人ほど診たかな。昨年よりも少ない。明日は、100人近く行くはずだ。

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バラ色の厚生年金生活者達

2007-10-02 09:40:32 | Weblog
  10月1日の夜の民放テレビで、年金に付いて延々と説明されていた。その最後に外国での年金生活のことが述べられていた。以下、その内容。

 ロングステイ財団の調べでは、長期滞在希望国ランキングでは、以下の如くになっている。

1位、オ一ストラリア
2位、マレ一シア
3位、ハワイ
4位、ニュ一ジ一ランド
5位、タイ
6位、カナダ
 
 その中でも、今一番注目されているのは、日本から近くて安全でお金が少なくてすむマレ一シア。今や日本から、多くの年金生活者が押し駆けている。それに対して、マレ一シア政府も大歓迎とのこと(マレ一シアだけでなく、タイやインドネシアやフィリピンでも)。

 長期滞在の国としてマレ一シアが選ばれる理由は、以下の如く。
1、物価が日本の3分の1、つまり、3倍の買い物が出来ることになる。3LDKの立派なマンションに住んで、170㎡の広さで月7万円の安さでしかない。都会の人には、信じられない様な住まい。家を買うにしても、300万円で買える。
2、年金に税金が掛からない(平均的な厚生年金受給者の場合、日本での年金受給者は、7%の税を取られる)。しかも、日本の社会保険庁が海外の自分の銀行口座までわざわざ無料でその年金のお金を入れてくれる。
3、定期金利が約4%で(日本の13倍)もある。マレ一シアで年金生活をする為には、マレ一シアの銀行に15万リンギット(日本円で約500万円)の定期預金をすることが課せられているが、それにより年間20万円もの利子が付くことになる。
4、日本人にとってとても住みやすい土地柄となっている。まず、日本人が多い。クアラルンプ一ルでは、「クアランプ一ル日本人会」が中心になり、50以上ものサ一クル活動が出来ている。現地の人と趣味三昧の生活が出来ることになる。
5、テレビでは言われていなかったが、それに、言語は、英語でまず通じるし、マレ一シア語も、インドネシア語とそっくりで、極めて簡単(英語が出来なくても、現地でちょっと覚える気になれば、日常会話は困らなくなるはず)。

 クアラルンプ一ルに住んでいる年金生活者の日本人が言っていた、「月に20万もあれば、余ってしょうがない」と。

 以下は、私の私見であるが・・・。
 タイのチェンマイでは、同じことが年間100万円前後で出来る。もちろん、そこにも日本人会があって、いつも週に1度、そこに住む日本人が集まって親睦会を開いて情報を交換していた(私も数回参加したが)。花粉症の時期になると、立派なコンドミニアムに定期的に来る日本人がいる。タイでの最大の欠点は、その暑さと思われるが、10月の後半~2月までだと比較的過ごしやすいと思われる。
 インドネシアでは、生活費がもっと少なくていい。しかし、ここは、タイよりももっと暑い。ここでは、高層ビルは、建ててはいけないことなっているので、全て平屋(バリだけかな?)。
 その点、マレ一シアは、タイやインドネシアよりも、お金が少し掛かるが(と言っても、月に20万もあれば、メイドさんも雇えて充分であるが)(東南アジアでは、日本の年金生活者は、現地のメイドさんを雇わないといけないことになっている)、より住みやすく、(キャメロンハイランドの様な)高原に住めば、暑さもさほど気にならないであろう。只、涼しい高原に日本人好みの飽きない趣味が見つかるかどうか?
 東南アジアでの生活で是非気を付けておかなければいけないことは、それは文化はもちろんそれ以外に、現地との経済的な格差によるトラブル。例えば、インドネシアの現地の人の多くは、月に3万足らず。1万円足らずの人も多い。そのことを常に忘れてはいけない。日本人がよかれと思って、チップに1.000円などの大金をあげてしまうと、ホントに、現地の人が日本人を見る目が変わってしまい、お互いに先々困ることになると思う。
 私は、オ一ストラリア(2週間)にも、ハワイにも、ニュ一ジ一ランド(4週間)にも、カナダ(7週間)にも行ってみたが、どこもそれなりの良さがあったし、欠点もあった。
 その中でも、今でも、カナダのビクトリアは、正に地上の楽園と思っているし、いつか長期滞在をしたいと思っている。


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