日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

バラ色の厚生年金生活者達

2007-10-02 09:40:32 | Weblog
  10月1日の夜の民放テレビで、年金に付いて延々と説明されていた。その最後に外国での年金生活のことが述べられていた。以下、その内容。

 ロングステイ財団の調べでは、長期滞在希望国ランキングでは、以下の如くになっている。

1位、オ一ストラリア
2位、マレ一シア
3位、ハワイ
4位、ニュ一ジ一ランド
5位、タイ
6位、カナダ
 
 その中でも、今一番注目されているのは、日本から近くて安全でお金が少なくてすむマレ一シア。今や日本から、多くの年金生活者が押し駆けている。それに対して、マレ一シア政府も大歓迎とのこと(マレ一シアだけでなく、タイやインドネシアやフィリピンでも)。

 長期滞在の国としてマレ一シアが選ばれる理由は、以下の如く。
1、物価が日本の3分の1、つまり、3倍の買い物が出来ることになる。3LDKの立派なマンションに住んで、170㎡の広さで月7万円の安さでしかない。都会の人には、信じられない様な住まい。家を買うにしても、300万円で買える。
2、年金に税金が掛からない(平均的な厚生年金受給者の場合、日本での年金受給者は、7%の税を取られる)。しかも、日本の社会保険庁が海外の自分の銀行口座までわざわざ無料でその年金のお金を入れてくれる。
3、定期金利が約4%で(日本の13倍)もある。マレ一シアで年金生活をする為には、マレ一シアの銀行に15万リンギット(日本円で約500万円)の定期預金をすることが課せられているが、それにより年間20万円もの利子が付くことになる。
4、日本人にとってとても住みやすい土地柄となっている。まず、日本人が多い。クアラルンプ一ルでは、「クアランプ一ル日本人会」が中心になり、50以上ものサ一クル活動が出来ている。現地の人と趣味三昧の生活が出来ることになる。
5、テレビでは言われていなかったが、それに、言語は、英語でまず通じるし、マレ一シア語も、インドネシア語とそっくりで、極めて簡単(英語が出来なくても、現地でちょっと覚える気になれば、日常会話は困らなくなるはず)。

 クアラルンプ一ルに住んでいる年金生活者の日本人が言っていた、「月に20万もあれば、余ってしょうがない」と。

 以下は、私の私見であるが・・・。
 タイのチェンマイでは、同じことが年間100万円前後で出来る。もちろん、そこにも日本人会があって、いつも週に1度、そこに住む日本人が集まって親睦会を開いて情報を交換していた(私も数回参加したが)。花粉症の時期になると、立派なコンドミニアムに定期的に来る日本人がいる。タイでの最大の欠点は、その暑さと思われるが、10月の後半~2月までだと比較的過ごしやすいと思われる。
 インドネシアでは、生活費がもっと少なくていい。しかし、ここは、タイよりももっと暑い。ここでは、高層ビルは、建ててはいけないことなっているので、全て平屋(バリだけかな?)。
 その点、マレ一シアは、タイやインドネシアよりも、お金が少し掛かるが(と言っても、月に20万もあれば、メイドさんも雇えて充分であるが)(東南アジアでは、日本の年金生活者は、現地のメイドさんを雇わないといけないことになっている)、より住みやすく、(キャメロンハイランドの様な)高原に住めば、暑さもさほど気にならないであろう。只、涼しい高原に日本人好みの飽きない趣味が見つかるかどうか?
 東南アジアでの生活で是非気を付けておかなければいけないことは、それは文化はもちろんそれ以外に、現地との経済的な格差によるトラブル。例えば、インドネシアの現地の人の多くは、月に3万足らず。1万円足らずの人も多い。そのことを常に忘れてはいけない。日本人がよかれと思って、チップに1.000円などの大金をあげてしまうと、ホントに、現地の人が日本人を見る目が変わってしまい、お互いに先々困ることになると思う。
 私は、オ一ストラリア(2週間)にも、ハワイにも、ニュ一ジ一ランド(4週間)にも、カナダ(7週間)にも行ってみたが、どこもそれなりの良さがあったし、欠点もあった。
 その中でも、今でも、カナダのビクトリアは、正に地上の楽園と思っているし、いつか長期滞在をしたいと思っている。


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為になるかも知れない本(その227)

2007-10-02 08:34:04 | Weblog
○昭和59年12月2日(日)晴。
 学会で発表した。文六先生が僕に好意的に接してくれる。高林先生も、ニコニコして接してくれる。最後の方で、いろんなケ一スの症例を沢山出した。皆、驚いた感じに思えたが。いい日だった。
○昭和59年12月5日(水)晴。
 准看での小児科の講義が今日で一応終わった。西田病院の○○さんは、最後まで眠っていた。それ以外の人は、真剣に聴いていた。専門馬鹿では、患者さんが不幸になる、ナ一スもそれなりの教養が必要だと言った。知識は教えられても、やる気は教えられない、やる気を長く継続出来れば、ある程度のことは時間を掛ければそれなりに出来ることが多い、出来れば高看目指して欲しいと言った。
○昭和12月9日(日)晴。
 午前中電話があり、行くとRDSだった。(開業医の)○外科のナ一スの子どもだった。RDSで状態が良くなかった。どうかして助けなければと思った。nasal CPAPを付けた。動きはいいし、よく泣くので、望み大だ。(この日と次の日、院内宿泊)(当西田病院新生児・未熟児センタ一では、年間7名前後、レスピレ一タ一を付けていていた)
○昭和59年12月10日(月)雨。
 ベビ一ちゃん、助かりそうだ。嬉しい。
○昭和59年12月13日(木)晴。
 ボ一ナス日だった。○○○万もあった。まあ、それだけの仕事は充分にしていると思う。昨年よりも3万多くなっていた。こんなにいつも沢山もらっていいのかなあと思うと同時に、こんなに働く医者もそんなにいないだろう、この先自分の体が本当に大丈夫かなあとも思う。正に救急病院の医者って、(訴訟も多いし)ハイリスクハイリタ一ンだなあ。
○昭和59年12月14日(金)雨。
 夕方、(両親のいる)白潟に行って、10万あげた。又、父の好きなジョニ黒もあげた。凄く嬉しそうだった。
○昭和59年12月15日(土)晴。
 夕方から大分医大が来てくれるけど、明日の夕方から又働かないといけない。150人ちょっと来た。今から多くなるのかなあ。

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