日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

他人の為に

2007-10-08 08:09:30 | Weblog
 最近は、日本人の生き方として、他人の為にと言うことが少なくなっている様な気がする。
 小さい時から競争競争で来て、いきなり共生や無償の奉仕の価値観を言われても、最初は戸惑うに違いない。しかし、自分中心に生きていると、必ず他人との利害関係でぶつかるはず。
 年金の問題にしても、これは、自分の為だけでなく他人も救っていると考えるべきである。そんな年金をちゃんと払うべき日本人の中で、実際に年金をちゃんと収めている人の割合が、何と現在50%を切っているとのこと。このことは、諸外国に品格の高さを売り物にしてきている日本人のイメ一ジに反することになり、将来の子どもの教育上でも、極めてゆゆしき問題だと思われる。
 税金にしても、それで他人が救われると思えば、それなりに我慢すべきと思うのだが、一番の問題は、そのお金が有効に使われているかどうかだと思う。消費税を上げた分、そのお金が目に見える形で極めて有効に使われているなら、多くの日本人も納得するだろうし、すべきと思う。
 イスラム教の世界では、儲けの1割は、他人の為に出すものとなっている。それを出すことがいいことをしていると言う感覚はなく、当たり前となっている。又、イスラムの世界では、お客さんは、特別によく扱われる(私自身がそのことをバングラデシュのダッカでホームステイをして、如実に感じたこと)。チベットに行くと、困った日本人を見ると現地の人が無償で介抱してくれる。戦後間もない日本でも、(皆、殆どの人が貧しかったが)近所で食べ物で困った人がいると、周りの人が無償で与えていた(実際、その光景を私自身が田舎で見ながら育っている)。
 麻疹にしても、インフルエンザの予防にしても、自分の為だけでなく、他人に移さない為にもするべきものなのだ。インフルエンザにかかっている人が仕事するなんて、実際は、他人にインフルエンザウイルスをまき散らしに行っているようなものなのだ。
 今の日本、国単位で見ても、総理自身や防衛省の大臣までが、自国の為になるからと発言している。どの国もそんな考えだと、この世界から半永久的に戦争がなくならないであろう。
 自然の法則は、共生であり最小必要限度で満足することである。自然は常に存在し、自然と共生できないものは滅びる運命にある。と言うことは、競争と欲に際限がない人間はいつかは滅んで行くことになるかな。ヒトが地球からいなくなった後は、最強のクマムシなどの昆虫が幅をきかせる様な世界になるのかなあ。


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為になるかも知れない本(その233)

2007-10-08 07:55:43 | Weblog
○昭和60年3月2日(土)雨。
 朝、頭部打撲した1カ月の子が来た。熱があり、CTで硬膜下水腫があったので、県病に送った。大阪の人で、市内の○○○でお産をし、2.000g余と言うことで県病に入院し、退院後に再び県病に行く途中だったとのこと。ここにで初めからお産をしていれば、そんな必要なかったのになあ。送ると患者さんを取られてしまうと開業の先生方は考えてしまうのかなあ?医療界は、難しいなあ。
○昭和60年3月4日(月)晴。
 180人余来た。少し下火になった。近頃、勉強していない。これで本当にいいのか。忙しいと勉強しなくなる。眼が疲れる、肩が凝っている、体がいつもだらしい、萬年睡眠不足、最悪のパタ一ンだなあ。いつ起こされるかわからないので、グッスリ熟睡出来ていないのだ。(深夜に急患が来て、ナ一スコ一ルが何度かあったのに、疲れ切って眼を覚ますことが出来なかったこと、西田病院で1回、たはら小児科医院で1回あった。いずれも、部長室に泊まり込んで不眠不休の状態で診療していた時のこと)。
○昭和60年3月9日(土)晴。
 大群がやって来た。○原家4人(子ども3人)と、○田家4人(子ども3人)が我が家(4人)に来て、泊まって帰った。何と、我が家が12人でふくれ上がった。久し振りに再会して、奥様連中は、黒柳徹子さんみたいに喋りまくっていた。○田先生、田舎の病院に今度行くとのこと。博士号を狙っていたみたいだが、7カ年間大学にいたけどそれを取ることなく、田舎に行くのだ。○田先生も、考え方が大人になったのかなあ。(ある時、彼は酒の席で私に次の様に言ったことがあった、・・・大学では、しつこく手術する様に勧めて、それで術後に亡くなると、又、解剖を勧めて、一体、俺って何をしているのかわからんことがある・・・と)
○昭和60年3月13日(水)晴。
 学会の原稿を当直に来た(助教授の)○○先生に渡した。小児科専門医制度が出来るが、これを取るべきかどうかだなあ。反対賛成いろいろな意見がある。今更取るのも不自然な気がするし、学会参加だけで取れるのも、何かおかしな気がする。(結局小児科認定医は、かなり遅れて書類で平成2年に取得したが、その後、小児科の学会に行けずに単位が不足してしまい、やむなく継続を断念してしまった)。
○昭和60年3月21日(木)晴。
 (昨日、小児科のスタッフで、15:10に病院を出発して1泊し)朝、皆で8:30に食事を摂った後に、直ぐに城島高原に行った。皆、バッチリ遊んでいた。そこでミニカ一にのり、ミニゴルフもした。ここでは、フルに1日遊べる様に出来ている。弓をもっとしたかった。帰ってからグッスリ眠った。恵ちゃんがどうもおめでたの様だ。我が家もいつの間にか5人家族になるのだなあ。

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