日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

どうして騙されるの?

2007-10-07 08:49:06 | Weblog
 「円天」の事件が世間を騒がせている。被害者の6割以上が、お年寄りとのこと。かっての豊田商事事件と似ている。
 使っても使っても減らない円天なる「通貨」が半永久的に使える。そんなあり得ない話に何故引っかかってしまうのだろうか?そんな人が全国で5万人もいたなんて。
 知人もしている。(信用できる)知人から誘われた。勧誘に来た会社の人がいい人みたいだった。そんな感じだ。会員のみが有名歌手のコンサ一トに招かれたり、実際の初め配当のお金が入ってしまうと(実際は、自分の入れたお金なのだが)、少し疑惑を持っていても、疑惑が次第に薄らいでくる。更には、海外での投資を利用しているので、日本と違って年利36%もの高利回りでも回せるなどと言われれば、信じる気になっても不思議ではない。しかし、世の中、そんなに甘くないのである。

 人間というのは、何故か、苦労して得てないお金は、有効に使えない。
 2.500年も前のギリシャ時代に、次の様な「ギリシャの教え」がある。
 一番善いのは健康で、次に善いのは、器量のよいこと(知的能力と人柄)、そして、三番目は、正直に入れた財産。

 今の時代、最後はやはり自分の責任も問われると思う。この世には、絶対というものはない。結婚だって、一生貴方を愛しますとお互いに結婚式で誓っても、別れているのが現実の姿だ。絶対に倒れないだろうと思っていた大きな証券会社や銀行でさえも、潰れる時代だ。公務員だって、将来絶対に定年まで安泰と思っていても、あながちそうでもなさそうだ。
 そんな中で、やはり、自分なりに考えて、それも少し時間をおいて考えて、又、複数のいろんなタイプの人の意見も聞いて、それから決めてもいいと思うのだが。やはり、いざと言う時に親身なって相談に乗ってくれる(家族や友達などの)人が必要であろう。
 
 余談であるが、あちこち職場を変更している医師の多くは、退職金がない(大学で研究ばかりしている人の中に、年金に加入していないドクタ一もいたが)。私の場合は、大学を辞めてからは、将来のことを考えて、医師会の年金と保険医の年金に早くから入っていた。開業を辞めた時に、医師会を脱退したり、住所変更などもあったりして、医師会年金も保険医年金も、全て解約してしまった。それまでに払い込んでいた(かつ利子もついていたが)お金をどうして殖やすか真剣に考えた。で、その時、米ドルの為替が1ドル100~110円の時で、外貨預金の道を選んだ。
 その時に読んだ竹村健一の本を読んで、そうしたのだ。その本の中には、「日本人は、兎に角、国際感覚に乏しい。もっと世界の動きを見るべきだ。日本の低金利と違って、外国は高金利。一度勇気を持って外貨にしてみなさい、そして、それの恩恵を実際に味わってみなさい」と書かれていた。
 今、米ドルでの定期預金の年利が4%以上にもなっている。20年も経てば、預けたお金の倍近くになる計算だ。為替で損をすると言うが、将来、そのままドルを使うと考えれば、関係ない。どうですか、貴方もだまされたと思って、少しだけでも外貨預金にしてみますか?!
(米ドルを円に換えた場合、米ドルでの手数料は、他と比較して安い。円高になれば、損になるが、ゆとりのある人であれば、円安になるまで待てばいい。今までの経過を見てみると、ずっと円高が続いたり、ずっと円安が続いたりすることはない。又、途方もない程の国債を抱えた日本が救われる確実な方法は、私が思うに、又、かってアチコチの国がそうであった様に、インフレになるしかないと思われる。となると将来は、確実に円安になるかな?!!)


  お金の利殖に関しては、その多くは、自己責任だと思います。ハイリスクハイリタ一ンが原則です。
  年始に経済学者が、為替の予想を立てますが、当たっていませんね。悪い言い方をすると、逆になっていることの方が多い気がします。
  外国旅行の関係で、シティバンクを少し利用しているのですが(外貨の金利は、他と比較して、あまり良くないと思いますが、日本円で預けていると、現地で現地のお金に簡単に変換できるので、便利です)、シティバンクの為替の予想も、はずれることの方が多い感じです。
  その道のプロに聞いたことがあるのですが、その人曰く、「為替の予想は、いろんな要因があるので、極めて難しい」との返事でした。
  インフレで物価が倍になれば、預けたお金は、実質は、半分になります。外国では、日本よりもインフレ率は高いです。ある人は、10年以内に、日本では確実にインフレが起きると予想していますが、さあ、どうでしょうか?

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

為になるかも知れない本(その232)

2007-10-07 08:34:35 | Weblog
○昭和60年2月17日(土)晴。
 土曜の16:44の電車にやっと間に合って特急で宮崎に学会で行った。宮崎ビジネスホテルに泊まった。このホテル、かなり昔と比べると良くなっているなあ。
○昭和60年2月18日(日)晴。
 学会で発表し、二次会に行った。○○先生が自分の隣に来て座った。「田原先生、先生にいつか言おう言おうと思ってきた。(大学を去ろうとしていた時、○○先生から誘われて一緒に飲んだ時)あの時、2人でグデングデンに飲んで酔った時のこと、あんな言い方をしなければ良かったとずっと思ってきた。田原先生が大人だったよ。あれから自分も大学を去り、やっとよく解るようになった。医者なんて、臨床が一番大事。患者さんを大事にしてこそ医者。臨床が出来なくて、何で医者か!臨床がちゃんと出来て、そして、暇のある人が研究をすればいい。それも、臨床に直接に役に立つ研究を。あの時、もっといい言い方をすれば良かった。そのことで、ずっと気にしてきた。すまんかった。」といきなり頭を下げられて言われた。涙が出るくらいに、嬉しかった。
○昭和60年2月2月20日(水)晴。
 CHDで生まれた子、酸素を上げても酸素分圧が上がらない。20台でしかない。CCHD間違いないと思い、直ぐに(自院の)救急車で宮医大に送った。TGAの1型で、PDAがあったとのこと。それにしても、胸写が典型的でなかったなあ。(チアノ一ゼがあったが、酸素なしで搬送して正解だったが)
○昭和60年2月22日(金)晴。
 自分の同級生の子どもが腹痛で来た。少しヤ一さんぽい人で、苦手なタイプだ。「しっかり診てくれえ」と言う。点滴したら、「どうして点滴したんか」とつっかかる感じで言ってくる。疲れる。津久見から自宅で分娩した子が来て、RDSで、直ぐに器械を付けた。
○昭和60年2月25日(月)晴。
 RDSと細気管支炎で大変だ。○○先生が、「ここは重症が多い」とビックリした感じで言われた。そうなのだ。それを自分一人でしているのだ。重症の小児の入院の患者さんを持つことが如何に大変なことか、小児科医なら理解できる。腕のある医者になろうと思ったら、ちょこちょことその時だけ急患を診ていても腕は上がらないし、患者さんも不幸だと思う。初めから終わりまで、しっかりと患者さんを診てこそ、腕が上がる。自分の実力、メキメキと付いて行っていると思う。(この日、患者さんが悪くて、院内に宿泊)
○昭和60年2月28日(木)雨。
 細気管支炎で、ひどい症状の人がどんどん来る。ベッドが足りない。困った。自分は何人もの命を預かっている。親御さんからしっかり信じてもらえている。嬉しい。(この日も、院内宿泊)
○昭和60年3月1日(金)雨。
 尿路感染症の子どもの親が、「何故こうなるのか?」「まだ帰れんのか」と言う。解り易く説明したつもりなのだが。お願いしますって感じの感謝の言葉はない。こっちが頭を下げている感じだ。(遠くの人で)今日帰ってもいいけど、しばしば尿を見てないといけないと言ったら、それも困ると言われた。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする