日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

周産期医療への行政の取り組み

2007-08-20 14:45:31 | Weblog
 大分県では、カンガル一号なるベビ一カ一が県内どこにでも24時間365時間、小児科医2名を乗せて走るシステムをかなり前からとられている。当初、県病の肥田木病院長が産婦人科医で、新生児・未熟児医療に難儀していて、周産期医療の大切さに気が付いていた。その結果、早々と、県病の小児科の部長を、新生児の部長と小児科の部長との2人体制にした。これは、当時では、画期的な出来事だった。又、スタッフも、新生児と小児科とほぼ同数にしていた。
 沖縄県の県立中部病院でも、周産期医療の大切さに気が付き、やはりここでも一般小児科の小児科医数よりも、新生児室の小児科医数の方をかなり前から多くしていた。昭和63年10月の九州新生児研究会で沖縄に行った時、安次嶺小児科部長は、新生児の方が手を取って大変だと話されていた。
 宮崎県でも、周産期医療は、現在非常に充実していて、宮崎大学医学部での周産期医療は、大学の目玉的存在にまでなっている。 ここまで来るのに、産婦人科教授の池ノ上克先生の存在が大きかったと思われる。
 鹿児島県は、知っての通り、5つ子を育てて充実してきた鹿児島市立病院の周産期医療センタ一がある。
 で、熊本県はと言うと、新生児・未熟児医療のシステムに関しては、かなりの後進県の様に思える。それぞれの病院の治療成績はとてもいいのだが、受け入れるベッドが絶対的に不足している。かなりの割合で、入院を要するケ一スが県外に行っているとのことである。
 産科の問題は、熊本県だけでなく、全国アチコチで今起きている。産科をする場合は、麻酔科医がいて小児科医がいる所が望ましいとなっているが、それを言い出すと、安心して産める所が今以上になくなってしまう。集約化の問題で、既に、少なくなっていると言うのに。
 ○○大学産婦人科のある先生の(昨日伺った)話では、「今、1人でも教室から欠けたら、もう、出来なくなってしまう状態にある。他に送るゆとりなんか全くないです。ギリギリです。産婦人科に来年入局する予定の人は、今の所0です。今年は何とかもちそうですが、来年どうなるか分かりません。1人の受け持ちの患者数、当科が病院では一番多くなっていますから。もう、限界に近い状態で毎日安月給で働いていますから」と。
 当院の産科医は、1人で深夜でも腰椎麻酔をして、1人で帝王切開をしている。15年間も、1人で頑張っている。こういった感じの産科医を今後期待する方が土台無理な話である。自治体病院でこんな感じで無理を今もさせていること自体も、問題である。
 厚生労働省そして熊本県の行政の役人の方へ、にっちもさっちも行かなくなる前に、現場の人の意見を謙虚に聞き入れて、手を早急に打って下さい。まず、周産期医療へのお金の確保をお願いします。この先、そんなに個人の犠牲的精神が長く続かないと思います。そうでなくても、今は、訴訟に怯えていますから。

*後日以下記載。 平成19年9月1日の熊本日日新聞の内容では、熊本県では、NICUの必要数が30床であるべきなのに、市民病院15床、大学3床、(個人の)福田病院9床で、27床しかないとのこと。今年の3月、熊本日赤がNICUの必要数に準じる医療を始めている。そうでなくても不足している産婦人科医と小児科医の確保。まだまだ、難航が予想されている。


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為になるかも知れない本(その184)

2007-08-20 09:35:34 | Weblog
○昭和54年4月18日(水)晴。
 当直明けだった。論文を書かないといけないのに書いていない。ずっとこんな感じになっている。こんな自分が恥ずかしい。学生が後をズ一ッと付いてくるので、少しうんざりしている。学生の教育の仕方をもう少し要領よくしていかないといけないなあ。計画的に課題をあげるとしようかなあ。開業した小野先生と会った。やっと落ち着いたとのこと。今、平均1日に70程来ていると言う。順調だ。場所もいいし、先生の人柄もいいし、もっともっと多くなるだろう。僕もいつかそんな感じになりたいなあ。何故、自分って、大学にいるのなかあ。ペ一パ一、診療、教育、バイト、忙し過ぎる。
○昭和54年4月22日(日)晴。
 僕が病院に行かない日は、年に何回あるかなあ(病院の宿舎が、道路を隔てて病院の真ん前にあって、小児科外来から我が子が手を振っているのがよく見えていた)。まとまった休暇を取った時以外では、片手もあるかなあ?人間、やはり休むべきだ。今は、論文も書かずに、ただ、流されるままに大学にいる感じになっている。自分の好きな教育も、満足に出来ていない。何もかも、不完全燃焼の状態にいる。
○昭和54年4月25日(水)晴。
 歯科で入歯を入れた。余り調子が良くない。だんだん良くなるのかなあ。型を取っからは、今度の1回で終わってしまったので、ビックリした。病棟に来て診察している歯科医はあまり偉く見えないのに、外来での歯科医は、実に偉く見える。どうしてかなあ。
○昭和54年4月26日(木)晴。
 父上が母上と一緒に来た。選挙の疲れでか、父上は元気がなかった。60歳過ぎて挫折感を味わっている。かわいそうだなあ。今までトップ(佐伯小学校長)であっただけに、後の落ち込みは、急カ一ブだ。路子を見て、とても嬉しそうな顔をしている。孫って、とてもかわいいみたいだ。
○昭和54年4月28日(土)曇。
 土曜日と言うのに、○○産婦人科から急患が来た。チアノ一ゼがある。心電図で右の圧が強い。胸写で肺に左右差がある。入院した直後は、横隔膜ヘルニアかなっとも思った。心音やや右に最強点がずれていて、左呼吸音が小さかったからだ。しかし腹部の陥凹がない。○○先生がエコ一をして、TGAでBASが必要かも知れないと言う。で、心カテをした(自分がして、アット言う間に、心臓にカテが届いて怖かった)。しかし、心奇形はなかった。左の肺紋理も、先まで追える。結論は、肺疾患。
○昭和54年4月29日(日)曇。
 昨日心カテしたベビ一が良くない。1日中、忙しかった。肺の疾患ならば、治るはずだ。写真は、昨日よりも左右差が少なくなっている。何となく生きそうな気がする。
○昭和54年4月30日(月)晴。
 ベビ一の調子がいい。信じられない位にいい。助かるなあ、この調子だと(新生児特発性肺気腫)。自分が新生児室を受け持ってから、考えてみると、まだ、1人も亡くなっていない。RDSや極小未熟児などいたのに。

*大学を離れ、しばらくして、あるナ一スから次の様に言われたことがあった。「新生児が3カ月に1人は亡くなっています。先生の時は、10カ月、誰も亡くなりませんでした。あの時、先生がしっかりと診てくれていて、いつも吸引してくれたり、処置をしてくれていて、助かりました。先生程、朝早くから夜遅くまで新生児室にいるドクタ一は、いないです。先生がいたら、ここで産まれた○○ナ一スの子も、助かっていたのではと皆で話していました」と。(大学病院を離れる時、新生児医療で救命率を上げる為には、その環境に慣れた熱心なスタッフの充実こそが先決だと言う考え方に変わっていた。常に細かく診ていて、ちょっとの変化にも直ぐに対応できる体制にあることこそが最も大切と考える様になっていた)

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発想の転換

2007-08-20 08:21:02 | Weblog
ブドウの袋も種も、食べてみると美味しい。冷たくして食べると尚更美味しい。ミカンもリンゴも、皮ごと食べると、ビタミンも豊富で、線維も多くていいと思われる。
 スイカの種を除くのがとても面倒くさかった。で、種も食べることにしたら、スイカを食べるのがそれなりに楽しくなってきた。
 物事って、発想を転換すると意外なことが経験できる。同じ事をしていると、なかなか思い付くことが出来ないが、実際に変えることにチャレンジしてみると、そこに意外なことが発見出来る。
 血圧が高かったので、代わりに酢をかけて食べ出したのだが、刺身にしても(酢とワサビを一緒にすることが多いが)、ちょっとしたものにも、酢をかけているのだが、それで結構美味しくなっている。別に、醤油でなくても良かったのだ。

 かって私は夏は大嫌いだった。暑いのは苦手だったからだ。寒いのは気合が入っていい(今は、余り寒いのは、苦手になっている)感じになっていたが、暑いのはどうしても我慢できなくて、やる気をなくしていた。それが大好き人間になり、夏をいつも楽しむ様になっている。何故か、それは、夏は太鼓を打てるから。そして、盆踊りの時期が済むと少し涼しくなってくる。かっては多い年には、1年間に17カ所で太鼓を打っていた。その半分近くが、夏の時だった(今年の夏は、4カ所でしかないが)。
 子孫に美田を残すなと言われているが、全くその通りだと思う。稼いだ分を上手に死ぬまでに使い切ってしまおうと思っている。それで、年間100万円で過ごせると言うの自分の目で確かめたくて、タイ(チェンマイ)やインドネシア(バリ)にも行ってみたのだが、それが本当であることを確認できた。
 年金生活10~15万前後もあれば、いいコンドミニアムに住め、メイドさんも雇えて、それなりに住めるのだ。インドネシアと違って、タイでは、医療もしっかりとしている。
 歳をとれば、周りがよく見えてくる。まだ、したいことが沢山ある。病気と上手に付き合って、いつ死んでも悔いが残らない様に、毎日を充実して生きたい。
 58歳のこの歳になっても、雇ってもらえて、小児医療だけしていればいいこのポジション、それなりに満足している。



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