日本の心・さいき

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為になるかも知れない本(その181)

2007-08-17 07:16:18 | Weblog
○昭和54年1月24日(水)晴。
 ボ一ッとして1日が過ぎた。今日は、何をしたのかなあ。明日は、神経芽細胞腫?を持つことになっている。未熟児と○本ベビ一でエネルギ一の大半が奪われてしまった感じだ。他の人達、のんびりそうに見えるなあ。新人のY’君もT嬢も、少なくとも自分よりは、のんびりしている感じだ。○成君、自分と同じ感じで忙しそうだなあ。
○昭和54年1月26日(金)晴。
 神経芽細胞腫の検査、エコ一が出来なくて、IVPしか出来なかった。明日マルクがある。それに入院もある。それに教授から言われている仕事もある。忙しい。
○昭和54年1月27日(土)晴。
 恵ちゃんの26歳の誕生日だったが、忙しくて気が付かなかった。
○昭和54年1月29日(月)曇。
 当直明けだった。朝の3:00に点滴が抜けたとのことで起こされた。朝15人採血し、二外科との心臓カンファランスで2人のップレゼンテ一ションをし、夕方心カテをし、神経芽細胞腫(外科の先生のエコ一では、ウイルムス腫瘍ではないかとのこと)のオペのことで麻酔科に行き、そのことを21:00に父親に説明した。
○昭和54年1月30日(火)晴。
 オペをしたら、正中線を越え、摘出出来ない状態になっていた。「命は後何年?」なんて聞くナ一スがいた。もう死亡診断書、書きたくないなあ。
○昭和54年2月11日(日)晴。
 ○○さん(白血病で、県病でなくなった。2月6日に、食事に招待したいとの連絡があって、約束していた)の招待で、磯料理をご馳走になった。○○一家、4人の時は、家がとても賑やかだったと言われる。納骨堂に行って、合掌した。(この家族とは、今年も、年賀状を頂いた。も1人の子どもさんは、薬学部に進み、現在医療関係の職に就いている)
○昭和54年2月15日(木)晴。
 念願の「国家試験小児科の手引き」なる小雑誌が出来上がった。嬉しい。これを土台にして、もうすぐ専門4年生になる学生に講義をしよう。僕は、人に教えるために産まれて来たのかなあ。
○昭和54年2月16日(金)晴。
 当直明けだった。朝未熟児の入院があり、午後心カテした。少しカゼ気味だったが、バッチリ出来た。ファロ一は、これで3人目だ。
○昭和54年2月20日(火)晴。
 ここの小児科(○○町立病院)には、来たい人がいないのかなあ。いつも同じ常勤医は、院長だけだ。何となく、こんな感じでは先細りって感じだ。これが佐伯の周辺にあれば、喜んで就職するのになあ。毎週毎週こんな感じで代わっていくのって、患者さんにとっては不安だろうなあ。大学で雑用に追われるくらいなら、ここに1カ月だけでもいたいというのが偽らざる僕の本音だ。専門書を読む時間もタップリあって、ここの方がよく勉強出来るなあ。(月曜から土曜までいて、148.00円ももらってしまった)

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