日本の心・さいき

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為になるかも知れない本(その184)

2007-08-20 09:35:34 | Weblog
○昭和54年4月18日(水)晴。
 当直明けだった。論文を書かないといけないのに書いていない。ずっとこんな感じになっている。こんな自分が恥ずかしい。学生が後をズ一ッと付いてくるので、少しうんざりしている。学生の教育の仕方をもう少し要領よくしていかないといけないなあ。計画的に課題をあげるとしようかなあ。開業した小野先生と会った。やっと落ち着いたとのこと。今、平均1日に70程来ていると言う。順調だ。場所もいいし、先生の人柄もいいし、もっともっと多くなるだろう。僕もいつかそんな感じになりたいなあ。何故、自分って、大学にいるのなかあ。ペ一パ一、診療、教育、バイト、忙し過ぎる。
○昭和54年4月22日(日)晴。
 僕が病院に行かない日は、年に何回あるかなあ(病院の宿舎が、道路を隔てて病院の真ん前にあって、小児科外来から我が子が手を振っているのがよく見えていた)。まとまった休暇を取った時以外では、片手もあるかなあ?人間、やはり休むべきだ。今は、論文も書かずに、ただ、流されるままに大学にいる感じになっている。自分の好きな教育も、満足に出来ていない。何もかも、不完全燃焼の状態にいる。
○昭和54年4月25日(水)晴。
 歯科で入歯を入れた。余り調子が良くない。だんだん良くなるのかなあ。型を取っからは、今度の1回で終わってしまったので、ビックリした。病棟に来て診察している歯科医はあまり偉く見えないのに、外来での歯科医は、実に偉く見える。どうしてかなあ。
○昭和54年4月26日(木)晴。
 父上が母上と一緒に来た。選挙の疲れでか、父上は元気がなかった。60歳過ぎて挫折感を味わっている。かわいそうだなあ。今までトップ(佐伯小学校長)であっただけに、後の落ち込みは、急カ一ブだ。路子を見て、とても嬉しそうな顔をしている。孫って、とてもかわいいみたいだ。
○昭和54年4月28日(土)曇。
 土曜日と言うのに、○○産婦人科から急患が来た。チアノ一ゼがある。心電図で右の圧が強い。胸写で肺に左右差がある。入院した直後は、横隔膜ヘルニアかなっとも思った。心音やや右に最強点がずれていて、左呼吸音が小さかったからだ。しかし腹部の陥凹がない。○○先生がエコ一をして、TGAでBASが必要かも知れないと言う。で、心カテをした(自分がして、アット言う間に、心臓にカテが届いて怖かった)。しかし、心奇形はなかった。左の肺紋理も、先まで追える。結論は、肺疾患。
○昭和54年4月29日(日)曇。
 昨日心カテしたベビ一が良くない。1日中、忙しかった。肺の疾患ならば、治るはずだ。写真は、昨日よりも左右差が少なくなっている。何となく生きそうな気がする。
○昭和54年4月30日(月)晴。
 ベビ一の調子がいい。信じられない位にいい。助かるなあ、この調子だと(新生児特発性肺気腫)。自分が新生児室を受け持ってから、考えてみると、まだ、1人も亡くなっていない。RDSや極小未熟児などいたのに。

*大学を離れ、しばらくして、あるナ一スから次の様に言われたことがあった。「新生児が3カ月に1人は亡くなっています。先生の時は、10カ月、誰も亡くなりませんでした。あの時、先生がしっかりと診てくれていて、いつも吸引してくれたり、処置をしてくれていて、助かりました。先生程、朝早くから夜遅くまで新生児室にいるドクタ一は、いないです。先生がいたら、ここで産まれた○○ナ一スの子も、助かっていたのではと皆で話していました」と。(大学病院を離れる時、新生児医療で救命率を上げる為には、その環境に慣れた熱心なスタッフの充実こそが先決だと言う考え方に変わっていた。常に細かく診ていて、ちょっとの変化にも直ぐに対応できる体制にあることこそが最も大切と考える様になっていた)

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