日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

為になるかも知れない本(その128)

2007-06-24 08:35:30 | Weblog
○昭和52年1月16日(日)晴。
 午後1時過ぎまで病院にいた。白血病の子、熱発していた。口内炎の子、だいぶ前よりは良くなったが、まだ少し元気ない。バ一ドを付けている○○君の患者さん、いつまでもつのかなあ。○○先生の患者さんも、○○先生の患者さんも死んでしまった。
○昭和52年1月21日(金)曇。
 給料日だった。7万ちょっと。死にもの狂いでこれだけ働いてもだ。僕って、自分の努力が認められる所でないと納得しない性分なのかなあ。大学に行ったら、も少しましかな。文部教官助手になれば、20万はあるかな。そしたら、少し貯金が出来るかなあ。(家内の100万円の貯金のお金を小刻みに使って行き、次第に心細くなっていた)
○昭和52年1月23日(日)曇。
 昨日入院したベビ一のビリルビン値が30もあったので、交換輸血をした。小野先生に少し手伝ってもらったが、殆ど自分でした。もう一人でも出来ると思った。交叉試験も自分でした。その前に意識のない患者さんが急患で来て、眼底出血があって、対光反射がなかったので、神経内科(その後、脳神経外科)に相談したら、直ぐに来てくれた。この病院は、いつ何が来るかわからない。そして、又、よく亡くなるなあ。
○昭和52年2月5日(土)晴。
 抄読会で自分のペ一スが狂ってしまって忙しかった。仮性コレラと急性腎炎の二人を、土曜というのに受け持った。けいれん重積(急性腎炎で高血圧性脳症になった)の子を退院させた。水痘脳炎の子、経過はいい様だ。難治性のテタニ一の子、新薬の1α一OH一D3が効いている様だ。


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