日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

青年海外協力隊

2007-06-15 21:45:53 | Weblog
 海外青年協力隊に参加する息子を送る父親と夕方少し話した。23歳の息子が、2カ月間福島で研修を終えて、アフリカのザンビアに2ヶ年間滞在すると言う。そこで、化学の先生として働くとのこと。
 その息子さんは、大学在学中も、ずっとそのことを考えていて、その結論の行動だとのこと。一次~三次まであって、今回は、その一次で190人中19人が、ザンビアに行くとのこと。父親が、出発前のそれ等の人の集まりに行った時、いろんな職の人がいて、皆、やる気満々で、ぎんぎらぎんに目を輝かしていたとのこと。若い人ばかりかと思っていたら、男性の平均年齢が29歳、女性が28歳とのこと。
 実際に海外に行かないと、それも、ロングステイで、現地の人と同じ生活をして体験しないと、人間は、今の自分の置かれている姿、したいこと、出来ることが分からない。自分がそうであったし、私の長女も、実は、カイロプラクタ一を志す前に、アフリカに1カ月(タンザニア)滞在していた。
 タンザニアに隣接するザンビアでは、公用語は、スワヒリ語でもフランス語でもなく、英語とのこと。父親、明日、見送りに行くとのこと。顔付きには、悲壮感は全くない。子どもも素晴らしいが、父親も実に素晴らしい。大役を果たして、無事に帰還されることを切に切に祈っております。


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ドクタ一ブログに掲載される!

2007-06-15 13:35:06 | Weblog
 驚きました。
 http://blog.m3.com/
 つたない私のブログが掲載されていました。
 今から医師を目指している人に、ちょっとだけでも、参考になれば幸いです。
 今は亡き私の父は、小さい時から、私の名前に関して、次の様に言っていました(真実は、どうか知りませんが)。
 織田信長が日本を初めて統一した。しかし、その織田信長は、若い時は、とてもきかん坊で、周りが困り果てていた。その家老の平手政秀(ひらてまさひで)が、「殿、そんなにしたい方では困ります。そんなことをずっと続けるなら、私は、切腹します。」と言ったが、それでも信長が反省しない為に、とうとう切腹してしまった。
 腕白な信長は、平手政秀のその一途な忠義心に涙し、反省し、その出来事から大人になって、とうとう天下を統一するまでになった。
 その話を何度も聞かされて小学校時代を終えました(100回以上もあっでしょうか)。将来、そんな政秀になれる様に、字は正英で違いますが、(本を見て、画数などを研究して)私の名前を付けています。


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為になるかも知れない本(その118)

2007-06-15 07:55:16 | Weblog
○昭和51年9月27日(月)曇。
 診断が付かない。この子は、もうすぐ死んでしまうだろう。一人目は、五日目に、二人目は、四日目に、死んでいる。この子も、四日目に死んでしまう。前の受け持ちのカルテを見ても、検査を殆どしていないのと一緒だ。何の病気か、サッパリわからない。恐らく遺伝子病だろう。人間には、どうしようもない遺伝というものがある。劣性遺伝子を健康な人も平均5つ持っていて、確率が少ないということだけで、発症していないだけのこと。発病した時、大変だ。その様な子どもを医者としてどの様に考えればいいのか、僕みたいな者にわかるはずがない。ただ、この子にとってどうしたら一番幸せなのかを考えてあげたい。
○昭和51年9月30日(木)晴。
 最高の医療がしたい。毎日僕は精一杯に頑張っている。しかし、まだまだ頑張りが足りない。今の僕では、頑張っても、むなしさしか残らない。小野先生も、僕と同じ様な経過で来たと言われる。そして、いつも同じことばかりしているよりも、何か一つのことをしたくなると言う。午後の心臓外来は忙しかった。早川教授に、何か専門のことでそれが出来る病院に行きたいと言ったら、何とかしてくれると言ってもらえた。兎に角、最高の医療がどんな所にいても出来れば、僕としては満足なのだ。
○昭和51年10月5日(火)晴。
 忙しくて勉強しなかった。4歳の男の子を受け持った。頭が痛くて、嘔気があって、熱は一日しかなかった。内科に行って「カゼ」と言われ、小児科に行って「自家中毒」と言われ、それでも治らないので別の小児科に行ったら、「無菌性髄膜炎」と言われたそうな。僕が念の為に眼底を見たら、うっ血乳頭がある様な気がしたので、眼科の先生に診てもらったら、やはりあるらしいとのことだった。母親にとうとう脳腫瘍の可能性ありと言ってしまったので、今にも泣きそうな母親を見て、父親に先に言うべきだったなあと反省した。

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