日本の心・さいき

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為になるかも知れない本(その107)

2007-06-04 07:33:17 | Weblog
○昭和51年6月2日(水)晴、4:55記(研修1年目、宮崎県立宮崎病院での31年前の日記より)。
 今日、早く行ってカルテを又見て、朝の内に診察しよう。今日、無事に終わるかなあ。デ一タ一に振り回されないことが大切だ。患者さんをよく診て、早く慣れることが大切だ。暇があれば、病棟に行こう。そして、患者さんや家族の信頼を得ることが大切だなあ。
○昭和51年6月4日(金)曇、7:05記。
 少し慣れた。カルテに書いてしまうと安心する感じだ。考察をカルテにちゃんと書くことが大切だなあ。今日は、食事会があった。野中先生が小児科の医長になったのと、松岡先生が宮医大に帰るのと、僕と先成君の入局の三つを兼ねていた。部長の回診って、試験みたいなものだなあ。今日、交換輸血をした。とても勉強になった。
○昭和51年6月7日(月)曇、8:56記。
 慣れてきた。指示は上手くいっているのかなあ?今、患者さんを5人受け持っている。これが、20人近くになったら、どうなるのかなあ。今は、正真正銘のやぶ医者だなあ。上の人に聞いたり、本に頼るしかない。無からの出発って感じで、全くすることが多過ぎるよ。しかし、一歩一歩確実に自分のものにして行くしかない。入退院の時の記載は、医者をする限り、しっかり書いておかなくてはいけないなあ。
○昭和51年6月8日(火)曇。
 ○砂君を昨日退院させた。医者になって、初めて退院させた。入院している患者さんには、どんな患者さんにも、処方しないとけいないということを初めて知った。薬がないと、子どもが不安がるので、ビタミン剤をやるのだ。この病院には、おかしな所が3つある。その一つは、食事の種類が5つあって、そのどれかを摂っていることが多いということ、つまり、カロリ一がきめ細かくないのだ。次に、カルテの記載が不完全ということ。POSには、ほど遠い。それに、しっかりとした研修医のシステムがない。
 
 カルテは、自分なりにタイプで4種類のものを作成して(カルテに貼り付けて)、それを自分なりに使用した。研修医の場合は、空いている宿舎にも入れなかった。研修医でも入れる様に自分等がずっと言い続けて、それが可能になった。研修医の給料は、1年目が月税込みで8万円、2年目が月税込みで12万円で、それ以外は、何も県からは支給されなかった。バイトも(献血以外は)禁止であった。自治医大卒の研修医は、自分等と全く同じことをしているのに、30万ほどもらっていた。


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