山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

「安倍政権の改憲暴走を許さない 5・3憲法のつどい」に参加

2013年05月04日 08時31分00秒 | Weblog
 昨日(2013・5・3)、天満橋近くのエルおおさかで開かれた憲法集会に参加した。800人で満員の会場に950人の参加だった。ここ25年ほどで、5月3日の憲法集会に参加したのは10回くらいか。あとは連休を利用して志賀高原に春スキーにいっていた。ことしは、自民党・維新の会が96条改憲をかかげ、参議院選挙後にも改正の発議をするような危険な情勢なのでかけつけた。
 つどいでは、神戸大学名誉教授の浦部法穂さんの講演、宗教者9条ネットワークの代表などのリレートークなどで2時間。そのあと、西梅田までパレード。

 浦部さんの講演から。
 第2次世界大戦は植民地再分割の帝国主義戦争。つまり、植民地や市場のぶんどりあい。やくざの縄張り抗争と考えればわかりやすい。
 日本国憲法の「平和主義」は帝国主義との決別宣言。いわば、やくざの世界からの足抜け宣言。率先して過去を反省して、やくざのぶんどりあいのない世界をつくることに全力を尽くすと宣言することは決して自虐的ではなく、むしろ誇るべきこと。
 平和主義を後退させ、さらに9条を変えることは、その誇りを捨てること。
 民主的な憲法制定はポツダム宣言による義務。日本政府が民主的憲法をつくろうとしなかったゆえに、占領軍主導の憲法作成に。その際、GHQは民間草案(鈴木安蔵らの憲法研究会)を参考にした。
 押し付けの要素はたしかにあったが、国民が憲法を支持しているかどうかが憲法の正当性を決する。
 本来ならば、1952年の「独立」時点で憲法承認の国民投票をすべきだった。それをせずにそのまま継承したということは、その時点で国民の承認があったものとみなされる。だから1952年以後は、押し付け憲法だから無効だなどという理屈は通用しない!
 押し付け憲法論が決して言わないことがある!
 それは、憲法以上に日本国人の意思を無視して占領軍に押し付けられたもの=日米安全保障条約。押し付け憲法だから変えるべきだというのなら、押し付け安保もまた否定されなければならない。だが、押し付け憲法を声高に言う人々からはその声は聞こえない。
 9条改憲はアメリカが求めていることだから、自主憲法制定などというのは嘘っぱち。実態はアメリカの要求に応えるための改憲であり、アメリカのいうことに追従しているだけ。
 歴史的事実としては、やくざの世界からの足抜けを命じたのはアメリカ。もういちどやくざの世界に戻ろうというのが、自主憲法制定論の論理。もういちどやくざの世界にもどっていいのか。
 昨年末の総選挙で、改憲派議員が89%を占めた。9条改憲については、75%の議員が賛成だという。夏の参院選で、安倍自民と極右の維新が勢力を伸ばせば、9条改正が現実化しかねない。
 しかし、国民の間では、9条改正は反対の方が多い。この国民世論を議席に反映させなければならない。改憲を許すことは、やくざの世界に戻ることになり、現実政治では今以上にアメリカの三下として、お金も貢ぎ血も流して親分に尽くすことを求められることになる。日本国民はそんな選択をするのか。
 96条改憲が発議される可能性大だが、そうなったときは、これを国民投票で否決することで、国民の意思をはっきり知らしめる必要がある。

 浦部さんはやくざの抗争になぞらえて、戦争を説明した。わたしも授業では、帝国主義戦争や軍事同盟を、やくざのグループ間の抗争におきかえて説明してきた。まさに9条を捨てることは、平和日本が銃で武装したやくざ世界にもどり、先頭切って抗争にのり出していくことにほかならない。中国や韓国との領土問題、北朝鮮問題があるから、9条を捨ててやくざの世界に戻る?それが日本の進むべき道?武力で領土問題に決着をつけるのは、まさに帝国主義=やくざの論理にほかならない。
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