今日(2013・5・27)、外国特派員協会で橋下徹・大阪市長・日本維新の会共同代表は、5月13日の妄言について釈明会見をおこなった。前日に日本語と英語の「私の認識と見解」を公表していた。
毎日新聞が27日朝刊で、「橋下氏苦しい弁明 メディアに責任転嫁」という見出しで見解報道をしたように、事実としていったことに責任をとらず、彼の得意の論点ずらしとごまかしに徹する内容だった。
見解の冒頭に「発言の一部が文脈から切り離され、断片のみが伝えられることによって、本来の私の理念や価値観とは正反対の人物像・政治家像が流布してしまっていることが、この上なく残念です」といっているが、橋下政治・発言をチェックしてきた人間からすると、流布されたという政治家像が本来の姿であり、何の違和感もない。
同じ冒頭の項で「私の本意とは正反対の受け止め方、すなわち女性蔑視である等の報道が続いたことは、痛恨の極みであります」と訴えている。まさに女性蔑視、女性の人権を侵害している、ここに橋下発言の本質がある。女性たちは、そこをするどく見抜いて、橋下批判をつよめ、行動を起こしたのだ。
橋下氏は、従軍慰安婦について、「慰安婦の利用を容認したことはこれまで一度もありません。私の発言の一部が切り取られ、私の真意と正反対の意味を持った発言とする報道が世界中を駆け巡ったことは、極めて遺憾です。」「第2次世界大戦中のアメリカ軍、イギリス軍、フランス軍、ドイツ軍、旧ソ連軍その他の軍においても、そして朝鮮戦争やベトナム戦争における韓国軍においても、この問題は存在しました。このような歴史的文脈において、『戦時においては』『世界各国の軍が』女性を必要としていたのではないかと発言したところ、『私自身が』必要と考える、『私が』容認していると誤報されてしまいました。」と述べた。
5月13日、実際に発言したのはこうだ。「日本軍だけじゃなく、いろんな軍で慰安婦制度を活用していた。そりゃそうですよ。銃弾が雨嵐のごとく飛び交う中で命かけて走っていく時に、精神的にも高ぶっている集団はやっぱりどこかでね、休息じゃないけれどもそういうことをさせてあげようと思ったら慰安婦制度っていうものは必要なのは、これは誰だって分かるわけです。」
橋下氏は、批判が高まると、それは受け取る側の読解力の問題だ、さらに誤報だといいだした。今日、橋下氏は、最終的にこの発言は撤回せず、「私が容認していると誤報された」といった。
だが、問題発言の翌日14日、彼は「(記事は)比較的正確に引用してくれていた」「フェアに出している」とツイッターに書き込み、毎日新聞が14日朝刊に掲載した記者と彼との一問一答についても「ある意味すべて」と評価していたのだ。ということは、報道について180度評価を変え、自分が負うべき責任をマスメディアに転嫁したのだ。
問題発言において、彼は慰安婦を容認していなかったか。「休息させてあげようと思ったら慰安婦制度っていうものは必要なのは、これは誰だって分かるわけです」といっている。必要なのは誰だって分かると、多くの人に同意を求めている。そこに発言している本人が含まれていないというのは、それこそ読解力欠如だ。橋下本人が含まれているのは小学生の読解力わかる。
彼は、15日午後の時点では、「いま慰安婦が必要だと一言も言っていない。日本の行為を正当化するつもりは毛頭ない」「容認はしていない。必要というのは客観的事実だ」といっていた。つまり、今も慰安婦が必要だといっていると誤解してもらっては困る、といっていた。今の世界で慰安婦制度を主張するものがいるはずがないではないか。当時の制度を容認するかどうかしかない。あたりまえだ。結局、彼は、当時は必要だったといったのは、ごまかしようがない。
橋下氏は、見解で、各国も慰安婦を利用したのに、日本だけが問題があったと報じられるのは不当だといい、兵士による女性の尊厳の蹂躙問題の解決のため、この一点のために発言したのだという。女性蔑視、元慰安婦への冒涜発言が、世界の女性のための発言だったというのだ。まさに黒を白といいくるめるものだ。一方で、慰安婦を容認したことは一度もないといい、見解全体をつうじて他国こそが問題をかかえ、自分は戦場の女性問題解決の旗手だという。みごとな論点ずらし、ごまかしだ。こんなずるい議論はほとんど例がない。
従軍慰安婦制度について、橋下氏は、「戦時中、国家の意思として女性を拉致した、国家の意思として女性を売買したということにあるのであれば、それは事実と異なります」とあいも変わらず安倍首相と同じ否定論をくりかえした。事実は、国家の意思として日本軍が、慰安所の設立計画、業者の選定、資金のあっせん、女性集め、女性の移送、慰安所の管理、建物・資材の提供など、全面的に管理した。日本軍は、海外の占領地・戦地に350万人の兵士を展開し、兵士100人にひとりの割合で慰安婦の必要数を計算し、割り当てをした。このように軍の直接管理の下で慰安所を設営したのが日本軍慰安婦制度で、これに近いのがドイツのナチスだ。だがナチスは植民地から慰安婦を連れてくることはなかった。第1次大戦で植民地を失ったから。
橋下氏は、家に入って人さらいのように連れていくことはなかったという安倍首相と同じ立場から、拉致・連行・人身売買はなかったといった。強制連行があったかなかったかは主要な問題ではない。従軍慰安婦制度全体が強制性をもつ。国連も国際輿論も同様だ。しかし強制連行についていえば、仕事があるといってだまして連れていくのは明白な強制連行で、その事実は占領地では広範に存在した。国家の意思としてやってないと橋下氏はいうが、むりやり連行された、だまして連れられた証言はたくさんあり、東京裁判はじめ戦犯裁判で証拠採用されたものは公文書として確定している。強制連行を指示する命令書がないから強制連行はないといいたいのだろうが、奴隷刈りのように連行しろとか、暴力を使って連行しろと政府・軍の公文書に書くはずがないし書けない。違法行為を公文書で命じるはずがない。
橋下氏が国家意思として連行していないといいはるのは、元慰安婦を二重に冒涜するもので、女性の人権の闘士であるかのように粉飾したのがたちまちはげ落ちた。
ここでマスメディアの問題に触れたい。今回の橋下慰安婦発言にかかわって、問題を掘り下げる報道がまったくなされなかったことだ。すなわち従軍慰安婦の歴史、制度、被害者の実態報道を全くやらなかったことだ。これをやらないから、橋下氏が平然と妄言をくりかえす余地を与えるのだ。安倍首相をはじめとする右翼の脅しをこわがって、踏み込もうとしないマスメディアの姿勢は批判されなければならない。
橋下氏の妄言の2つ目は、沖縄のアメリカ軍司令官に対する発言だ。
「普天間飛行場に行ったとき、『もっと風俗業を活用してほしい』と言ったら、米海兵隊司令官は『米国では禁止している』と。『そんな建前論みたいなこと言ってるから、おかしくなるんですよ』と(僕は言った)。そういうものを真正面から活用してもらわないと、海兵隊の猛者の性的なエネルギーはコントロールできない。」これが橋下発言だ。
海兵隊兵士の性欲管理に風俗業の活用を進言した。女性を兵士の性の道具視していることから、とりわけ大きい批判がまきおこった。過去の慰安婦容認にとどまらず、現在の軍隊用に女性の利用を進言したのだから、右翼政治家のなかでも類のない発言だった。彼は、こんどの会見で、世界の戦場での女性の人権蹂躙に取り組むと大見得を切ったが、それと正反対の発言をして平然としていたのだから、その神経を疑う。慰安婦を容認したことは一度もないというが、慰安婦と地続きの風俗嬢の活用をいうのは、現在も慰安婦を容認しているのと同じではないか。
さすがに、これはもたないと思ったのだろう。また政権に食い込みたい立場からは、これ以上盟主アメリカにうとまれないようにしなけれないけない。
「在日アメリカ軍兵士の性犯罪を抑止するために風俗営業の利用を進言したという報道もありました。これは私の真意ではありません。私の真意は、一部の在日アメリカ軍兵士による犯罪を抑止し、より強固な日米同盟と日米の信頼関係を築くことです。」と弁解した。そして「今回の私の発言は、アメリカ軍のみならずアメリカ国民を侮辱することにも繋がる不適切な表現でしたので、この表現は撤回するとともにお詫び申し上げます。」とアメリカ軍・アメリカ国民にだけ、撤回・謝罪した。
この発言で全女性を侮辱したことに対しては、いっさい謝罪しない。性犯罪をくりかえす米兵には別の女性をあてがえばいいという女性観を反省した跡はまったくみられない。だから、日米軍事同盟にひびを入れないためにだけ謝罪したのだ。
これは元慰安婦を3重に侮辱したことになる。橋下氏が、人権、女性の尊厳という言葉をちりばめて「見解」を作成したけれども、にわか仕込みの人権では底がわれる。
外国人記者の質問に、橋下氏は大阪・飛田新地の料理組合の顧問弁護士だったことを認めた。日本人フリー記者が「名称は料理組合かもしれないが、飛田はお店の2階に上がってお金を払えば買春できることは、大阪のちょっとませた中学生なら誰でも知っている」と指摘したのに対し、「違法であれば捜査機関が処罰します。料理組合は違法ではない」と答え、その場はなんとかしのいだ。だが問題は大きい。
というのは、橋下氏は、売買春を今も公然と行なっている業者組合の顧問弁護士だった(公職につくまで)。すくなくとも売春制度の下で苦しんでいる女性の立場ではなく、売春婦を雇用し搾取する側の立場に立っていたということだ。その彼が女性の人権とか尊厳とかを「見解」でいっても違和感が増すばかりだ。
橋下氏は、風俗業は合法だから何ら問題ない、合法の風俗をすすめたのに、翻訳が売春としたために誤解されたといってきた。彼は、米軍当局のように買春を禁止する建前論ではダメだ、真正面から活用してもらわないと性欲はコントロールできないといった。その際、彼は慎重に「風俗業」といった。合法的な範囲で活用をといった。しかし、風俗業は世間では性風俗業と解釈してしまうが、法的には範囲が広く、喫茶店までが入る。まさか橋下氏は、喫茶店利用をすすめたのではあるまい。性風俗利用をすすめたのだが、それはまさに売買春と地続きだ。違法な売買春をすすめるとは言えないから風俗といったに過ぎない。
売春業者の顧問弁護士をしていた橋下氏が、飛田の料理組合のような風俗業の活用を公言した事実は消すことはできない。
売春業者の顧問弁護士をしていた橋下氏に、女性の人権・尊厳をいう資格などあるはずがない。
「寛解」に目を疑う一文があった。「私は(中略)、極めてオーソドックスな立憲主義の立場を採る者です」というくだりだ。橋下氏は、安倍自民と歩調をあわせて、96条改憲を主張している。権力者を縛るのが立憲主義だ。権力者の改憲のハードルを下げる運動をしながら立憲主義を唱える自己矛盾に気づかない。いや、両立しないものを平気で主張するのが橋下氏の姿なのだ。数行前の指摘でもそれはいえる。
5月13日の妄言から27日の最終態度表明までの一連の発言は、彼の女性蔑視、元慰安婦冒涜をいっそうきわだたせ、歴史に刻みつけることになった。公人としての資格がないことが最終的にはっきりした。本家本元の安倍自民とその突撃隊を任ずる維新の現状は、日本の政治の異常を世界に知らしめた。
毎日新聞が27日朝刊で、「橋下氏苦しい弁明 メディアに責任転嫁」という見出しで見解報道をしたように、事実としていったことに責任をとらず、彼の得意の論点ずらしとごまかしに徹する内容だった。
見解の冒頭に「発言の一部が文脈から切り離され、断片のみが伝えられることによって、本来の私の理念や価値観とは正反対の人物像・政治家像が流布してしまっていることが、この上なく残念です」といっているが、橋下政治・発言をチェックしてきた人間からすると、流布されたという政治家像が本来の姿であり、何の違和感もない。
同じ冒頭の項で「私の本意とは正反対の受け止め方、すなわち女性蔑視である等の報道が続いたことは、痛恨の極みであります」と訴えている。まさに女性蔑視、女性の人権を侵害している、ここに橋下発言の本質がある。女性たちは、そこをするどく見抜いて、橋下批判をつよめ、行動を起こしたのだ。
橋下氏は、従軍慰安婦について、「慰安婦の利用を容認したことはこれまで一度もありません。私の発言の一部が切り取られ、私の真意と正反対の意味を持った発言とする報道が世界中を駆け巡ったことは、極めて遺憾です。」「第2次世界大戦中のアメリカ軍、イギリス軍、フランス軍、ドイツ軍、旧ソ連軍その他の軍においても、そして朝鮮戦争やベトナム戦争における韓国軍においても、この問題は存在しました。このような歴史的文脈において、『戦時においては』『世界各国の軍が』女性を必要としていたのではないかと発言したところ、『私自身が』必要と考える、『私が』容認していると誤報されてしまいました。」と述べた。
5月13日、実際に発言したのはこうだ。「日本軍だけじゃなく、いろんな軍で慰安婦制度を活用していた。そりゃそうですよ。銃弾が雨嵐のごとく飛び交う中で命かけて走っていく時に、精神的にも高ぶっている集団はやっぱりどこかでね、休息じゃないけれどもそういうことをさせてあげようと思ったら慰安婦制度っていうものは必要なのは、これは誰だって分かるわけです。」
橋下氏は、批判が高まると、それは受け取る側の読解力の問題だ、さらに誤報だといいだした。今日、橋下氏は、最終的にこの発言は撤回せず、「私が容認していると誤報された」といった。
だが、問題発言の翌日14日、彼は「(記事は)比較的正確に引用してくれていた」「フェアに出している」とツイッターに書き込み、毎日新聞が14日朝刊に掲載した記者と彼との一問一答についても「ある意味すべて」と評価していたのだ。ということは、報道について180度評価を変え、自分が負うべき責任をマスメディアに転嫁したのだ。
問題発言において、彼は慰安婦を容認していなかったか。「休息させてあげようと思ったら慰安婦制度っていうものは必要なのは、これは誰だって分かるわけです」といっている。必要なのは誰だって分かると、多くの人に同意を求めている。そこに発言している本人が含まれていないというのは、それこそ読解力欠如だ。橋下本人が含まれているのは小学生の読解力わかる。
彼は、15日午後の時点では、「いま慰安婦が必要だと一言も言っていない。日本の行為を正当化するつもりは毛頭ない」「容認はしていない。必要というのは客観的事実だ」といっていた。つまり、今も慰安婦が必要だといっていると誤解してもらっては困る、といっていた。今の世界で慰安婦制度を主張するものがいるはずがないではないか。当時の制度を容認するかどうかしかない。あたりまえだ。結局、彼は、当時は必要だったといったのは、ごまかしようがない。
橋下氏は、見解で、各国も慰安婦を利用したのに、日本だけが問題があったと報じられるのは不当だといい、兵士による女性の尊厳の蹂躙問題の解決のため、この一点のために発言したのだという。女性蔑視、元慰安婦への冒涜発言が、世界の女性のための発言だったというのだ。まさに黒を白といいくるめるものだ。一方で、慰安婦を容認したことは一度もないといい、見解全体をつうじて他国こそが問題をかかえ、自分は戦場の女性問題解決の旗手だという。みごとな論点ずらし、ごまかしだ。こんなずるい議論はほとんど例がない。
従軍慰安婦制度について、橋下氏は、「戦時中、国家の意思として女性を拉致した、国家の意思として女性を売買したということにあるのであれば、それは事実と異なります」とあいも変わらず安倍首相と同じ否定論をくりかえした。事実は、国家の意思として日本軍が、慰安所の設立計画、業者の選定、資金のあっせん、女性集め、女性の移送、慰安所の管理、建物・資材の提供など、全面的に管理した。日本軍は、海外の占領地・戦地に350万人の兵士を展開し、兵士100人にひとりの割合で慰安婦の必要数を計算し、割り当てをした。このように軍の直接管理の下で慰安所を設営したのが日本軍慰安婦制度で、これに近いのがドイツのナチスだ。だがナチスは植民地から慰安婦を連れてくることはなかった。第1次大戦で植民地を失ったから。
橋下氏は、家に入って人さらいのように連れていくことはなかったという安倍首相と同じ立場から、拉致・連行・人身売買はなかったといった。強制連行があったかなかったかは主要な問題ではない。従軍慰安婦制度全体が強制性をもつ。国連も国際輿論も同様だ。しかし強制連行についていえば、仕事があるといってだまして連れていくのは明白な強制連行で、その事実は占領地では広範に存在した。国家の意思としてやってないと橋下氏はいうが、むりやり連行された、だまして連れられた証言はたくさんあり、東京裁判はじめ戦犯裁判で証拠採用されたものは公文書として確定している。強制連行を指示する命令書がないから強制連行はないといいたいのだろうが、奴隷刈りのように連行しろとか、暴力を使って連行しろと政府・軍の公文書に書くはずがないし書けない。違法行為を公文書で命じるはずがない。
橋下氏が国家意思として連行していないといいはるのは、元慰安婦を二重に冒涜するもので、女性の人権の闘士であるかのように粉飾したのがたちまちはげ落ちた。
ここでマスメディアの問題に触れたい。今回の橋下慰安婦発言にかかわって、問題を掘り下げる報道がまったくなされなかったことだ。すなわち従軍慰安婦の歴史、制度、被害者の実態報道を全くやらなかったことだ。これをやらないから、橋下氏が平然と妄言をくりかえす余地を与えるのだ。安倍首相をはじめとする右翼の脅しをこわがって、踏み込もうとしないマスメディアの姿勢は批判されなければならない。
橋下氏の妄言の2つ目は、沖縄のアメリカ軍司令官に対する発言だ。
「普天間飛行場に行ったとき、『もっと風俗業を活用してほしい』と言ったら、米海兵隊司令官は『米国では禁止している』と。『そんな建前論みたいなこと言ってるから、おかしくなるんですよ』と(僕は言った)。そういうものを真正面から活用してもらわないと、海兵隊の猛者の性的なエネルギーはコントロールできない。」これが橋下発言だ。
海兵隊兵士の性欲管理に風俗業の活用を進言した。女性を兵士の性の道具視していることから、とりわけ大きい批判がまきおこった。過去の慰安婦容認にとどまらず、現在の軍隊用に女性の利用を進言したのだから、右翼政治家のなかでも類のない発言だった。彼は、こんどの会見で、世界の戦場での女性の人権蹂躙に取り組むと大見得を切ったが、それと正反対の発言をして平然としていたのだから、その神経を疑う。慰安婦を容認したことは一度もないというが、慰安婦と地続きの風俗嬢の活用をいうのは、現在も慰安婦を容認しているのと同じではないか。
さすがに、これはもたないと思ったのだろう。また政権に食い込みたい立場からは、これ以上盟主アメリカにうとまれないようにしなけれないけない。
「在日アメリカ軍兵士の性犯罪を抑止するために風俗営業の利用を進言したという報道もありました。これは私の真意ではありません。私の真意は、一部の在日アメリカ軍兵士による犯罪を抑止し、より強固な日米同盟と日米の信頼関係を築くことです。」と弁解した。そして「今回の私の発言は、アメリカ軍のみならずアメリカ国民を侮辱することにも繋がる不適切な表現でしたので、この表現は撤回するとともにお詫び申し上げます。」とアメリカ軍・アメリカ国民にだけ、撤回・謝罪した。
この発言で全女性を侮辱したことに対しては、いっさい謝罪しない。性犯罪をくりかえす米兵には別の女性をあてがえばいいという女性観を反省した跡はまったくみられない。だから、日米軍事同盟にひびを入れないためにだけ謝罪したのだ。
これは元慰安婦を3重に侮辱したことになる。橋下氏が、人権、女性の尊厳という言葉をちりばめて「見解」を作成したけれども、にわか仕込みの人権では底がわれる。
外国人記者の質問に、橋下氏は大阪・飛田新地の料理組合の顧問弁護士だったことを認めた。日本人フリー記者が「名称は料理組合かもしれないが、飛田はお店の2階に上がってお金を払えば買春できることは、大阪のちょっとませた中学生なら誰でも知っている」と指摘したのに対し、「違法であれば捜査機関が処罰します。料理組合は違法ではない」と答え、その場はなんとかしのいだ。だが問題は大きい。
というのは、橋下氏は、売買春を今も公然と行なっている業者組合の顧問弁護士だった(公職につくまで)。すくなくとも売春制度の下で苦しんでいる女性の立場ではなく、売春婦を雇用し搾取する側の立場に立っていたということだ。その彼が女性の人権とか尊厳とかを「見解」でいっても違和感が増すばかりだ。
橋下氏は、風俗業は合法だから何ら問題ない、合法の風俗をすすめたのに、翻訳が売春としたために誤解されたといってきた。彼は、米軍当局のように買春を禁止する建前論ではダメだ、真正面から活用してもらわないと性欲はコントロールできないといった。その際、彼は慎重に「風俗業」といった。合法的な範囲で活用をといった。しかし、風俗業は世間では性風俗業と解釈してしまうが、法的には範囲が広く、喫茶店までが入る。まさか橋下氏は、喫茶店利用をすすめたのではあるまい。性風俗利用をすすめたのだが、それはまさに売買春と地続きだ。違法な売買春をすすめるとは言えないから風俗といったに過ぎない。
売春業者の顧問弁護士をしていた橋下氏が、飛田の料理組合のような風俗業の活用を公言した事実は消すことはできない。
売春業者の顧問弁護士をしていた橋下氏に、女性の人権・尊厳をいう資格などあるはずがない。
「寛解」に目を疑う一文があった。「私は(中略)、極めてオーソドックスな立憲主義の立場を採る者です」というくだりだ。橋下氏は、安倍自民と歩調をあわせて、96条改憲を主張している。権力者を縛るのが立憲主義だ。権力者の改憲のハードルを下げる運動をしながら立憲主義を唱える自己矛盾に気づかない。いや、両立しないものを平気で主張するのが橋下氏の姿なのだ。数行前の指摘でもそれはいえる。
5月13日の妄言から27日の最終態度表明までの一連の発言は、彼の女性蔑視、元慰安婦冒涜をいっそうきわだたせ、歴史に刻みつけることになった。公人としての資格がないことが最終的にはっきりした。本家本元の安倍自民とその突撃隊を任ずる維新の現状は、日本の政治の異常を世界に知らしめた。