黄昏どきを愉しむ

傘寿を過ぎた田舎爺さん 「脳」の体操に挑戦中!
まだまだ若くありたいと「老い」を楽しんでま~す

お盆

2005-08-12 | 日記・エッセイ・コラム
 テレビのニュースで帰省客の道路交通情報が流れている。

主要路線はどこも渋滞●●km・・・

「どちらさまも ご苦労様です」 

この時期、「ほうずき」が色づき、「蓮華」が花開くと「お盆」が

やってくる。

日本列島 相変わらず 時代が変わっても民族の大移動

私の家にも檀那寺からの棚経がありました。

住職の息子さん、今日は数十軒のお参りだとか。

この「お盆」の行事は推古天皇時代から始まり、日本全国

に広がったようで、今では日本人にとって切っても切れない

一大行事です。

「南無阿弥陀仏」・・・  幼少のころから聞きなれたお経

当時は、両親の後ろに座って手を合わせ拝んでいた。

お寺のお坊さんの後姿がなんとなく大きく見えたのも

両親が前の日から、仏壇を掃除したり、お飾り、お花と

準備に忙しく動いていたのも記憶に新しい。

「お盆」のお参りが、とても厳粛であり、生活の中に

きちんと位置づけられていたからだと思う。

また、必ず月の初めには仏壇の前に座ったような。


「なぜ、手を合わせて仏壇にお参りするの?」と聴いた。


母は「亡くなった先祖やあなたの「お父さん」「お母さん」が

あなたに対して充分な愛情を注ぎ、今日健康な身体で

過ごしていけることに感謝の念を持つこと、そしてあなたが

その恩に報いるために、他人に気遣い、親には孝行の心

を持ち続けて、次のあなたの子供にもそれを教えて行く」

つまり、「生きている意味」を自分で掴んで行くことなの。

 確か こんなような言葉だった。

立派な仏壇や、大きな墓は我が家にはないが

心の中では、「供養」はしているのでは? と。

子供たちにも、「お参り」はひとつの形として教え

てきた。

「お盆」 響きのいい言葉です。

1年に1度くらいは、ほんとうに「ねんごろ」に

「当時を懐かしみ、噛み締め、感謝し、語り合って」 

父母を憶い、お迎えし、お帰り頂こう。

この10年ちかく、無病息災。

これも日頃の心がけ?

「南無阿弥陀仏」・・・・・・ 

「ほうずき」がまるで灯明のように輝いて見える。




続 黄昏どきを愉しむ

 傘寿を超すと「人生の壁」を超えた。  でも、脳も体もまだいけそう~  もう少し、世間の仲間から抜け出すのを待とう。  指先の運動と、脳の体操のために「ブログ」が友となってエネルギの補給としたい。