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三角縁神獣鏡からの謎解き

2016-12-19 | 日記・エッセイ・コラム

先週の土曜日

 歴史研究会の12月講演で「史跡・石塚山古墳出土鏡の新たな展開」

 ~「観古集」に収録された書写図の意義~

 という 大変難しい話がありました。

この郷土史研究会に昨年入会して、郷土史の勉強をしていますが

まだまだ勉強不足だし、「古墳」についても ほとんど知識がなく

話を聞いていても、ある種 ちんぷんかんぷん? 状態でした。

さらに 講師には失礼だけど、説明の資料がプロジェクターから

 写される画像を次々に説明していき、淡々と学者の研究発表式

なので 戸惑いました。 正直段々 飽きて来て 成果なしでした。

 

「石塚山古墳」

 わが町苅田町にある古墳時代前期の「前方後円墳」

 江戸時代に銅鏡などの遺物が発掘され、1985年に国の史跡に指定。

 全長120m 後円部の高さ10m以上

 墳丘上に神社あり。

 

 今日の話は、この古墳より発掘された「三角縁神獣鏡」について。

 この鏡は、地元の宇原神社に所蔵されている。

 小倉藩主「小笠原家文書」によると

 *「寛政八年小倉領鏡剱出候事」

  一、忠苗公御代寛政八年丙辰年四月甘一日小倉領内苅田南原村石塚山と申す所より

  鏡十一面・古剱一振掘出し候付相尋候候処南原村庄屋銀助書付差出候左之通

~寛政8年(1,796年)4月21日 古墳から鏡11面、剣1振が掘り出されたこと。

 庄屋銀助から差し出された書状に発見の経緯が記されている。

  

 …そのうちの鏡7枚が宇原神社に伝わっているが、他の4枚がどういう鏡だったのか

 この資料からは全く分からない。

 

 ここ石塚山古墳は、京都府椿井大塚古墳や、岡山県備前車塚古墳と同じく墳丘に

 埴輪の列が見られず、出土遺物に石製腕飾類がないこと 出土鏡の鏡も上の古墳

 等の出土鏡と同じなのである。

   

 

 

 「魏志倭人伝」は、魏の皇帝が、倭の女王に、「銅鏡百枚」を与えたことを記している。

  卑弥呼って…  そうですね 想像でしか?

 この文書のこと、考古学者らは、卑弥呼が魏の皇帝からもらった鏡は、

 この三角縁神獣鏡を主とする鏡であろうとする。

 しかし、三角縁神獣鏡は、100%我が国から出土し、中国からは一面も

 出土していない。

 また、三角縁神獣鏡は、機内では、4世紀の古墳時代の遺跡からのみ出土し、

 邪馬台国時代の3世紀の墓からはまったく出土しない。

 そのため、いろいろの学者などは、「三角縁神獣鏡」は、中国から輸入された

鏡ではなく、わが国で作られた鏡であろうと、主張している。

 ・・・・・・・・・・・ 面白い、まだ、まだ 確証はなく 謎なんだろうね。

 

そこで 今日の話では 石塚山古墳出土鏡の書き写しについて

 つまり、鏡の銘文が記されている「文字」からの解読なのだ。

  先の椿井出土の鏡で(石塚山古墳のものは写真がないので…)

 この写真の 内区(主文が書かれている処)

   右側下に「字」が彫られているのが分かるでしょ。 この鏡の「張氏作鏡宣」

 この銘文は 「三角縁張氏作銘三神五獣鏡」 (兵庫県権現山古墳出土のもの)

 

 

 「観古集」には、全国各地で発見された考古資料の書写が多く収録されており、この石塚山古墳出土鏡の銘文

  「吾作明鏡□高□□ 青 有文章 子宣□ 未央□至三公宣侯王富且昌」

   鏡 そのままを書き写しているので、読みようのない字や、抜けているものもあるので 判別できない。

 

  他の出土した鏡から、 

  同じような銘文もあり、 「吾作明鏡甚大好 上有神守及龍虎 …」

   *吾れ明鏡を作るに甚だ(まこと)に大いに好し。 上に神獣及び竜虎有り…」

    各所の銘文を読みほどけば、大体の内容は推察されるけれども…確たる答は?

 

  そんな訳で、話は とっても興味深かったが、理解するにはまだまだでした。

  そして、不徳の致すことばかりで不消化の勉強でした。

  しかし、3~4世紀のこと、謎が多いのはもちろん。

 「古墳」のことなので、憤まんやるかたなし! プンプンです。

 

  これからも 多くの学者がその謎解きに時間を費やしてくれ結果

  新たな歴史の証明をしてくれるのだ。

 

  だって、「邪馬台国」だって、まだ まだ 双方譲らず?

  「九州説」「近畿説」  真っ向から対決中ですもの。

   近世では かの豊臣秀吉ゆかりの 大阪城だって、 また、関ケ原の戦いの

   真田幸村が築城した「真田丸」の規模だって まだまだ謎が多く

   現在でも発掘中だ・・・・ これなんか、まだ400年前のこと 

   ひょっとして ビッグニュースの発表かも?

 

  しかし、時代はともかく、「人」は動き、地域に生活し、生活の跡を残す。

  「歴史は 埋もれたまま…どこで、誰が 発掘するのか…」

  まだまだ「面白い」 歴史が登場することになりそうです。

 


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