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黄昏どきを愉しむ

傘寿を過ぎた田舎爺さん 「脳」の体操に挑戦中!
まだまだ若くありたいと「老い」を楽しんでま~す

ローマ教皇グレゴリウス13世との謁見

2020-05-27 | 日記
1585年(天正十三年) 三月ニ十二日

「おお、見よ! 彼方にフラミア門が見えてきたぞ!」
 騎馬隊の列の先頭で騎乗していたロヨラが振り返って大声を放った。
フラミア街道カトリック教徒がローマを巡礼する際には、フラミア街道を通ってこの門からローマ入りする、というのがしきたりになっていた。)を進んできた。
沿道は、東の国からはるばる旅をしてきた一行をひと目見ようとローマ市民であふれ返っていた。
 フラミア門をくぐり、ポポロ広場に入った瞬間マルティノの顔つきが変わった。
そのまなざしの先には、長い長い旅の目的地、ローマ教皇がおはすヴァチカンの建設中の「ドウム」があった。
  この教皇の時代には、ドウムはまだ建設中であった。             
         (ポポロ広場)
         

 ポポロ広場から丘のふもとにあるジェズ教会へと進めた。
この教会はイエズス会の本拠であり、教会の入口には、総長ほか、神父、修道士たちが一行の到着を待っていた。
         「ジェズ教会」  
        

 一行は全員、さっそくジェズ教会の聖堂で、無事にローマに到着することが
 出来たことに感謝の祈りを捧げた。
  パイプオルガンが奏でる中、マルティノは夢見心地であった。
 
        
             イタリア屈指のローマバロック美術の美しい内部装飾がある
 
  あとひと晩・・・今宵ひと晩眠って目が覚めたら、明日の朝を迎えたら。
 ついに、ついに・・・教皇との謁見がかなうのだ。
 ただそれだけをかなえるために、今日のこの日まで生きてきた。
 マンショも、ミゲルも、ジュリアンも、マルティノ
  全く同じ気持ちだったに違いない。

 ところが、ロドリゲスは固い表情でジュリアンに向かって・・・
  「ジュリアン、そなたは明日の教皇との謁見に臨んではならぬ」
  「教皇はご高齢ゆえ、お体の御容態が万全ではないということだ。
  ジュリアン、そなたの病はほぼ治ったとは申せ、万が一にも教皇に
  おうつしするようなことがあれば・・・・わかってくれるな?」

      というわけで・・・この使節の少年たちは3人が謁見することになった。
     そして、謁見された「グレゴリウス13世は、この直後急死。18日後のことであった。
     4月には新教皇のシスト5世が選ばれた。

   1585年(天正十二年) 三月二十三日

  東の空に暁が訪れ、陽光は白々とローマ市街を照らし出す。
 ジェズ教会で早朝のミサを済ませ
  総長荒野厳かな声が・・・
 「教皇はそなたたちの来訪を心待ちにしておられる。 
  聖書にある通り、「当方より三人の王」が来訪することは、教会にとっても
  この上なき福音である・・・」

  マルティノは ・・・まさか。
  聖書に登場するあまりにも有名なあの話。
   イエスキリストが誕生したとき、 「東方の三人の王」が礼拝のために
   参上した・・・というあの逸話を、
   ヴァチカンは自分たち使節の来訪に重ね合わせようとしている・・・?
       

 晴れ渡ったローマの空にジェズ教会の鐘の音が響き渡った。
 教会の前の広場には、ヴァチカンからの迎えの馬車とヴァチカンの騎馬隊が
 待機していた。 
  馬車と騎馬隊をぐるりと囲んで大勢のローマ市民が集まっていた。

 ローマ兵、楽隊、華やかに飾られた馬車が連なる3キロにもおよぶ行列に
 先導されヴァチカンに向かい、遠藤には数千人の見物にんがあふれ、方々から
 祝砲が打ち鳴らされた。
            「ヴァチカンへの行列」
       *こんな絵を残しているなんて・・・当時としては、大変なことだったんだ~



使節団一行は・・・
  ヴァチカン宮殿前の大広場へとやってきた。

 
       広場から見た 「ヴァチカン宮殿」

      「サンピエトロ大聖堂の広場に集まる人々」

  ドウムがいっそう建物を大きく異様に見せていた。


  馬車を降り~階段を上がり~
 教皇の私的な祈りの場・・・システィーナ礼拝堂の光景を見た。
  そして息を止めた。 
      
           
  
  祭壇の背景を覆い尽くす壁には「最後の審判」の図が描かれている。

  祭壇、四方の壁、そして天井。
  そのすべてがまばゆいばかりの絵で埋め尽くされていた。

  マルティノは・・・教えてください。
         これほどまでに見事に描き出したる絵師の名を。

  案内役のパオロ神父は・・・問いに答えて。
   「絵師の名は ミケランジェロ・ブオナローティ といいます。」

   彼らが ここで天井画を見た・・・
    すでに ミケランジェロも神に召されていた・・・

   パオロ神父の話に~ドウム部分はまだ工事中ですが、
 サン・ピエトロ大聖堂の設計も、もとは彼が手掛けたものなのです」と。

          

  (一部拡大)

 「天地創造」は、システィーナ礼拝堂の天井画全体をさすことが多い。
  描かれた人物の数は400人以上とも・・・
  天井画全体の中心になっている 「創世記」 の物語。
 一部
 「アダムの創造」
  

 「原罪と楽園追放」
  

 「大洪水」
  

 
 ミケランジェロが、どのようにして、かくも壮麗なシスティーナ礼拝堂の
 天井画と壁画を仕上げたのか。
  まさしく神業と呼ぶほかはない彼が人生をかけて成し遂げた大仕事について
  マルティノは宗達に通訳した。

 ロドリゲス神父を先頭に、マンショ、ミゲル、マルティノは、システィーナ礼拝堂
に隣接する「帝王の間」へと歩みを進めた。

 一行は玉座の前に整列した。 

 「ーー ローマ教皇 、 グレゴリウス十三世のご光臨なり」

 柔らかな白絹の衣に、赤いビロードのカズラをまとった
   「いとも尊き方」が~ついに現れた。
  ・・・グレゴリウス十三世。
  第二二六代ローマ教皇。
     
         

   教皇は、白髪の頭にカズラと同じ赤いびろうどの帽子を被り、
    白いひげをたくわえていた。
   端正な容姿は、淡い光の衣に包まれているかのように、うっすらと
    輝いて見えた。

  教皇は、ラテン語でささやきかけた。
    「近く来よ、私の息子たちよ・・・・」
  マンショは身体を小さく縮こませながら、壇上に上がった。
   そして、教皇の足もとに平伏し、法衣の裾からのぞいている絹の靴の
   つま先にくちづけをした。

   ミゲルとマルティノもそれにならって、教皇の足もとに接吻した。

   「いかなる苦難も厭わず、汝らは、かくも長き道のりをただひたむきに
    ここまで来た。 その道に幸いあれ、汝らに幸いあれ・・・・」
          教皇の声はうるんでいた。
      
    
     謁見の状況を描いた1枚です。
      「伊東マンショとグレゴリウス13世と謁見の場」

 
  神がもたらしたもうた、この輝けるいっときのために・・・・。
   少年たちを見守る周囲の人々の目にも涙が光っていた。

 ◆後日談・・・教皇との謁見の後、少年使節に関する「印刷物」がヨーロッパ各地で
  50種類以上も発行され、はるか極東の未知の国日本は、ヨーロッパ全土に認知されていった。

 私、思うに この少年使節の面々、僅か16歳前後、その彼らが、日本の文化や、高い知性を
 ヨーロッパの人たちに知らしめた・・・「礼節」「武士道」?を各地で表現したことは、すっかり評判を
 呼んだ・・・そのことがヨーロッパ全土に広がっていき、どこに行っても絶大な歓迎を受ける。
  「ブログで言う」 いいねえ~だね。

 現在で言うなら、九州の田舎の悪がき?が ホワイトハウスで「トランプ大統領」に謁見し、
 レセプションで 奥さんと一緒にダンスを、そしてさらに、ニューヨークのど真ん中を
 オープンカーでパレードして、高層ビルの窓から拍手喝采を浴びるようなもんだね・・・
 それが、440年前に、こんな途方もないこと、信じられないが・・・
 ちゃんと歴史の事実にあるんだから・・・やっぱり、歴史は面白い。

  原田マハさんでなくても・・いろいろ「出会い」を組み合わせて、楽しんでもいいのかな?

 さぁ、物語の舞台も~ 最終章に入ります。

 そう、あの信長が教皇に贈った屏風・・・これですよ!
 

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