以前、作家井上ひさしさんが書いた「四千万歩の男」を読んだ。

凄い人間がいるもんだ…しかも当時としては「お年寄り」の
世代、いや、隠居人でもおかしくないのが、この偉業を。
あきれるやら、うなるやら…読後感は、正直
「参った、参った」であった。
次に、私の友人が鎌倉に住んでいて~
「ある日 電話がかかり…
〇さんは、現在、京都郡苅田ってとこ 住んでいるんだよね
実は、いま、ボランティアで武蔵工業大学の講堂で
伊能忠敬の日本地図全図を講堂の床に並べているんだよ~
苅田村 与原村 って地図上に書いてあるの見つけた。
写真撮ったので 送ってあげるよ~」
彼とは、歴史の話を酒飲みながら…も度々。
現在も鎌倉で古墳の発掘などボランティアで楽しんでいる、殊勝な方?
後日、当時の地名を書いたものが届いた。
その親切さに 感謝・感謝でした。
その「伊能忠敬」に触れるチャンスがやってきた。
それが この企画だ
2月23日(土) 夜 18:00
トークセッションに参加した。

我が町の図書館…館長さん、やる気満々の企画なのだ。
トークセッションが始まる前に~
「皆さん、伊能忠敬が日本地図を作ったの、知っている方」の声に
会場の参加者はほぼ全員手を挙げる。
では、「苅田に宿泊したということ知っている方」
これも、手を挙げた…う~ん、(20%)いやいやでも
館長、一言。「ああ、良かった!
これでこの企画をやってよかった~」と安堵の顔が。
本日のパネラーは、田川郷土研究会 会長 中野直毅さん
伊能忠敬研究会 会員 奥永 渚さん
(この方なんと伊能忠敬の血筋で
奥永家7代目のお嬢さんです。
苅田町郷土史家 小野 剛史さん
…トークショー 始まる …
1時間の熱弁…
そう、伊能忠敬。 凄い人である。
日本中を歩いて地図を作成した。
銅像はもちろん、「切手」にもなった…

誰もが記憶の隅には残っているのではないでしょうか?
そんな歴史上の人物が、
「この苅田町にやってきて測量し、宿泊していたのだよ。」
ワクワクしない方が可笑しいでしょ。
200年も前のことが、直ぐ身近に感じる…。
宿泊して、何に食べた? 測量をしている最中って~
毎日、みんなとの生活は? etc
本人が居れば…いろいろ聞いてみたいってね。
当時の日記(10回の測量旅行足かけ17年の膨大な日記)
その一部第7次測量「文化7年1月)この地苅田村での…これだ。
文章を追いかけていくと…現在と同じだよ…地名が出てくる~
4行目下段 止宿本陣庄屋五郎右衛門(林田家)
5行目上 別宿一向宗東派浄巌寺
苅田の本陣では、部屋数も少なく、分宿(浄厳寺に)している…
この日記を読んでいくと、現在と変わらぬ地名がどんどん出てくる。
まさに、一緒に彼らと測量している気分?に。
毎日の天気だって、几帳面に。
この頃、1月冬、 6行目 度々雷、それより雨雪、…

どのくらいの人で測量をしたかと言うと…各村々から応援を出して
毎日、150人ほどが携わっていたようです~
なんせ、この忠敬さんは幕臣ですから、「偉いのですよ」
名字帯刀でね。 ポスターにもちゃんと刀が。
数え50歳で家業を譲り、最初はいわば趣味。
彼は天文学が好きで、地球の大きさを知るために緯度1度の長さを測る
というのが直接の目的でした。
最初は私財を投じてだったのですが非常に精度の高い地図が認められて
5回目以降、後半は幕府直轄の事業となり、彼は幕臣に。
幕府は、1年前から各藩に向け、伊能忠敬御一行様への詳細な
取扱の基準書が発せられているのですから…
各藩も、これは大仕事だったと思います。
特に、お食事 (いや、ご接待と言った方がいいのかも)
かなり配慮されている資料も
(基準書は一汁一菜…)なんて書いていますが…
それは、そこ やっぱりそれなりにご当地の名産、名物を
かなり心配したようなものが残されています。
残された藩の資料には~ 「鯛」「あわび」「海老」
唐茶と称して(「お酒」うまい表現だなぁ~)。
測量の合間には、きっとあちこち遊山も兼ねて
寺社仏閣、名所旧跡も歩いたことでしょう。
地図上にも名所旧跡はバッチリ記載
さて、第2部は19:00 から「再現献立弁当食事会」
当日は、予約された方に限って、この一行が食したお弁当の
再現したものを楽しんでもらうという企画もありました。

さらに、19:30から
当時の星空再現と現代の天体観測会 講師:星の案内人を
お招きしての天体観測会のユニークな催しもありました。
もともと忠敬さんは筋としては天文学を学んでいたのですから。
この併せ技の妙味ですね…本邦初の試みだと…ある筋から賞賛。
そして、今日(24日)13:30より
彼の没後200年を記念して「デジタル伊能図」の
プレゼンテーションがありました。
これもまた凄い。GIS(地理情報システム)の技術を駆使して
214枚もの伊能図を「電子の地図」に変えて完成したもの。
歴史家、郷土研究者、各町の歴史資料館などは垂涎のもの。
こんな企画をされた苅田町こそ
是非 是非ネット検索できるようお願いしたいものです。


この内容は 使い勝手がいい。
検索対象が「測量日記」本文、宿泊地、旧地名(町村・寺社・名所旧跡など)
現在の地名。
ユニークなのは、現代図と重ねて時空の旅ができること~
講演などで、この資料を使えば 「昔と現代」
同じ地点の変貌がつぶさに。
自分たちの「土地」意識が、こんなところからも新発見なのだ。
余談:この制度の高い伊能図は幕府の秘密図で公開されていなかった。
そして皇居で保管されていたが、消失、控え図(伊能家保存)も
関東大震災にて焼失。
どうして? 何故だか…アメリカ議会図書館で207枚の模写図が発見。
これをあと日本に残してあった7枚の地図を補完して完成に至る。
数奇な運命の物ですね。
町の「歴史保存」や現代との比較、未来への夢を語る 為には
資料としては直ぐにでも欲しい…
悔しいのは…既に近辺では、
「田川市立図書館」「みやこ町歴史民俗博物館」が資料の公開ができる。
私個人でも、欲しい…のだが、WEB版のライセンスが1年(¥12,000)
う~ん…ちょっと思考中?
いやぁ~楽しかった。 面白い企画でした。勉強になった!
もっと多くの方に参加してもらい、「わたしの町」に
興味を持ってもらいたかったなぁ~
格好の話題だったのですがね~。